[極悪書] Kornai Janos[著]盛田常夫[訳](2006)「コルナイ・ヤーノシュ自伝」日本評論社
日経新聞の青木昌彦の書評で知った。事前に手にとってざっと見ていれば確実に借りない悪書である。コルナイは青木昌彦と同じマルクス経済学から近代経済(著者の言葉ではブルジョア経済)学への転向者である。自伝は、たいてい自己欺瞞と自慢話だらけの下らない福翁自伝みたいなものが多いが、この自伝には論理飛躍などを労した言い訳が加わり、怨嗟による恨み言が多いので辟易してしまう。
この自伝の様式は独特で、学者らしく客観的分析的に自伝を書くと著者が断っている。しかし、この方法論に忠実な箇所はほとんどない。幸いコルナイの不誠実な嘘は、コルナイの論理の幼稚性により、至る所で露呈している。歴史認識に関してもいい加減な記述が多い(例えば、80頁「歴史は長期の趨勢に関するマルクス主義の窮乏化ドクトリンをはっきり否定している」とある。時期や根拠が不明示であるし、マルクス理論によって資本主義社会下で労働運動がさかんになり、さまざまな労働者階級を慰安する法律が制定され、労働者階級の窮乏化が避けられたという歴史的側面もある)。だからマルクス理論がいいと言うつもりはない。資本主義を正当化する近代経済学であれ、共産主義を正当化するマルクス理論であれ、理論には現象を解明する点で利点も欠点も付き物だ。マルクス理論は欠点だらけで、近代経済学にはいい点も悪い点もあると考えるコルナイの考えは、転向を正当化する者の欺瞞に溢れている。コルナイによる二重の判断基準が随所に見られる事も、この書の質を貶めるのに貢献している。以下でその事を指摘していこう。
コルナイがマルクス経済学と決別した理由は、マルクス理論が現実を説明していない事(77-81頁)であった。そして新古典派の主流にも理論モデルの欠点も現実と対照して批判した(181-186頁)。しかし、自分の理論モデルは「モデルの構築者はいろいろ誤りを犯すが、現実を無視しているからといって、非難されるべきではない。これは理論構築において本質的なことである。誰もが現実に見ることのできるものを前提するのではなく、それから遠く離れたものを前提していることを指摘して、モデルを批判するのはたやすいことである」(187頁)と自分同様の批判手法を認めない。コルナイがマルクス理論やアロー・デブリュー・モデルを批判した方法はまさにこの批判方法であったのにである。
共産主義のプロパガンタ記者であった時期の記述の締めくくりに倫理的釈明(53-4頁)として、「本書は私自身に関する公開自己判決を意図するものではない」としながらも、「私の記事によって被害を受けた方々にお詫びしたい。素直な謝罪よりも行動で示すことが重要だと思う」と書き、「ある人生の時期に犯した過ちを別の時期の成果で相殺できると思わない」として友人の後年の善行を尊敬するといいながら、その考えを批判し、自分の善行を行わない理由としつつ、「大人になった人生の最初の時期に、私は誤った道を歩んだことを認識しただけではない。重大な決意をもって新しい道に入った。過去数十年にわたる私の仕事が多くの人の利益になった、と確信している。しかし、これは「悔悟」のために行ったことではない。Szabad Nep時代に行った事は別の請求勘定を作るし、その請求書は残ったままになっている。」と書いている。
結局、コルナイは「素直な謝罪よりも行動で示す」とした"行動"は何のことだろうか。その後の文でもまったく触れていない。もし、その行動が [過ちの認識、実践、過ちが消えない認識、それを書くこと、善行は罪滅ぼしにならないから行わない]であるなら、「後の善行によって過ちが相殺される」と考えた人の"行動"よりはるかに劣る。それに自分が尊敬する師がいなかった事から、(とっても大胆な論理飛躍で)、幼年期に自力で自己形成したという非常に奢った記述もある(1-11頁)。コルナイの定義では、他人の書物(読書)から得たものは、自力による自己形成であるらしい。不思議な定義である。
また、教育者として、部下がいなかったからあまり教育を行えなかったかのような言い訳も見られる。西洋において、無償の研究援助を受け、西洋の教育機関を誉めながら、自国の教育機関に改革案を出す所で止まってしまう。自分が教授権限が無かったことで免罪してもらえると思ったのか、後輩に無償の研究援助をしたとの記載は見当たらない。西洋で教育が劣化しているのは、まさにコルナイのようなフリーライダーがいるからである。コルナイは西洋の教授は政治的に困難でない環境にいるのだから、援助してもらって当たり前のように考えているのだろうか。
