書評


書籍選択に戻る

[普通] 中村元(1989)「中村元選集 決定版 第4巻 チベット人・韓国人の思惟方法」春秋社
中村元(1989)「中村元選集 決定版 第3巻 日本人の思惟方法」春秋社
中村元(1988)「中村元選集 決定版 第2巻 シナ人の思惟方法」春秋社
中村元(1988)「中村元選集 決定版 第1巻 インド人の思惟方法」春秋社

 昔、中村元の仏教本はかなり読書していましたが、批評を書いたのを契機に読み間違いがあるといけないので、選集 決定版を再読しました。以前、読んだ時は私がまだ若かったことと中村元が晩年に書いたものを中心に読んでいたこともあり、評価は「普通」と低くなりました。開発経済学の専門的勉強や言語学、文化人類学などの読書が不十分だったようです。

[良書]竹内好[編集・解説](1963)「アジア主義」筑摩書房

 それに上記書物の大川周明の論文「安楽の門」という自伝の中で行っている宗教分析の方が年代も古く、内容も中村元より上等です。なぜ、そのようなことになったのかを以下、論評してみたいと思います。

 まず、中村元の言語に関する調査力の広範さは真似できるものではありません。白川静のような中国研究者や中村元のような仏教学者らの博覧強記ぶりにはただ脱帽する他ありません。この選集版の第一巻から第四巻までは東洋人の思惟方法という副題がついています。言語の特性から思考パターンを見出そうという面白い試みですが、その中で、特に信頼できる分析手法が1つあります。

 具体例は第二巻57-8頁になりますが、「かつてインド文化との交渉のあった時代に、シナの学問僧あるいはインドに往復した巡礼僧は、インドの文法学を知っていたにもかかわらず、ついにその影響をうけてシナ語文法学を樹立しようとする試みは成立しなかった」「シナにおいて、文法学を樹立する試みがあらわれたのは、西洋文化を移入したごく最近のことである。」と書かれています。異なる文化との交渉という明白な歴史があり、特定の技術に触れたにも関わらず伝播しなかったというのは、確かな特徴を抽出する際に役立つ方法です。したがって、ごく最近まで、中国の知識人一般は文法学に興味がなかったか、もしくは自国の会話手段に満足していたことを意味します。または既に存在していた固有文化の粘着性が高く、他国文化を受け付けなかったとも解釈できます。しかし、この方法で分かるのはその程度のことに留まりますが、中村元はこの手法から多くを推論し過ぎています。ちなみに上記では「中国の古代語が非論理的」という結論を導いています。

 この分析手法はより適切に用いれば有効と思われ、中村元には基礎研究としてインドのサンスクリットを分析して、他の西洋古代語には幅広く見られるが、サンスクリットにない単語を抽出して欲しかった。同様にサンスクリットにはあるが中国の古代語にはない単語を抽出して欲しかった。そうすれば、もう少し後世の分析の手がかりとなったでしょう。残念です。

 文法学が当時移入されなかったのは、中華という言葉にあるように自国文化に自信を抱いていたからだと思いますが、特定の技術が移入されるには、単にその技術が理解されるかどうかというより、社会的な必要性に根ざしていることなどの要件を満たさなければならないはずで、その技術の粘着性みたいなものを考えないといけないわけですが、そうした方面への踏み込みが中村元には見られません。

 それから、中村元は日本語が非論理的との立場のようですが、1.抽象的な内容を指す単語を、名詞で具体的な事物と抽象概念を区別する方法に乏しいとか、2.インドのサンスクリットからの翻訳の難解性を理由に、非論理的と言っています。そこから何でも抽象概念を具象物に置き換えるシナと同様の思惟があって、文脈も主語の省略が多く、抽象的な哲学的な思惟を論理的に展開するのが苦手と結論しています。読んでいて、実は中村元の書く文章自体が、哲学を論ずるのに適当な方法で書いていません。

 まずはじめに、宗教の分野における経典の内容が論理的か否かという価値判断をするにあたって、少なくとも、宗教と論理性の定義の検討をする必要がありますが、それが出てくるのは、第三巻の終わりの方です。中村元は論理的な文章を書くには、主語を省略せずにきちんと言葉の定義を与えて、論理展開することの必要性を訴えているので、選集とはいえ、中村元自体が、誤った手法で構成しているのは気になります。それから中村元は宗教の定義が西洋的なもので、曖昧としたまま、きちんと定義を与えていません。大川周明は明快で、「宗教はとりも直さず安楽の門である」という彼自身の言葉で定義を与えています。更に、先行の宗教研究者であるカント、ヘーゲル、シュライエルマッヘルの宗教の抽象的な定義を解説し、彼の考えがシュライエルマッヘルの考えに近いことを説明した上で、当時のさまざまな日本人の宗教観が理解できるようになる事を、石原莞爾などの具体例で持って説明していて見事です。

