[普通] Albert E Kahn[著]吉田秀和・郷司敬吾[訳](1991)「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」朝日選書
ユダヤ人家系の著者Albert E Kahn が、パブロ・カザルスの平和運動家としての功績を一部歪曲した書物である。特に94頁は捏造であろう。この種の手の込んだ逸話によってユダヤ人に有能な人物がいると情報操作することがユダヤ人の著者物に共通の顕著な特徴である。もしパブロ・カザルスが本当に94頁に記載されているような事を言っていたのなら、彼の平和運動も二束三文の値打ちになってしまう。また、このように書いては、ユダヤ主義者の著者が、自己責任を回避して、サシャ・シュナイダーを悪人に仕立ててしまうし、こうした悪意のある書き方は、反ユダヤ主義を生み出しかねない。引用文自体を以下掲げておく。
私は指揮の最中に「プレイ・ジュヴィッシ」(ユダヤ人のように弾きなさい)と言う。
サシャ・シュナイダーは私に言う。「ねぇ、ドン・パブロ、あなたは本当にユダヤ人だ」と。私の両親がカトリック信者だったこと、私がカタロニア人であることをいくら言っても彼は聞き入れようとしない。愛想よく頭を振りながら言う。「いや、それは違う。あまたはカタロニアのカトリックの両親から生まれたのかも知れないが、実は、あなたはユダヤ人ですよ。第一、ユダヤ人でなくて、そんなふうに弾けるはずがないですよ。」そのように誉められるのはとても嬉しい。だが、私はサシャにどんな法則にも例外はつきものだと言うのである。
パブロ・カザルスは骨のある平和運動家である。一部の国家や民族が優れていることを完全に否定しているカザルスが、「〜人のように弾け」と言うのは主義に反しているし、論理的に矛盾もしている。また、アーリア民族を特別視した優生プログラムで悪名高かったヒトラーによって、ユダヤ人・ジプシー・同性愛者・身体障害者が虐殺されたが、これに反対し、ファシストであるフランコ政権によってカタロニアを追われたカザルスが、サシャの優生学的発言に寛容であったはずがないのである。また、ユダヤ人が、こうした優生学的な言辞を繰り返すから、反ユダヤ主義を招くのである。ユダヤ人が本当に優秀なら、援助なしにイスラエルが、一人あたり実質国民所得が一番になっていなければならないだろう。しかし、この思想に基づいて多くのユダヤ人同朋が死んだにも関わらず、ユダヤ人はどうして自分たちが優生であると信じ、優生学に執着するのだろうか。
<2009.10.05記>