また、秘密警察に自分の事を話した人名について、171頁で「すでに諜報部員として暴露され、当人もそれを認めたケースについて実名を記すことは、これまで記した原理と矛盾しないと考える」と書いているが、彼の判断基準の「状況を検証しないで、諜報部員の罪を判定することはできない」(170頁)に矛盾する場合もある。それに、本人が諜報部員であることを認めた事と、避けられたのにその罪を犯したと認めた事には雲泥の差がある。コルナイの陰湿で汚い所は、上述(諜報部員であったことの認定=諜報部員としての活動の罪の認定)のように論理飛躍する所や、「新聞記事が出て、名前が公表された」=「このような状況の中で、もはや「無名性」を保持する意味がなくなった」式の考え方である。どちらも等号は論理的に成立しない。後者についてはいい例があるので書いておこう。ある米国のテレビのニュース番組でレイプされた女性の氏名が報道された事があった。人権侵害はなはだしいが、その後、新聞でもテレビ放送されたからという理由で人名を掲載し、多くの読者から非難されたそうである。
コルナイは170頁で「私は判決を下そうとは思わない。復讐という考えは私にはない」と書く以上、論理的で明晰な叙述方法は、それらの人の名は関係ないイニシャルなどで貫く事である。コルナイの二重の判断基準は多々あるが、これはその一例である。
コルナイ自身に関する秘密警察のファイルだけでは、諜報部員になった理由は分からない。情報提供の理由として「友人ではなくなった」が自伝に書かれているが、報告内容がコルナイ自身にとって、具体的にどのような不利な内容であるのか、その事がどのような困難をコルナイにもたらしたかも考慮すべきだろう。
コルナイは117頁で「拘束を逃れようとすれば、何かを話さなければならない」、117-8頁で「一切話さない頑固な証人にはならない。尋問官が知っていると予想される事柄については話そう。話すことが拘束されている人々の不利にならないと予想されるものについては、その事実を話そう」と書いているが、170頁では「体制への協力を拒否した私の熟慮」に変節している。また、秘密警察のファイルで「コルナイが西側に与えられる新しいものは何もない」(172頁)と自分が評価された事を抗議している。コルナイの海外での反体制運動などの懸念が体制側になくなり、海外渡航許可を得やすいと判断して評した可能性をコルナイは偏執狂なので、考慮できないようだ。
それに、コルナイは政治的に差別されたから、周りの人を疑り、研究所の同僚に顰蹙を買っていた事について、きちんと自己分析できていない(207-10頁)。過去の自分の経験からどうしようもなかったと(二重の判断基準で)結論している。さらにコルナイは海外出版に関しては、法律の遵守(許可の取得)を取らない決断をもしている(140頁)。自分の特権取得(自由)のためには何でもありということだろうか。
221頁に「特権を受ける者になることは、倫理的なディレンマを引き起こす。さまざまな感情が私の中に入り混じっていた。他の研究者や人々が享受していない特権を受けたという意識は、悩ましいものだった。しかし、自分が獲得したものは決して分不相応なものではないと判断した。私の仕事を素直に評価した同僚たちが、私の選出のために闘ってくれた。だから、アカデミー会員に伴う優遇措置を快く受けようと思った」は自己欺瞞が甚だしいくだりである。厳密にいえば、アカデミー会員になることは、コルナイが拒否してきた「体制への協力」に他ならない。
"西側に組したかった"、"海外出版したかった"とコルナイの発言は個人利益直結のものが非常に多い。マルクス理論との決別以来、行動原理に社会貢献といった視点は皆無である。226頁には入院中に推理小説ではなく、ケインズを読んでいた自慢話が書かれている。入院中に推理小説を読む専門家ってそんなにいるのだろうか。現実の実証に力を入れ、分析的に書くというのなら、こんな根拠の乏しい自慢はさし挟むべきではないだろう。確か他の箇所で自分は謙虚と語ったり、マルクス信奉時代は傲慢だったとも書いている。コルナイの一生は、資本主義の悪い所どりの見本のような人生である。
191頁に「新古典派モデルは反復可能で比較可能な決定問題の分析に利用できる」という箇所はコルナイのアイデアのように書かれているが、少なくとも同じ内容がコルナイ以前から指摘されている。字句は違うだろうが、マーシャルあたりまで時代を遡れるだろう。正確に思い出せないので今後再確認でき次第、追記したい。コルナイの『反均衡』で指摘されたかのような書き方は感心しない。
