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[普通] 植木雅俊(2004)「仏教の中の男女観」岩波書店

 山折哲雄のトンデモ本に対する反論は、既に2004年に書かれていたのですね。トンドモ本以外で、連続して同じ著者の書物を取り上げるのは初めてですが、同じ仏教の書物でも内容が異なるので、別に取り上げる事にしました。評価は普通です。これまでの仏教に対する女性差別論が皮相だという批判点はよく分かりますが、批判する際に、かなり安易に、性差別は小乗仏教が原因で大乗仏教は関係ないと粗雑な論考で断定している点に違和感を覚えます。第3章ではバラモン教や当時は必ずしも明確な身分制度となっていないカースト制度に責任転嫁してますが、論理的な詰めがかなり甘いです。他の研究に性差別の証明をするなら、歴史的経緯を解明するように要求しながら、自分が小乗やバラモン教に起因と言う時には、歴史的経緯の解明をしていないなど論理的な齟齬が見られます。また、中村元を恩師とし、その著作をかなり参照していますが、自分に不利な内容について一切言及しないのは姑息な気がします。博士論文なので、細部の言語に関する検討の一部は理解できますが、そこからの結論には多くの論理飛躍が見られ、期待したほどの書物ではありませんでした。

 まず序章に、これまでの仏教におけるジェンダー研究について書かれています。少し、重要な内容を本書から拾ってみます。まともな先行論文として、Mrs.Rhys Davids(1857-1942)とIsaline Blew Horner(1896-1981)を挙げていますが、両者とも、パーリ語原典の初期仏教から女性解脱者について研究され、男女差がないことを明らかにした。Diana Y. Paulは、英訳された大乗仏教の経典を踏まえて、女性解放のプロセスを順を追って論評した。また、これらの先行研究を踏まえ、日本の梶山雄一は、1.原始仏教において解脱の男女間能力差はない、2.女性が成仏できないという「五障」説は、B.C.1世紀頃に成立、3.B.C.1世紀の末の新たな宗教運動が発展、特に阿上ゥ仏や阿弥陀仏は、女性救済の請願を立て、4.「八千頌般若経」や「大無量寿経」のような初期大乗仏教は、女性は男性に変身(転女成男、あるいは変成男子)することによって成仏でき、5.「維摩経」などに説かれる「空」や「如来蔵」の思想は女性は女子のまま成仏可能とした点を指摘した。ところが、こうした先行文献を無視する形で、フェミニズム理論の台頭とともに、大越愛子、田上太秀などが仏教全体を性差別的とする出版が増えている点を指摘しています。

 さて、序章で著者は大乗仏教、特に初期大乗仏教の擁護派のために、初期大乗仏教の真意が女性救済にあり、それを論評するにあたり歴史的経緯を見る必要があると述べています。それならば、上座部(小乗)仏教が何故に男性優位に傾いていくのかも歴史的経緯を見る必要があるはずですが、序章では小乗仏教が女性蔑視を持ち込んだとかなり短絡的に批判しているのが引っかかります。一応、第4章で説明するにしても、序章でもう少し丁寧に書くべきだと思います。第4章を読んでも、小乗仏教が女性蔑視を持ち込んだとするあまり説得力のある論考はありませんでした。

 性差を経典から評価する場合に、法華経などから大乗仏教が良いと言えたとして、実践面ではどうかという疑問も消えません。そんなに良い内容を持つ経典なら、日本の女性の平等にほとんど仏教が貢献しなかった歴史を、この著者がどう考えているのかもまったく記載がないため、伝わってきません。葬式などの実質的な実践方法などからは、タイなどの上座部の方が良いのではないかという疑問も生じます。近年のインドでは、アンベドーカルが中心となり、アウトカーストの廃止に仏教思想が親和的との判断から一部地域で仏教の隆興が見られました。言語やインドから中国へ仏教を受容する際の翻訳過程には言及してますが、その際、生活様式に合わせて、母と父というインドのサンスクリットの語順を父母とするなどの事例を取り上げながら、また中村元の「シナ人の思惟方法」に言及しながら、インドの仏教を低く見て、中国の仏教を高く見るという意識などについては無頓着なのは奇妙です。

