[低質] 一川誠(2008)「大人の時間はなぜ短いのか」集英社新書
最近、時間関連の書物の読書ついでに読んだ本。結果から見れば、がっかりな内容である。脳学者の系統の人は、概して哲学理解が浅いなぁという印象を裏付ける結果となった。ここで紹介されている哲学の時間の捉え方は、8割程度間違っており、そのため正しい理解を推論することすら不可能な形でしか提示されていない。定義の提示の仕方や論の進め方もうまくない。また、表題に関連する項目も少なく、現代の時間の過ごし方に私見を述べたかっただけといった感じである。
著者によれば、物理的時間と時計の時間が異なるらしいが、まともな説明がない。時計の時間は、過去の1秒も未来の1秒も等しく1秒と考えるから、等質化されていると表現される。書く必要がないが、この事は特異点がないということを意味している。だから均質化されているといえば、特異点うんぬんは書く必要がないし、数学が嫌いな人に分かりにくくするだけだろう。また物理学的な時間の定義もまともに書いていないが、単一方程式で逆関数を取れるようなものを想定しているようだ。いずれにしても、後の議論に影響しないし、時計の時間と大差ないので、時間の捉え方がたくさんあって難しいかのような誤解を生む叙述は好ましくない。
また、哲学では、時計が刻む時間は、時間が均質化された空間として把握されるという考えが、Bergson以来ほぼ共通認識となっている。Bergson流に表現すれば、これは人間の錯誤に他ならないが、科学はこの方法を取らざるを得ない。一方、哲学は直観を使って把握すると考える。著者は、この哲学の直観による時間の把握を時計の時間と勘違いして本書を執筆している。違う立場の哲学でも、観念を信じるのかとか基本的な立場の違いはあるが、用語法については大差がない。つまり著者は哲学を誤読している。
また、論述の方法が稚拙である。「こういう事例がある→細かい点は分かっていない」という記述が列挙されている。普通は「細かい点は分かっていない→こういう点は分かっている→(したがって正確な事は今後の科学の発展を待たねばならないが、)別の観点などを総合的に捉えると、私は 〜 だと思う」という記述にして書くものだ。時間と関係ない知覚の錯誤、特に錯視について割いているのも的外れである。
参考になるのは、聴覚(音)、視覚(光)に関して、人間の(音または光の)知覚の処理時間は、音の方が光より早いということくらいである。同じ距離での到達時間は音より光の方がはやいが、かなりの近距離(例:50cm)で光と音が同時に発せられると、先に音を知覚するらしい(本書60頁)。
体内時計および体内時計の調整に関する分子生物学などの紹介や実験心理学の研究を期待するなら、この本を読んではいけない。時間の無駄である。
<2010.9.23記>