また歴史の歪曲も多いが、231頁に友人Tibor de Scitovsky(1910-)がprice-makerとprice-takerの役割と行動の区別を導入したそうである。上記の内容程度の事は、Alfred Marshall(1842-1924)が『経済学原理』(1890)で既に書いているし、もっと遡れるかもしれない。Tiborの経済学への貢献としては、厚生経済学におけるScitovsky Reversal Paradoxを挙げるのが順当である。コルナイの友人評は2重の意味で友人を"知的に"侮辱している。その友人の最大の貢献を間違えるなど論外である。
238頁の「知的な侮辱を与える必要はない」以下の文章も分析的ではない。具体的な批判内容が引用されないためである。同注に「最近、記憶の性質に関するD・ドライスマの教訓的な書物を読んだ。それによれば、人間は成功や喜びの瞬間よりも、屈辱を受けた出来事の方をより詳細により正確に、異常なほどはっきりと覚えているという」と引用して、エルドゥシューのコルナイ批判を知的侮辱と罵る言い訳としている。普通、こうした書物を読めば、だからこそ人間修養することが大切であると論理的に考えるものだ。自分のみ批判する権利を有するというコルナイの信仰を補佐するために、D・ドライスマの理論があるのではない。歪曲引用もいい所である。
コルナイによれば「容赦のない批判を受けた後は、研究を続ける気持ちを失いたくなければ、歯を食いしばって、自分を信じなければならない」のだそうだ。価値の多様性を認めていたり、主義の違いや信仰の相違に寛容であれば、このような立場に立たなくても、こういう批判があるから、人生は面白いと達観できる。確か、この叙述以前にコルナイは新左翼のマルクス信奉には辟易するといった類のことを書いていた。コルナイ自身もマルクスを信奉した過去を持っているにも関わらず、この陰湿な非寛容さに辟易する。
こうしたコルナイ自身には許され、他人には許されない二重の判断基準は、学者として分析的というなら、慎むべき最低限のエチケットに属する。自己権利のみ主張する二重の判断基準は、イスラエルがパレスチナにやっていることと同じで気味が悪い。また、自分の行動(非難)を正当化する際は、自分の過去の経験(差別を受けた)を参照し、他人の行動を不当と批判する際は、自分の過去の経験(労働者のサボタージュなどと糾弾し差別した)を不問に帰している。こうしたコルナイの言動や行動は、友人の償いに基づく行動より遥かに劣る。
240頁には先進国に比べ、共産主義の不足経済に関する不満が述べられている。経済的に困窮してなかったのなら、ある程度の賄賂ですべて解決することだし、許可を与える区役所の担当官のコニャックの好みまで書いているのなら、以前自分が研究した典型的な情報シグナルによる購買ゲームとして楽しめば済む話である。これを怨嗟として書くことからも、コルナイが非常に倹約家であることが伺える。こうした叙述方法は彼の主張する分析的なものではなく、私的怨念しか感じない。
242頁には中国の毛沢東(大躍進)時代に多数の人命が飢餓で失われたと指摘し、社会主義的所有や計画経済はこの悲惨な荒廃を防ぐ事ができなかったと断定しているが、ベンガルの飢餓の経験とSenの提案以降のベンガル地方での飢饉による死者が激減したことやスリランカの社会主義によって飢餓が食い止められている歴史については触れないのはどうだろうか。ご都合主義の歴史解釈ではないか。
258頁には、「「一元的な」因果関係ですべてを説明するというのは、きわめて怪しい考えだ。それは複雑な歴史過程を極端に単純化するものだ。このような一面的説明からは、政治的意図や自己宣伝が透けて見える」と書いている。242頁のコルナイの歴史認識にまさに当てはまる。それに、理論モデルは「一元的な」因果関係を基礎に組み立てられることもお忘れのようだ。