 この本の方法論を見ていると大した成果は期待できません。訳本ならこの著者の思考法の弊害はほとんどないと思いますが、・・・。経典は元来理想を説くものであり、(実際には行われていない)当世の現状を反映していると考えられます。そしてどんな宗教でも教団が成立するためには、何らかの形で信徒から寄付を受ける必要があります。したがって新たな宗教運動は何らかの新規信者獲得のための運動であると考えるのが自然です。原始仏教の場合、既存の宗教バラモン教の勢力拡大にともなう横暴さに異議を唱える形で誕生した経緯があります。当時、ジャイナ教も同様に誕生しました。しかし、植木雅俊によると、バラモン教の解体が進んだから仏教の生まれる余地が出来たかのように書いている箇所があります。かなり珍説に属する理解のように思う。あとがきによれば、中村元選集 決定版を精読しているかのように書いているので、もしそれが事実なら、自説に都合の良い箇所のみを引用するという姑息な手段を取った事になります。恩師の中村元が見たらさぞ落胆するだろうな。新たな宗教運動が起こる際は、既存宗教の緩みがあるというよりは、弾圧を受けてでも新たな説を打ち出さないと腐敗によって社会自体が駄目になるというような危機意識を伴うものです。

 それから、もし原始仏教が男女平等で、釈尊入滅後が女性差別的になるというのなら、どうして釈尊の存命時には教団維持や信者獲得が可能であったのか、あるいは原始仏教のままでは到底、教団を維持できない現実があっての事なのか歴史の解明が重要となります。中村元選集 決定版 第14巻をざっと読み直した限りでは、中村元は、ゴータマ時代に大して信者を獲得していないと推論しています。また、中村元は文献学から歴史検証まで幅広く検証した上で考えるため、同じ内容を見ても、植木雅俊とは異なる見解を示すでしょう。アショーカ王の時代くらいまではともかくとして、実際にバラモン教などと異なり平等思想が強いため、インドで仏教は根付かなかったわけですが、こういう歴史背景を無視して、経典の言葉を追っかけてもあまり有用な議論はできません。しかし、後発研究者である著者は、中村元の厚みのある研究にまともに対抗することができないためか、経典の言葉や文法を追うので精一杯のように思えます。

 既に、原始仏教の成立に関する歴史的経緯など詳細に中村元が明らかにしています。そして、原始仏教は女性の解脱を認めていると言っても、1.最古の仏典「スッタニパータ」には尼僧の記載がない事、2.有名な話ですが、マハーパジャーパティーという叔母を弟子にするにあたり、愛弟子アーナンダの斡旋により八種の条件と引き換えに認められたこと、3.尼僧教団を認めたとはいえ、男性中心であったことなど書かれています(詳細は、「中村元選集(決定版) 第14巻 原始仏教の成立」を参照)。

 上段の1と2の内容は第1章に書かれていましたが、八種の条件を課したのは、後世の加筆であると植木雅俊は主張し、第4章で論ずるとあります。3について中村元と見解が相違するなら、その事も触れておかないと都合の良い部分だけ歪曲引用していることになるので、恩師からそういう引用をなさるのは止めて欲しいと思います。それに第1章のほとんどは、中村元論文の引用解説にしかなっていないので、オリジナルのように書かれると違和感があります。この本の重要な事柄は、第4,5章に書かれていることが多そうですが、分析した内容は瑣末です。構成にもう少し工夫をすべきと思えますが、よくこれで博士論文として認められたなぁ。第2章では、「テーリーガーター」という叙事詩に出てくる女性出家者を数えています。73人が女性出家者であり、内訳は王族の出身23人、豪商の出身13人、バラモン階層の出身18人、元遊女などが4人だそうです。ヴァイシャ以上の身分で大半を占めており、数字だけ見ると、原始仏教の弱者救済はあまり成功しなかった印象を受けます。経典に書かれたことがすべて史実と合致する保障もないので、遊女など4名が実在の人物と言えるかも詳細な検討を要します。この書物では、そうした検討をしているように見えないのですよね。

