[トンデモ本] 百瀬格[著]金重明[訳](2001)「韓国が死んでも日本に追いつけない18の理由」文春文庫
図書館で廃棄されていたので読んだ。タイトルは派手だが、中味はこうすればうまくいくという提言の装いをしており、本のテーマは韓国の国民性である。思いやりが必要なんだとか、そういう意識が日本人や日本企業にはあるんだとか、日本人として本当かしらんと疑問な事が数多く書かれていた。著者は韓国人が共同体(他人)への配慮がない社会だという事を問題にしているが、見る所や世代によるのではないかと思われる。日本も十分といえるほど共同体意識などは喪失されつつあると中根氏のような専門家が指摘して久しい。著者も日本の酒鬼薔薇事件などに触れているため、論理一貫性はない。
著者は経済に非常に疎いらしく、(経済学的に正当ではない)変てこな幼稚産業保護論を唱えている。将来競争できるようにするために韓国の自動車産業を、国営一社に一度すれば良いなどと提言している。前の章では、韓国国内の自動車の路駐の問題から、通勤に韓国人に自動車に乗らないように思いやりをもって公共交通手段を用いようなどと提言し、三星などの韓国企業に国外(しかも日本)に自動車を輸出すればいいとも提言している。著者は、韓国内で公共交通機関の利用促進するのは環境にもいい事だし、韓国国内の自動車販売台数の冷え込みには、韓国国内の自動車産業を保護しつつ、自動車産業の需要不足は海外(しかも日本)に輸出で解決すればいいなどと考えたらしい。これは暴論もいい所である。こんな事を世界各国がしだしたら、保護貿易が蔓延し、技術進歩は遅れ、取り返しがつかない事になる。
そもそも路駐が多い、ゴミ投機が激しいなどの都市問題が頻発するのは、東アジア・東南アジア各国で高度成長が起こった際に、国土計画が追いつかないほど、(日本の東京など比較にならないほど)首都に一極集中して短期間に成長した事が主要な原因である。政策は直接的な方が効果が高いという原則にしたがって、精神論でなく混雑の根本の原因を取り除く政策提言を行うべきだ。地方都市を発展させねば、ソウルの都市問題は解決しないと都市研究の専門家が80年代から提言して久しい。著者は素人かつ調べもせずに全くお門違いな提言をしている。こうした日本人著者の猪突猛進な度胸は、著者のいう韓国人の国民性で、日本の国民性ではない(皮肉)。私は平均的な韓国人が猪突猛進的だとは思わない。
それと国内産業保護をせずに、三星が日本への輸出を視座に競争しなさいと言うのなら話はわかる。国内の自動車産業を不明瞭に保護すれば、韓国の自動車購買層の犠牲の下に、韓国企業の安い輸出価格の自動車を日本の消費者が買う事になる。これは両国の消費者だけ見れば、韓国から日本の消費者への正の所得移転だから日本の消費者にとって悪い話ではない。しかし日本には自動車産業があるのだから、その雇用に影響が及ぶし、市場価格が歪むことで、両国の利益の合計は、保護がある方が少ないというのが、経済学の教える所である。通常このような貿易政策をとると、典型的な不公正競争と呼ばれる問題になる。そもそも経済学的に幼稚産業保護政策が理論的に正当化できるのは、現時点で保護政策なしには該当産業が成立せず、将来、十分な価格低下が生じて、該当産業が保護無しでも成立する場合に限られる。韓国自動車産業が国内で既に一定のシェアを獲得しており、倒産の危機にもないのに保護すれば、企業努力を怠る誘因にしかならない。トーメンの支店長程度じゃ、国際貿易論や経営論の基礎も理解できないということか、・・・情けない。
それから、日本の自動車産業の歴史は著者の提言とは反対の政策を示唆している。ホンダは政府の反対押し切って自動車産業に参入し、熾烈な民間企業の競争を通じて、日本は類稀な自動車企業がひしめく国になった。ホンダの場合は幸運に恵まれただけで、他の国や事例では成立しないと今だに反論する人がいる。そういう人は排ガス規制の事例も幸運に恵まれただけで、結局すべて運命任せだったと主張している。
それに自動車国営企業なんて、インドネシアくらいの所得水準の国に提言する内容で、韓国ほどの所得水準にある国に提言するのは失礼であるし、産業保護は期限付き、期限厳守でないと一般にうまくいかない。その他の箇所で、韓国が日和見的にコロコロ産業政策が変わる韓宝事件のような事例を出し、首尾一貫した政策ができるはず、と著者は主張しているが、韓国の亡国を願って、このようなおかしな政策提言をしているのだろうか。
