[教養書] Harold.J.Laski[著]飯坂良明[訳](1974)「近代国家における自由」岩波文庫
1930年に書かれたこの書物にはマルクス主義への楽観的期待が強すぎるけれども、今日にも通用する文言も豊富にある。現代人の必読教養書のひとつと思える。自由の意味を履き違えているブッシュや、ドミノ理論などの単純な安全保障の論理しか理解できない小泉純一郎に読んで聞かせてやりたい。
以下は上記書物からの引用だが、訳が分かりにくい箇所に[]で説明を追加した。
読者は以上のことから、憲法の規定がいかに完備していてもそれだけでは自由の侵害を防ぐに十分でない理由を了解するであろう。これらの規定は人々が働かそうと思ってこそ働くものである。(91頁)
一言でいえば、平等がなくては民主政治はありえず、民主政治のないところには自由はありえないのである。(219頁)
自由の権利を承認することは、社会の基礎をなす不平等の正当性を否定することに外ならない。ところで、ありとあらゆる悪辣な手段が、意識的、あるいは無意識的にこのような私自身[個人?]の自己主張を妨げようとして用いられる。おそらく、こうした手段の中最も危険なのは、十分な教育の便宜を否定することである。(233頁)
そもそも、自由の探究は、寛容の弁護にほかならない。そして、寛容の弁護とは、まさに理性の権利を弁護することなのである。社会を常に脅かす危険の主たるものは、おのれ[権力者自身]を阻む観念や行動を禁圧しようとする権力者の欲望である。(259頁)
それゆえに、社会の力を結集し、特権の平等化という目的のためにいよいよかたく立つならば、われわれは自由に対する攻撃の手を緩めることができようし、またこうした攻撃のもたらす害悪をより少なくすることができるだろう。(264頁)
<2006.10.07記>