261頁には、「つまり出版の禁止を回避したかっただけではない。西側への旅行という特権的な権利を失いたくなかった」と書いているのは素直である。また、「人は事後的に自らの選択が唯一可能なもので、倫理的にも確証できる唯一の決定だったと、証明したがるものだ」というが、これは出鱈目な嘘である。普通、人は事後的に自らの選択が一番合理的なものだったと証明したがる。衝動買いの正当化で検討してみよう。衝動買いは普通の購買の選択肢の中の一つとしても、合理的とする事に矛盾は生じない。例えば、購入の瞬間は自分の満足度が高く、既に報われていると言えばいい。また、事前の満足度を除き、事後的にその出費が誤りで、コストを強いられたと考えても、将来の購買に関する学習コストで、必要な学習コストと言う形で、合理的であったと強弁できる。だから唯一の選択肢とか唯一の決定と言い張る人は少なく、コルナイのような偏執者しか、このような立場はとらないだろう。なぜ、このような嘘を書くのか推論すると、自分は普通より上の行為を行っていると偽証したかったのではないか。事後的に合理的な選択というと、コルナイの行動が全てこの範疇で、他人と変わらなくなるのを嫌ったのだと思われる。こういう所もコルナイは徹底的にせこく、自分を過大に見せようとする事に余念がない。
そして「他人の行動については、より寛容に自らの倫理的判断を下す。ただし、際限のない倫理的相対主義は受け容れない。私の眼に裏切りと映る大きすぎる譲歩がある」とコルナイの主観的"裏切り"の判断で、より客観的基準"他人の行動に寛容であれ"を排すると宣言している。この主張はコルナイ自身の首をしめる。コルナイは一度マルクス理論を信奉した過去を持つ。それを裏切ったと感じる体制側の人々は、コルナイを倫理的に裁く権利がある。つまり、民主主義を信奉しているコルナイは、自己の権利と同等の権利を他人に認める必要があるため、体制側から倫理的に裁かれることを認めなければならない。きっと、こう指摘されると別の基準を持ち出すんだろうな。コルナイの叙述を見る限り、とても卑屈で卑怯な人だから。
また傲慢であるコルナイは、272頁でAERの論文掲載拒否を不当としている。専門雑誌には雑誌ごとに適した書き方や分量がある。kyklos誌に無修正で掲載されたことを理由にAERを批判しているが、kyklos誌とAERが、どうして同じ判断基準で同じ様式を認めるべきと強行に考えるのだろう。単純に専門誌の運営側から見ても、同じ様式、同じ判断基準であるなら、コルナイの嫌いな統制社会の専門雑誌と同じ運営方法になってしまう。専門誌ごとに特色など出しようもなくなるし、差別化できなければ、専門誌として競争に生き残れなくなる。どうして市場を重視するコルナイが、専門誌の市場分析を拒絶した形で、論理飛躍を繰り返すのだろうか。
私的怨念を基礎に添えて、いくら分析したって、その切れ味は鈍らで、読者に不快感をもたらすだけである。適さない形(無修正)での掲載を求めるのはとても馬鹿げているし、専門誌批判には上述した判断基準"裏切り"は全くないが、それでも"寛容"原則は適用されない。ちなみに十分に練れていない論文と判断された場合、Jornal of Economic Litratureに提出を勧めるのは極めて一般的な事であり、専門家にとって怨念に感じるほどの事ではない。
273頁以降の専門誌の論文選択基準問題ではコルナイの怨念吐露の場になり、読むだけで不快になる。「社会科学の本当に重要で新しい思考が、完全に正確で誤りのない構成で陽の目をみることは稀である」とするなら、曖昧に書かれた論文すべて、排除する理由がなくなり、投稿された論文すべての掲載では、雑誌の存続は不可能になる。また、注で「本当に眼力が必要なのは、半製品的な理論や推論の中から、理論としての完成が有望なものを、無価値で攪乱的なものから識別する能力である」という。これをできる能力のある人は多くないし、ほとんどいない。完成有望な理論の選定には、主義や好みの反映から、偏向の恐れが非常に高い。そして、たくさん存在する専門雑誌が上質の審査員を大量確保できない以上、専門誌は役割を決め、完成有望か分からない理論などはJornal of Economic Litratureにという経済専門の暗黙のルールは合理的である。私は大学院でこのルールを教わったが、コルナイは知らないらしい。
批判の矛先が専門誌の選定に向けられているが、その非難の根拠には若い研究者の安定した研究環境にある。そうであるならば、大学での採用基準を変更すれば済む話である。なぜに大学外に解を求めるのか、不可解としか言いようがない。実際に日本では京都大学でこれに近い試みを行っていた時期がある。しかし、業績もないのに選ばれるため、怨嗟の声も聞かれる。仮に論文審査にこれを広げても、自分の却下された論文の未完成度、他人の許可された論文の未完成度の比較から、コルナイのような人がいれば、怨嗟の声はなくならないのである。
この書物の中で、コルナイの無知から来る攻撃的非難は実に多い。決別したはずのマルクス的批判手法からの脱却が一向にできていないし、周辺の実際の現状を調査せず、個人の極めて小さい経験から一般法則を導こうとする悪い性癖も見られる。
