[悪書] 後藤純一(1993)「外国人労働者と日本経済」有斐閣
著者によれば、労働移動に関する経済的な理論的研究はあまりなく、海外では実証研究など比較論ないし実態調査的視点、国際経済学的視点、労働経済的視点から精力的に分析されているが、日本では客観的分析が行われず、印象論に基づく、なし崩し的な外人の単純労働を認めているという。執筆が1991年前後と想定しても違和感がある。労働移動に関する経済的な理論研究は70年代以降、理論的には行われているし、実証的にもアジアにおいて国外への労働移動による国内への経済効果は、海外労働者からの本国への送金の補足が不完全なため、総じて経済的効果がプラスになるか、マイナスになるかは分からない。理論上は、どのような質の労働者が出て行くかにも依存するし、一般の分析枠組みが労働者の均質性を仮定する経済学上の問題もある。もちろん、これらの仮定を緩めた分析もある。しかし、分析の中心は労働者を送り出す国の国内への効果である事が多い。つまり、受入国側の分析はあまりない。しかし、「単純労働者の受入が受入国にマイナスの経済効果となる」という著者の主張が肯定できるのはその理論分析の仮定による。例えば、単純な市場経済を仮定すれば、海外からの単純労働者の受入があると、国内の労働者を確保できない零細企業は、本来、市場から撤退するべき産業にも関わらず、生き残ることで、経済的な非効率を生じるという論理で、受入反対が正当化される。しかし、単純労働に限らない場合はどうだろうか?
それに国際貿易に保護など市場に歪みがある場合に、労働者の移動が自由になれば、自由貿易と同じ効果が得られるため、そうした場合には、海外労働者の受入により競争が促進される。つまり、どのような枠組みで分析するかによって、受入国の経済効果が決まる。87頁で著者は「外部経済があまり期待できない単純労働的外国人労働者の受入は、経済的効果に限定してみても日本にかなり大きな−金額換算すればわが国の労働力人口の約1%にあたる65万人の受入で2兆円の損失という−マイナスの影響を与える可能性が強い」と主張しているが、可能性が強い事の説明はほとんどない。
また政策の目的のホンネと建前の齟齬だけで、政策が誤っていると主張するのは完全な間違いである。反例をひとつあげよう。建前として世の中のために(ホンネでは尊敬されたい)という理由で、寄付行為(政策)が行われても、この政策が社会に悪いわけではない。つまり、著者は詭弁を弄して「単純労働者=悪」の主張をしたいだけなのである。
モデルは複雑だから専門書の方を読めと断った上で、109頁以降に説明がある。この数字の算定根拠に用いたモデルも、仮定を現実的にしたという割には、外国人単純労働者を受け入れた場合に、日本人と同等の賃金が支払われると仮定したそうだ。長期では賃金が低下することを前提に推論しているくせにである。わざわざ一般均衡モデルなんぞ持ち出して素人を騙そうとしなくとも、これらの仮定から経済学的に推論すれば、受入の経済効果はマイナスになる。分析結果で受入産業の資本所得が増大しているため、産業ごとの財価格は一定と仮定している短期分析のように見える。そういう前提であればマイナスの効果が大きくなるのは、ほぼ仮定により必然といえる。しかし、説明ではモデル内で価格が変動できると書かれている。
このモデルの結果を下に、著者はさらに誤った推論をしている。長期的には外国人単純労働者の受入産業の賃金が下がり、さらに日本人の雇用所得が下がるそうである。著者は日本人労働者は単純労働者から熟練に変わることは不可能で、受入産業の賃金が下がっても、日本人単純労働者数が不変ですべて失業者と化すと非現実的に仮定して推論しているらしい。長期的には、日本人単純労働者数が減少し、他の産業で高賃金で雇用される可能性が高い。また受入があれば、人口が増えるのだから、国内の消費自体も増えるし、受入産業の賃金低下が該当産業の価格低下につながるなら、日本人労働者の購買力も増大するというプラス効果もあるが、これらを著者が無視する理由はなんだろうか。
このモデルは多部門なので、産業連関一般均衡モデルで、技術不変のため、ここから長期の分析を推論するのは不適切である。受入が起きた場合の該当産業の労働資本比率も固定されているのだろうが、上記のような労働移動を仮定するならば、中長期でかなり変動する。
この著者は意見をころころ変動させている。モデル分析の説明では間接的な価格効果もモデルで計測されているといい、結論部の129頁では、「モデル分析はダイレクトな経済効果に限定した」話だと言っている。全般的にモデル分析周辺の話は著者の最初に自分の主義主張にあった結論ありきで、選択したモデルと思われる。自らの主張に即した結果の出るモデルを構築する事は学問研究足り得ない。