[普通] Steven D.Levitt[著]望月衛[訳](2006)「ヤバい経済学」東洋経済
評価は普通にしましたが、ある程度、経済学の知識がある人にとっては良書たりえます。経済学初心者には、やや経済学の範疇が曖昧模糊になる点や、経済学の通常の学問対象となる範囲が経済的(貨幣換算可能な)誘因をもとに行動を起こす現象、狭義には、あらかじめ値段のついている物の取引などがメインであることが分かりにくい点が気になります。あとがきに触れられていますが、やや不親切の印象は免れません。
そうはいっても、経済学的な間違いが多々あるわけではなく、前回取り上げた
- Steven E. Landsburg[著]佐和隆光[監訳](2004)「ランチタイムの経済学」日経ビジネス文庫
とは、比較にならないほど出来はよい本です。
Levittの本の原書は英語で、2005年に発売されています。そしてこの本は、経済学と社会学の学際的な内容を多分に含んでおり、後書きに書かれているように、両分野の学者から批判を受けていることが紹介されています。
なぜ、こんな事を書こうと思ったかというと、2つ前に批評したパオロ・マッツァリーノの書物がトンデモ本であることの証明の駄目押しにもなるからです。Levittの本は、1年程度の執筆期間などの誤差を考慮しても、パオロの著作(2007年)の2年前に出版された書物です。もし一流の社会学者なら、経済学者が社会学の領域を侵食して話題になった本ですから、当然読んでおかねばならないでしょう。そして、Levittの著作をパオロ氏の論理で批判する事は不可能です。質の低い Landsburg の批判をする暇があるなら、Levittの批判に取り組むべきでしょう。パオロ氏にその力量があればですが、・・・。
さて、Levittの本の内容について、いくつか疑問な点を書いておきましょう。まず、相撲の八百長についてですが、この本の八百長の定義はかなり特殊です。実証分析では、現在の幕内力士の対戦15戦のうち、八百長が話題にならなかった場所の7勝7敗の力士の試合を集めて分析しています。八百長が話題になったかどうかの部分で恣意的にサンプルを選べる可能性はありますが、結果が驚くようなものではないので、この点は不問とします。Levittは、7勝7敗の力士の次の試合の勝率が、これまでの成績から言っても確率的に5割になるはずだから、それ以上の確率7割になったりするのは、八百長があるからと結論しています。7勝7敗の力士の次の試合が自分より格上とかの場合、調整したのか疑問が残りますが、これもひとまず不問にしておきます。というわけで、実証分析上、結果の操作を行える方法が少なくとも2つありますが、それが影響していないとしても、結果は驚くほどのものとは思えません。7勝7敗の力士が次の試合で勝率7-8割だとしても、何が問題なのでしょうか。
相撲の分析で、Levittは、いくつか特殊な前提を置いています。まず消化試合でも選手(力士)は全力で取り組むのがプロスポーツであるとの前提があるようです。大リーグやMBLでもかなり疑わしい前提です。それに八百長の定義の意味ずらしが見られます。経済学的に通常、八百長などが問題視される場合には、金銭の授受、優勝力士への影響、賭博などがあるものですが、Levittの実証研究は、この点について何も明らかにしてくれません。
したがって、他の章は兎も角として、この相撲については、経済学的に見て違和感が残る分析になっています。これだけなら、星のやり取り、せいぜい無気力相撲程度としか言えません。一応、無気力相撲に対しては、相撲界で禁止項目になってますが、・・・。
最近、あるスポーツライターが騒いだ金銭や優勝が目的である八百長疑惑とか、自らの試合に誰かが不法な賭博で儲ける為にわざと負けたとなると話は別ですが、そうでないにも関わらず、八百長というのは定義をずらした姑息な手段に映ります。他国のスポーツ界を八百長呼ばわりして、話題にならなかったなどとおっしゃらずに、大リーグの薬物汚染でも分析してくれればよいのですが、ここは自国のスポーツ界の批判を恐れて分析しなかったのかな。薬物に関してはデータがないから無理だろうけれど、・・・。
さて、そうはいっても他に分析はできるが、無価値なものをひとつ挙げておきます。他のプロスポーツにおいても、消化試合に相当する時に、野手の引退試合などが行われる場合、日本のプロ野球でも大リーグでも同じように、その野手に花を持たせようと変化球を一切投げずに直球勝負することがあります。これはLevittにとって不正ではないのでしょうか。これなら、大リーグに十分なサンプルがありますね。その時の打率が高打率だった場合、八百長と非難すべきだろうかと考えれば、相撲の分析が如何に八百長と関係がないか分かりそうなものです。
また、Levittの7勝7敗の力士の次の試合を分析する場合の捉え方が、経済学的ではありません。社会学的でもありません。
経済学的に見るなら、これは一種の労働賃金を安定させるための保険的な相互扶助行為です。例えば、好景気で社員全員が首になる見込みがない時、営業目標のノルマを課せられた営業職員同士が、金銭授受なしに「困っている時は御互い様」と顧客の譲渡を行う事はよくあることではないでしょうか。
こうした行為は、雇用主から見れば虚偽申告かもしれないが、これで誰か迷惑を被るのだろうか?という疑問が湧きます。ここを突っついて、譲り合いを行った営業社員を処罰しても、営業部の労働者の勤労意欲が高まるとも、営業部の成績が上がるとも到底思えません。単に保険的な行為なので、これを殊更、八百長というレッテルを貼って騒ごうとした理由として、売名行為以外に思いつきませんでした。