289頁では「議論を歪曲して勝手に作り替え、その主張を私のものとして、それを論じ」る行為は、コルナイによれば「論争のエチケットを破」ったことになるらしい。とすると、コルナイの共産主義者時代のプロパガンタ記事はもちろんのこと、マルクス理論批判の多くも上記に該当する。
コルナイの友人評は本当にひどい。友人ポール・サミュエルソンがハーバード大学に就職できなかった事を不当として、注に反ユダヤ主義の可能性を示唆している。なんといい加減な言いがかりだろう。それにLawrence Henry Summersは、ラリーサマーズと訳されていた(誤訳?)し、彼の父ロバート・サマーズ(サミュエルソンから、サマーズに改姓)はノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンの兄弟で、ケネス・アローは母方の兄弟に当たるため、正真正銘のユダヤ人である。そして、サマーズは、2001年財務長官退任後、ハーバード大学学長を務めているのである。その後、女性への差別発言をしたため、ハーバードに戻れる事はないだろうが、・・・。
314頁に所属機関の弁護をしていて見苦しい。「ハーヴァード大学では、すべての同僚が倫理的に振舞うことが無条件で期待されている」そうだ。公務員も市民からこの程度の事は期待されているが、事件は倫理規定に反して多いのである。こんな倫理規定程度で免罪符になるわけないだろう。
335頁では「この可能性を実現できた私の運命に感謝している」としている。傲慢で他人への感謝がとんでしまった。すべての選択は自己責任が基本とするコルナイの逸脱がここにもある。371頁ではあらゆる政治ポストをけったことを自慢して「政治権力に近づこうという誘惑に駆られたことはないと断言できる」というが、"政治の場に身をおいてリスクを取るなんて馬鹿げている"、"象牙の塔で特権を享受し安住したかった"という内容が372-3頁に書かれており、こちらが政治ポストを蹴った本音であろう。
378頁はコルナイが誤った手法で、医療改革に口出ししたことが書かれている。2つの倫理基準を自慢して語っているが、こうした制度改革で重要なのは、制度の細かい具体的な設計にある。倫理規定のような原則は重要ではない。コルナイ自身、マルクス理論の倫理規定が正常に作用しないと声高に主張していたにも関わらず、なぜ医療では倫理規定が重要だなどと主張できるのか理解できない。またしても二重の判断基準、愚の骨頂である。
388頁に駄目押しの嘘が書かれている。「人が自らを判定できるとするなら、私は知的傲慢の罪を犯さなかったと断言できる」とある。"自ら"は文意からコルナイ自身の事で"私"と訳した方が良いだろうが、この内容が嘘である事例はこれまでに多く指摘した。これだけ書いたが、細かいミスを無視しても、この分量になってしまった。
この自伝のたくさん出鱈目を指摘したが、唯一の利点として参考になるのは、226頁「ケインズを再読することで、「ケインズの不均衡論を不足経済にどのようにに適用できるか」という思考が生まれた」という事である。最初の方で自分の研究はオリジナルなものだとさんざん主張していたので、学者がオリジナル等と言い張っても、一般の人はこの程度(低度)の水準だと肝に銘じて欲しい。
コルナイの一番の経済学への貢献はソフトな予算制約である。これは共産主義社会の現象を解明しようとして生まれた。コルナイ自身、民主主義・資本主義下でも発生すると考えていなかったはずだが、金融分野に応用され、より広範に生じうる現象となった事から知名度を得る結果となった。
経済専門でない方がこの本を読めば、専門家に任せると末恐ろしい事になりそうだと感じてもらえるだろう。学者が主観的に"論理的に明晰"と考えれば、それがどんなに馬鹿げた屁理屈であっても、言い訳に終始する。老齢になって尚その非を直視できず、自分の非を認めたくない衝動から、論理飛躍、二重の基準、歪曲引用、歴史歪曲といった姑息な手段を尽くして、弁明に努めることは、文章のはしばしから伝わってくるだろう。要は無責任なのである。
海外在住が長く、本人曰く「ぎりぎりで年金を貰えるように帰国した」青木昌彦は、年金の制度改革の際に自分がもらえなくなるのではと狼狽していた。法律が過去に遡った適用は一般に起こりえないため、これを心配する時点で学者って一般常識がないと痛感する。この本を読んで、その時の青木の姿がろくでなしに映った事を思い出した。
<2006.8.27記8.29訂正>