著者は商社マンだけあって、カルテル肯定派だ。日本の鉄鋼産業のように設備投資の企業間調整を韓国もするべきだと書いている。経済学的には支離滅裂である。日本の鉄鋼産業は衰退産業として保護されているが、本来、これは日本の消費者に不利益をもたらす行為で、やめるべき政策である。さらに鉄鋼業界の使う石炭に国産を使わないといけないなどという規制も日本の消費者の不利益につながっている。商社として、こうした政策がある方が儲けにつながるから、いろんな産業に対して消費者には見えない生産者同士の不透明なカルテルで、ぼろ儲けしたいのかしらんと勘ぐりたくなる所である。
最も狂信的な箇所は141頁辺りである。139頁に経済・経営の専門家ではないが、日本が戦後40年で世界的な経済大国になったのは、島国だからだと断言している。どうして? 正確に引用すると「繰り返すが、日本が、終戦から四十余年で、世界的な経済大国になったのは、島国であったためだ。」だそうだ。他の条件は資源がないこと、勤勉な事だって! 世界中の島国はだいたい資源に恵まれてないけれど、高度成長してない国は勤勉でないからなんて言ったら、単なる人種差別発言にしかならんじゃないか。
冷徹な経済学者が、オフレコではよく指摘する成長要因がある。残酷な史実ではあるが、戦後日本が高度成長できたのは、1.戦争中に(武器生産によって)日本の重化学産業の基礎ができあがっていたから、2.戦後の国際環境に恵まれていたから、というのがよく聞かれるホンネの主要な2つの要因である。もちろん企業努力もあっただろう。戦争がらみでなく、重化学工業という製造部門を立ち上げ、高度成長に乗せるのは非常に難しい。韓国の素晴らしい所は、超大国の冷戦下で多くの生産設備が一旦なくなったにもかかわらず、不屈の闘志で高度成長を遂げた点にある。すばらしい。しかし、そうは言ってもベトナム戦争の特需がなかったら、韓国は経済成長という波に巧く乗るのにもう少し時間がかかったのではないかと思う。
結局、著者は単なる商人(あきんど)だから、日本市場を目指す際に、日本企業と組んで日本と儲けを分ければ韓国も巧くいくと遠まわしに言っていることが多く、よく調べもせずに事実と異なる事を日本の特徴として、日本賛美する箇所が多いので、トンデモ本の類と言える。日本でも韓国でもトンデモ本の類がベストセラーになるのは由々しき問題である。この著者は、Krugmanがアメリカの政権批判の際に指摘した右派革命勢力の諸特徴をすべて兼ね備えている。例えば、200頁に「どちらにしろ、日本では、例えば小さな会社が倒産して、職員に支払う退職金や給料が不足した場合、経営者は自宅や親戚の家を売り払ってでも何とかメドをつけて解決するようにする。」などと出鱈目を書いている。社員の退職金積立金に手をつけるのは不正会計なので、株式会社の経営者でも株主代表訴訟など民法を通じて背任の損害賠償の責任が生じるため、自宅などの資産に法的メスが及ぶ可能性があるし、小さい会社が合資会社なら、そもそも経営者は無限責任を負っているので、経営者の自宅が売却され、退職金や不払い給与に当てられるのは、日本の会社法上、当然の事柄である。要するに著者は詭弁を弄しているのだ。悪質。
この本が売れた理由は後半にあるのだろう。労働者の首切りを必要悪というより、むしろ善とする立場が鮮明になっていく。労働者を解雇したい韓国の経営層(高所得層)の人々は、企業広告に依存するマスメディアを通じて、非常にいい事を書いているとメッセージを送るだろう。日本でもこうしたマスメディアの偏向は伝統ですらある。日本では沖縄復帰以降ずっと沖縄米軍の不祥事は本土で報道しない偏向が続いている。
この著者は、後半にだんだん本性が出てきて、自分の金ではなく、他人の金(税金)で、得になるか分からないけど、将来必要だから環境投資しようなどと偽善者的な言辞を弄んでいる。そんなに環境が大事なら、商人として両国政府にたかるのではなく、日韓企業の有志のメセナ活動としてやってごらんと言いたくなる。「トーメンと韓国は運命共同体」という章から、自分の会社の出来事を美談に仕立てて書かれても、これまでの出鱈目な内容からすると信憑性がない。