 また、大川周明の文章を読むと明治の時代の人々が自らを容易に天に通じて宗教的な安楽を見出し、現代的な客観的な立場から見れば無反省に、天皇の統帥権を簡単に侵犯しながら行動していく宗教感情というのが、どういったものなのかを読み取れると思います。一方、中村元は、このような日本人の宗教感覚を万物一体感を求める精神性ということで説明をし、靖国のような際立った事例は明治からであるが、潜在的にはかなり古い伝統ではないかと指摘しています。

 インドのカースト制度の記述を読んでいて違和感があるのは、おそらく中村元がインドの時間感覚や抽象性を差別的に捉えすぎた結果と思います。日本をはじめ、東洋西洋を問わず、程度の差はあっても産業革命以前は、職業の世襲化や差別は明確にありました。近年、インドでの平等化が十分な速度がないことを理由に、思惟方法にその解を求める著者の考え方がよく伝わってきません。特定の技術は産業革命のような衝撃があれば、技術として移入されますが、文化の粘着性は意外にしつこいものです。例えば、現在の日本でも千葉県の特定地域では、数十年住んでも墓を売ってもらえないなどの現象が残っています。保守的な地方に行くほど、差別は残存する傾向にあります。第一巻のインドでは農業生産性について言及が見当たりません。第三巻には風土などの影響によって日本と仏教の受け止める土台が異なる事を認めていますので、やはりこの選集の構成には難があります。

 粘着性に関連して、中村元の変化速度の捉え方が歴史性を無視し過ぎています。日本でも江戸末期まで士農工商の身分差別はあり、餞民も存在しました。インドでもし今後、更なる経済発展の必要性から、平等を求める勢力に力がつけば、ある時点で劇的に変わる可能性も捨てきれません。日本も黒船襲来から開国という大きな衝撃から、劇的に変化したわけで、それまでは、士農工商の差別は徳川の治世400年に及ぶわけです。この事例から比較するならば、日本とインドは150年程度の差です。開国直前には尊皇攘夷などの国内で戦争状態になります。そういう社会的な費用を払った上での平等実現でした。武力を伴わない民主活動による差別撤廃となると、日本ではアイヌの差別を考慮しなければなりません。アイヌを差別した1899年北海道旧土人保護法を廃止したのは1997年で、差別法を撤廃するのに約100年かかっています。同時に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」を制定し、政府が過去のアイヌへの行いに対して国会で謝罪し、アイヌ人を先住民族として決議したのも2008年6月6日とつい最近のことです。しかし、1997年の法律は、アイヌ側のアイヌ新法の提案を骨抜きにした内容です。インドとの程度の差は見つかりません。

 アメリカの奴隷解放は南北戦争の結果、名目的には満たされますが、実際はマーティン・ルーサー・キング牧師らの公民権運動の進展を見なければ、一向に南部での差別はなくなりませんでした。1960年代ようやくケネディ政権下でようやく実質的改善に向かいました。アメリカの速度:1865年の憲法上の平等から1960年の実質的平等に向けてまで約100年から比較して見れば、インドの速度:1950年に憲法上の平等なので、2050年までに実質的平等に向かうとなれば、アメリカより早い進展となります。こうした速度に関する視点は、中村元に皆無です。すぐに平等化した方がいいことは百も承知しておりますが、アンベドーカルにも一言しか触れられておらず、差別温存的との考えにはあまり冴えが見られません。

 差別の問題は難しく、右傾化が進んだ経済的困難な時代に元経企庁の官僚原田泰ごときが、財務省にいるからかもしれないが、就職先(有効求人倍率が1)があるなら恵まれているなどと発言するに至ります。派遣法なんて基本的人権(雇用保険や年金などに加入する権利)を制度的に差別する仕組みで、国際的競争を名目に雇用主を甘やかす制度に他ならず、憲法に抵触しているかもしれないのに、経済学者はすぐに人間を見ず、仮想的な経済的合理人という存在しない抽象物を基準に判断するのは、恐ろしいことです。何も抽象性を土台に論理展開によって得られる政策提言が、論理的か否かで良し悪しが判別できるわけではありません。この辺りに関しても中村元は「論理的=善」といった安直な価値判断をしているように見受けられます。

