[悪書] 吉川弘之(2009)「本格研究」東京大学出版会
村上陽一郎の推薦本には良書が多いのだが、これは例外であるし、東大出版の書物としても極めて低質なので、びっくりしました。本書の背景に村上陽一郎氏自身の関わりがあることも残念でした。
著者は工学出身のようですが、科学の本質を無視した議論が多く、単に自分の所属した団体の宣伝に紙面を割いているのも疑問でした。著者によれば、ポスドクのあり方も自分のような既に地位も収入も安定した人物からは、(ポスドクを買い叩ける)制度自体は良いが、雇用安定がないのはよろしくなく、それは運用の問題だそうです。
普通の労働経済学の感覚では、制度自体が悪いんですが、中身が「本格研究」じゃないから、他分野の文献調査も怠って自説を主張したものと思われます。著者自身は、本書において、現在の研究者は、他の分野の緊密な連携を取って調査研究すべきだと主張しているので、著者自身がその主張内容を守る気がないような始末になっています。
また、科学の本質は客観性をできうる限り取る事、現在の科学で言えば、それは客観的計測に基づくということに尽きます。これは必ずしも科学が客観的であることを保証するものではないことは著者と同じ立場ですが、そうは言っても主観性が重要というわけではありません。現代科学の本質の方は客観性の方にありますが、この点も、科学のアイデアは直観なども重要などと主張して曖昧にしています。直観は哲学的な内容をもつもので、これで科学を定義するなら、著者の言う「本格研究」など錬金術の類と変わらなくなってしまうでしょう。そのため、著者は、科学者の不正に関して蒙昧な見解を陳述する羽目に陥って、最先端の本格研究と不正を区別するのは難しいなどと主張しています。
質的なものを量に変換する際に生じる問題はベルクソンの哲学でも論じられていますが、現在の科学が取り得る立場とはおよそ逆の結論しか出ません。要するに、科学で扱える範囲ではないのですが、著者の工学的頭脳では、その初歩的な認識の問題すら意識できていないようです。あまりに低質で真面目に論じるに値する箇所がなく、この本の出版に関わった人の常識を疑いたくなります。
本書では、データ解析も行いたかったが、時間も費用もないみたいな事が書かれていますが、解析したところで、著者に不都合な結果しか得られないでしょう。本書を読むと、産業技術総合研究所は不用の機関と判断せざるを得ません。
<2010.4.10記>