 第3章の考え方や構成には明確な論理性の欠如が見られます。女性蔑視の思想の源泉は、バラモン教もしくはヒンドゥー教(原始仏教の時代に存在しない)の背後にあるカースト制度(当時は明確な世襲の職業分化はあったようですが、原始仏教の時代にはヴァイシャという言葉すら存在しない)にあると断罪してますが、第五節が特に異様です。言葉が大事という割に、カースト制度などの言葉をかなり杜撰に使っているのも、他人の批判の時とは別人のようで、不徹底です。

 第4章では植木雅俊の歴史分析能力の低さから、「カースト制度が女性蔑視思想の根源であり、18、19世紀には幼女殺しなどの多くの悲劇をもたらした」と断罪しています。しかし、日本でも江戸から明治時代にかけて、農村部で働き手にならない女児や嬰児は出産直後に殺されていたことは比較的よく知られた話です。著者の論理に従えば、この事例は「日本の身分制度により嬰児殺しがより悲惨になった。大乗仏教や神道による思想が、嬰児殺しを助長した」と分析せざるを得ません。つまり、経済要因などで行われた社会現象を無理に思想による行動のように曲解するから、完璧に物事を理性的に分析できなくなるのです。

 第4章を読んでがっかりしました。第1章で八種の条件を課したのは、後世の加筆であると論述すると書いていたので、かなり強い根拠を示すのかと思いきや、他に女性を貶める加筆「1000年は正法が存続するはずだったのに、女性が出家したので500年しか存続しないだろう」といった加筆が行われた。そういう男性優位の僧侶の加筆があるから、八種の条件も加筆に違いないそうな。単なる幼稚な推論でした。それに第4章には、説明や注もなく、「スリランカや東南アジアの仏教の場合は、小乗仏教と呼ぶのは適当ではなく、上座部仏教、あるいは長老仏教と呼ばれている」(126頁:ローマナイズドのサンスクリット表記省略)と書いています。これを免罪符に小乗仏教=悪みたいな単純構図で検証を省略していくのですね。タイなどでは比丘尼も存在するが、マイノリティーであることには変わりがありません。そもそもゴータマが生存時に、比丘尼はどんなに過大に見積もっても弱小教団です。また、タイでは男子が在家から出家することが義務付けられていますし、別段、在家の女性が寄進を通じて徳を積む事で成仏できると考えているのだから、上座部仏教の経典として説一切有部を採用していようが、実際の組織運営がどうあるかの方がはるかに性差などに影響があります。

 それから、部派分裂を問題とするなら、日本の大乗仏教もこれまでにかなり部派分裂しています。性差が悪化している部分もあるので、根本経典の性差の有無はあまり意味がないと推論できます。つまり、部派分裂という社会現象と経典の変化も関連性は低い。そんなことよりも具体的な性差に関わる歴史事件を拾うことの方が重要なはずですが、資料不足のためか、本書ではそうした資料探しを行っている様子がありません。したがって、意義の乏しい推論で争っている観が否めない。歴史的には「マウリヤ王朝の崩壊とともにバラモン教が再興され始めた」(162頁)と著者自身が書いている(これは中村元と同じ意見)ので、著者の論理にしたがって普通に考えれば、バラモン教の再興が性差拡大の主要因のはずですが、なぜか部派分裂にしたがって女性差別が経典に盛り込まれ、これが「小乗仏教=女性差別」という結論になります。

 丁寧に読んでいてつまらない本と言う印象を拭えません。理由は、中村元の研究より深く考察した部分がほぼサンスクリットの法華経などに限定されるためでしょう。また、中村元が歴史分析している箇所より、貧弱な論拠で異なる結論を強引に主張するのも疑問に感じました。上座部仏教がかなり分派していたのなら、消えうせた経典の中には女性差別なしのものもあったと推論するのが普通です。伝わらなかったのは、当時の社会がそうした宗教観を許さなかったのであり、それは説法する側の問題ではありません。そうした辺りの事象に対する著者の評価軸も伝わってこないんだよな。

 比丘尼教団を考えるなら、組織論をきちんと踏まえないと駄目でしょう。そういう意味で、森章司らの『原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究』の方がはるかに現実的なアプローチをしているように思えました。

Kazari