書評


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[普通] 平井宜雄(1971)「損害賠償法の理論(東大社会科学研究叢書)」東大出版会

 門外漢にとっては、同一の法律用語の解釈の歴史的変遷の例が多数表示されている点が特に印象深かった。以前に書評に書いたと思うが、アナール派の歴史物でも、判例から生活史などの歴史を再構成する方法はとても有効な方法なのではないかと述べた。この本を読んでいると、言語学の分野において、法律に関する一部の単語にも、判例による特定の単語概念の解釈の変遷が、辞書以外の方法で明らかにできる場合がありそうである。一般的に抽象概念を含む単語の意味内容の歴史的変遷を知ることはかなり困難であることが予想されるだけに、少しばかり期待してしまう。

 損害賠償法は、法学と経済学や経営学の協力が必要な分野と思われるが、本書を読む限り、経済学・経営学的な視点は著しく欠落している。その原因は法学者にあるのではない。経済学も経営学も、損害額の測定に役立つような一般理論を持っていないことが原因である。

 本書とは別の独占禁止法の本を読んでいても、同様の印象を抱いてしまう。三輪芳郎などの一部の経済学者がこの問題に取り組んだ時も、再販価格の維持が不公正であるという程度の問題であった。本来、独占禁止法は財閥解体後、再び財閥が形成されないように政治的に作られた法律である。しかし、独占禁止法の経済学的理解は、完全競争を促進することが主たる目的と言われている。現実には、この法律が、完全競争の促進としては、ほとんど機能してこなかったことが問題である。90年代くらいになって厳格適用の動きもあったが、持ち株会社の容認、非正規雇用の拡大などが進展したお陰で、逆に、市場では不公正な取引が横行しているのに、この法律では対抗できていない。

 経済理論的にも、独占禁止法を後援する理論はあまり整備されていない。例えば、市場の独占を計測する方法は、1.独占度、2.異なる業種の平均的なマークアップ率と独占企業とのマークアップ率との差、などあまり大した測定基準が存在しない。

 さまざまな経済的な制度によって、大企業が優遇されている場合も少なくない。投資促進制度、電子競争入札、雇用助成金制度などは、大企業の方が利用しやすくなっている。

文藝春秋[編](2004)「東大教師が新入生にすすめる本」文春新書

 上記に記載されていたので読んでみたが、感心しなかった点は、損害賠償の本書は理論のための理論といった観が否めないことである。特に事実的な因果関係は主観的な価値判断であり、因果関係は複数存在するから、理論上、あまり問題にならないようなことが書いてあるが、公害訴訟や薬害の裁判を鑑みると、とても違和感のある議論に思える。こうした訴訟では、たいてい科学的根拠として、因果関係も、当時の知識として故意もないことを証明して、被害者に不利な判例が多かった歴史がある。最終的に裁判に勝った時点で被害者の大半が死んでいては法律としての意義は少ないだろう。平井宜雄はこの点、非常に楽観的態度を445頁に開陳している。理由としては、科学的知見を利用しなくても、事実的な因果関係の設定はできるなどを挙げているが、こうした判例としては貨物引換券に関する公害や薬害と関係ない判例を挙げている。また、暗黙に科学者の知見は正しいことが多いと仮定しているようにも見える。

 こうした楽観論の背景には、概して、1.科学に対する安直な信頼、2.経済学的な考察の欠如などがある。第二の点について説明しておこう。一般に公害や薬害の場合、加害者側は、豊富な知識を持っている。経済学ではこれを情報の非対称性という。被害者側は、なぜ被害にあっているか正確に知ることは困難であるから、被害の救済も抽象的に求めざるを得ない。加害者側はどの程度の損害になるか科学的知見でもって知った上で、訴訟で補償しなければならない額より小さい額ならばそうした資金を使用して賄賂を科学者に渡してでも改竄した科学的検証を出してでも勝訴しようとする誘因がある。

 平井宜雄は、こうした事実を過小評価もしくは全く考慮できていない。損害賠償法の法理念として、被害の救済を図る意図があるならば、法学者として意見を書いておいてほしいものである。こうした事実的因果関係を論じた箇所は、最後の方の数頁に過ぎない。

 法律の立法化は、その当時の社会的な状況から作成され、改正されるまでの期間は、救済の意味もあって、実務的に解釈拡大で対応しなければならないことは、損害賠償法に限らないはずである。そうであるならば、その理論の変遷の研究は、中心的な課題についての理論化では意味がなく、どのような解釈拡大の道が正当足りうるかを検証することの側にあるはずである。実際に刑法でも、明文化されていない犯罪で、殺害などが行われた場合、殺人罪として裁いている。本書には、どのような解釈拡大の道が正当足りうるかという意識が明瞭でない。立法当初の法律の成立意義も大事かも知れないが、実際の社会の要請に応じて、何が求められているのかをよく見る必要があるのではないか。

<2009.12.10記>

Kazari