 アメリカでも世界的な右傾化にともない、アファーマティブ活動というかつての差別に対する賠償としての黒人などへの優遇政策が、白人差別だとして禁止になってきています。黒人差別を温存して、財産を収奪した期間に比べると、アファーマティブ活動はあまりに短命です。一度ついた経済などの格差を埋められる制度というのは手段として限られており、アファーマティブ活動か相続税などの資産課税の制度程度しかないんじゃなかろうか、と思いますが、・・・。日本でもいまだに地方間の賃金差は大きいが歴史的使命は終わったとして、2001年1月5日まで北海道開発庁や沖縄開発庁がなくなりました。沖縄開発庁は地雷対策庁にでも改変できなかったのかという疑問が残ります。

 中村元には「形而上学=善」もしくは「形而上学=進歩的」という価値判断を持っているようですが、こちらも疑問です。一応、第一巻のインドの199頁に「「いかなる言語も、そこに内含されている論理的構造なしにははたらくことができない」というシタールの結論に賛成して、東西比較研究のための問題は、種々多用な言語の論理構造を解明し、それらの諸言語をメタ・言語において比較するような研究をする事であると考えねばならぬであろう。」と書いています。しかし、中国の分析が著者自身の言に当てはまりません。

 インドで時間間隔が乏しく、暦が発達しなかったのは気候・風土の影響が大きいと想像します。第三巻ではこの点に触れられています。いつ種をまいても農産品の収穫に影響がないなら時間を制御する経済的な誘因はありません。緑の革命では化学肥料の投入のタイミングから、相対的な時間が重要になりますが、この頃になるとさすがにインドも時間をきちんと考えるようになるわけで、それはやはり、強力な経済的誘因とセットになって、ようやく変化するものなのではないかという思いを強くします。インドの思想自体が最終的に喜捨などを通じて悟りを開く事にあるとはいえ、実際の行動を見る限り、別段、豊かになりたい欲望がないわけではないはずで、気候風土などから簡単にできないから思想的に安寧を得る方法を探ったと考える方が、人間の営みとして自然な気がします。既に述べたように大川周明のように宗教の目的は安寧を得ることにあると考え、そのように定義して、論理展開すべきでしょう。

 技術や文化は一度定着すると粘着性を発揮します。日本でも技術的に優れていても、ビデオでSonyのβテープは敗れました。中村元がこれを書いた頃は、まだインドが高度成長を続けるなどと考えられていないから、少し割り引く必要はあるでしょう。しかし、文化の粘着性とか、普及率によって必ずしも最高の技術が移入されない事は注意を要します。習得費用を賄える程度の付加価値がついていないと変化を促すには十分ではないためです。だから、インドの仏教経典の哲学的考察が優れているように見えても、それをチベットのように比較的直裁に導入しなかった中国などが劣るわけではないのです。

 中村元の用いる価値判断基準が西洋的、二分法的、二元論的なので、いまいちインドの一元論評価として適当か判断がつきません。それから、もっと一元論から演繹で出てきそうな諸特徴は秩序だって論を立てた方が成功したでしょう。例えば、一元論が正しいと仮定すると、自然を二分法的に捉えた結果である客観的自然世界における秩序など観念として喪失しているのは当たり前な気がします。同様にインドの一元論はブラフマン(宇宙の根源原理)とアートマン(自己の本質)を同一とみなすため、そこから自然との一体感を求めるのは普通ですし、「表層の自然=混沌」と見ていたはずで、そこから「夢」と「現実」の同一視なども生じるはずです。またインドの一元論は人間の認識の限界を明確に意識しているのだから、何の努力もなしに悟りに至らないし、分類を分けて現象を考察していくことも本質的とみなしていないため、自然科学が発展する余地が乏しかったことも論理展開から導けそうです。

<2009.6.9記>

 その後、第4巻を図書館から借りて読む。第1〜3巻のどこかにチベットの経典はほとんど逐語訳で、中国や日本のような意訳がないと書いてあったが、それとはかなり異なる訳の変更が行われていたと指摘されている。中村元の書く文章は論理的じゃないなぁ。

 一個人でこれだけの仕事をするのは大変なのは分かるが、第4巻の韓国人の思惟方法の後は、ほとんどが言い訳の類で必要ないものである。第1〜4巻の中には、自分が成長途中の考えも含まれているとの主旨の記述があるが、もしそうであるなら、読者のために、どのような判断の変化があったのかを書くのが親切というものである。

<2009.7.10記>

Kazari