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[名訳] 植木雅俊[訳](2008)「法華経 下」岩波書店
植木雅俊[訳](2008)「法華経 上」岩波書店

 こういう訳本があるといいなという見本のような本です。まず、法華経のサンスクリット(ただしローマナイズド表記)、鳩摩羅什(くまらじゅ)訳の「妙法蓮華経」(ただし書き下し漢文)、著者による現代語訳があり、これまでの訳本との相違を注に書き込んであります。「はじめに」「あとがき」に感銘を受ける話などが書かれ、下巻の末尾には「解説:『法華経』原典と翻訳の歴史と思想」があり、専門家から一般の人まで法華経に関する基本情報がこれ一冊でほぼ入手できます。毎日出版文化賞を受賞した本です。

 私はサンスクリットを解しませんが、こうした正式の本の構成に著者の誠意を感じます。岩波書店もまだこういう本を作れるのですね。意味不明な日本語訳文だらけの三冊本であるJ.A.Schumpeter[著]東畑精一・福岡正夫[訳](2005)「経済分析の歴史」岩波書店とは比べ物になりません。同じ出版社とは思えない水準です。

 これまでの訳本としては、岩本裕の訳と中央公論社の訳との相違がかかれています。注を読んでいくと、より評価が低いのは岩本裕の訳のようです。特に原文で経典を称えている箇所をサンスクリットの文法を取りそこなう事により、釈迦本人にするなど経典理解を歪める訳が指摘されています。

 著者と岩本裕の訳のように大きな差異がある訳例は、中央公論社の方にはあまり見られませんでした。そのため、法華経に接するのが、この訳本がはじめてという読者には、訳注は必要ないものが多いのですが、左側の原典と各章の末尾の訳注を無視すれば読み飛ばせるので、それほど弊害にはならない作りになっています。日本語として経典理解の妨げにならない訳の指摘もかなりありますが、サンスクリットを勉強する人には役立つ情報かも知れません。

 残念なのは、鳩摩羅什の「妙法蓮華経」が書き下し漢文になっている点です。二つの原典を併記したと主張するなら、返り点や振り仮名などをつけてもいいですが、書き下す前の状態の漢文のままにする必要があるでしょう。サンスクリットもローマナイズだけでなく原文もあれば完璧と言えましょうか。書き下し前の方が、中国語原文の語順が分かりやすいので、なぜ書き下したのか疑問です。専門家には不要だろうし、現代語訳に興味がある人は読まないだろうし、誰に対して、親切なのか伝わりません。邪推すれば出版社にとって印刷が容易いというのはあります。書き下し漢文は漢字が残っているとは言え、やはり中国語を日本語に翻訳したものですから、鳩摩羅什の「妙法蓮華経」というには難があります。ここまで拘って作成しているのに、・・・。

 ひとつだけ完全に私とは異なる見解が「解説」に書かれています。著者によれば、仏教は信仰としてではなく、思想・哲学として捉え直した時に新たな価値が見出されるのではないかと述べています。すでにインド思想史などで、仏教を位置付けた試みは行われており、私は特に新たな価値が生まれるとは思いません。それよりも経典で説かれた内容を歴史として読み直すときにより価値が生まれると思います。確かに法華経は文字になっていますが、この頃の布教は口承なのではないでしょうか。そうであるならば、経典という側面の他に、口承文学や歴史、詩としての側面を考慮する方が理解が深まる気がしてなりません。

Kazari