書評


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[良書]山村修(2006)「<狐>が選んだ入門書」ちくま新書 607

 最近、良書の書評を書いていないので読んだ本。狐シリーズで、はずれたことはない。安心して読める作者である。一人の著者から一冊を紹介するのに複数読み込んだらしい跡も見られ、一介のサラリーマンが書く水準としては並外れており、いつも感心する。ここで紹介されている何冊かは読んでいるので、読み込みの確かさも伝わってくる。

 前回の本も「必読書150」を意識して書かれたことが書いてあったが、この本の「はじめに」には、「入門書」の定義が人により、結構異なっているのではないかということに触れた上で、普通の「入門書」の定義は、その分野の原典を読むのに必要な階段の役割を果たすものと指摘している。それを狐こと山村修自身は、手引書と定義し直した上で、自分が紹介するのは、手引書になっていても構わないが、むしろそれ自体、一個の作品として感銘を与えるものを指して呼ぶと書いている。最初にことわりも丁寧に書いてあり、タイトルも「読書術」のような誤読はされる恐れがまったくないもので、文章も読みやすく優れている。

 福田和也のような出鱈目な本の後に読むと、より一層の清涼感がある。柄谷行人[ほか著](2002)「必読書150」大田出版については、その当時読んだ限りでは、自分の専門分野と哲学などの本は原典(訳本含む)で読むことが多く、特に感銘を受けた記憶がないが、それほど変な推薦本はなかったように記憶している。

[良書]佐田公子(2008)「古今集の桜と紅葉」笠間書院

 小林秀雄の講演CDで、山桜の普及に尽力した人物の話を聞いた時から、桜関係の書物に立て続けに縁がある。たまたま読んだ雑誌に今橋理子「桜再生プロジェクトの試み」という記事があり、学習院大学の桜保存プロジェクトの様子を知った。それまでいわゆる山桜のよいものしか、浮世絵の版木には使われていなかったが、このプロジェクトに賛同した浮世絵作成会社は、使えるかどうか分からないが試しに普通のソメイヨシノを版木に使った話が書かれていた。浮世絵の版木にはこれまで伝統的に山桜しか使われなかったことなど、この時はじめて知った。版木の彫り師によれば、やはり普通の山桜に比べれば癖があり、扱いは難しいとのことながら、使えない水準ではないそうで、樹木の保存から動き始めた情熱から、伝統技術への挑戦とつながるあたりが面白いなぁと感心したことを覚えている。そんな関係で、ちょっと手に取ってみていろいろ面白い材料が提供されていそうだったので本格的に読んでみた。

 古事記や神話や万葉集にある程度ゆかりがあれば、この本は非常に親しみやすい。読んでみたいと思っていた日本最古の漢詩集「懐風藻」や最古の勅撰漢詩集「凌雲集」からの引用もあり、興味が増してしまう。良い本に出会うと、さらに読書欲が増進されてしまい、時間不足に陥る難点がある。

 日本と中国の文献をいききしつつ、比較的に丁寧に引用が行われており、参考になる。正岡子規や本居宣長のせいで「古今集」理解が遅れたことは、さまざまな本や言語学者の小林英雄の本を通じて知っていたが、復権がどのようになされたかは知らなかった。佐田公子の著作動機は本書の「はじめに」に書かれているが、「古今集」の復権なども簡単に触れられていて感心した。普通に読んでいるだけ、新たな知見が加わっていく。しかも、その見解が推論の域から定説に至るどの程度の確かさかが分かるように書かれている箇所も多く、これが大変ありがたい。

 肝心の「古今集」の歌の解説も丁寧である。作者の素描、歴史的に分かっている所を適切に抜書きし、歌の解釈については、意見の割れているものは複数解説した上で、自分の解釈を表明しいている。当時の品種は山桜で、江戸の後期から普及した染井吉野とは異なるが、現代の山桜が200種ばかりにのぼり、色もほんのりと紅いものから純白のものまであり、開花と同時に新芽が出ることも解説されている。

<2010.8.28記 9.24一部修正>

Kazari