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[トンデモ本] 中川淳一郎(2009)「ウェブはバカと暇人のもの」光文社新書

 正真正銘のトンデモ本です。いやすごいな。プロの執筆者を名乗る資格すらないこの超低水準度。久しぶりに自分がプロだと勘違いしている職業家の書いた本を読みました。(自称)編集者の中川淳一郎の日本語が下手糞の極みなのはともかくとして、1.取材や調査を一切しない、2.自分の被害妄想からの罵詈雑言、2.妄想から偏見による不特定多数のネット住民に対する一方的な批判が本文で延々と続いています。「ウェブはバカと暇人のもの」と題して、批判しときながら、「中川淳一郎は暇人じゃないと自称しているだけのバカ」ということが判明する本です。きちんと「はじめに」に書かれていませんが、「ウェブ」=「ウェブ2.0」(双方向のブログなど)限定のようです。

 「はじめに」の所で、ネットの汚い日本語の書き込みに不快感があるから、ネット関連本をひたすら読みまくり、ネット上の「普通の人」「バカ」に対する批判を書くと宣言してます。この人にとっては十数冊程度で、ひたすら読みまくったことになるそうです(引用自体は6冊程度)。普通3桁読まないとこんな誇大な表現をしてはいけません。「ネチケット」を知らない書き込み水準の文章です。それから、本文にも定義がないから分からないけれども、著者にとって「普通の人」とは、ネットリテラシーのない人限定みたいです。読み手がプロでも意味がきちんと伝わらない、いい加減な日本語を使うあたり、この人の文筆家の水準は著しく低いことが「はじめに」で判明します。

 本文に入ると、中川はネットの特質「匿名性」を無視して議論しています。それから、プロの編集者であれば、ありとあらゆる分野に精通するために豊富な読書が不可欠なのですが、中川は現実に対する知識がかなり欠落しています。

 まず、自分のネット記事に対する批判の数々を「怒りの代弁者」として、当事者でもないのに直接に怒りを表現すること(電話をすること)は間違いであると主張しています。直接、非難の電話を入れるまでするかは兎も角として、怒りの表明も表現の自由に入る基本的な人権であり、特にweb上で(プライバシーに反しない範囲で)表現されているだけなら、問題のない行為です。それから、テレビでも同様とありますが、基本的に新聞登場以来、観察される社会現象でもあります。ネットの特質かのように言うのは筋違いで、投書の匿名性や電話の匿名性に由来する社会現象で、これらの事もプロの編集者なら常識の話です。かつては、新聞に専門家が匿名で投書なんて事はざらにありました。歴史に関する書物に書かれている内容だけに、中川の知識のなさ、分析力のなさが第1章で露呈しています。

 第1章では、「かくして、企業も個人もネット世論にビクつき、自由な発言ができなくなっていき、企業の公式サイトはますますつまらなくなっていく」のだそうです。この箇所は自分の感情を無批判に世界に拡張した「自意識過剰」な文章でうんざりします。実際には、web上のLivedoorのニュース(2008年頃千代大海が引退する前)に「魁皇は引退すべきだ」という低質なニュース記事が書かれたりと、ネット世論がそもそもあるのか知りませんが、そんなものとはお構いなしに「自由」な発言が行われ、今日でも奔放で悪質な記事が多いのが現状です。好角家から見れば、2008年時点で相撲の記録を詳細に調べれば、「魁皇>>千代大海」なのは常識の部類だから、その常識を覆すだけの根拠を示して自説を唱えないといけないのだけど、それがない記事でした。新聞も低質化が進んでおり、これからも、もっと低質で無秩序な「記事」が増えていくのではと危惧しています。大手の新聞の社説で見ても、日本語自体が下手糞になってきており、ネットの記事はあまり見てないが、ほぼ新聞と同様の傾向が見て取れるのではと思います。

 中川は阿保なので、派遣の人に対して詳細な取材もせずに「45歳で貯蓄ゼロってどういうことよ?」などと言うことが許される社会が、自由な社会と勘違いしています。自由の意味、分かっているのかな。自由の行使には責任を伴うものなのだが、・・・。まぁ、思想の自由があるから、脳内でそう言うだけなら憲法で保障されていますし、表現の自由があるから、綿密な取材に基づいて、特定のAという派遣の人物に対して、その奔放な生活が齎した結果なら、特定のAに対して「45歳で貯蓄ゼロってどういうことよ?」と記者の感想を書いても、さして文句は来ないはずです。しかし、この場合でも、別の人も取材せずに、Aだけあげつらうのは何故かという質問には答える必要があります。お馬鹿な中川君のために書いておくと、この質問の背景には、「記者には社会の公平性を一方的に蹂躙する特権があるのか」という問題意識があるからです。

 だから、不特定多数の派遣の人というイメージ全体について、何の根拠もなく、「45歳で貯蓄ゼロってどういうことよ?」と書いたら、それは誹謗中傷以外の何者でもないということになります。この辺りの区別をする教養すら、中川は持ちあわせていないようです。それにこの本が書かれた2009年くらいなら、既に、1.バブル崩壊後に学生から正社員を目指したが職がなかった、2.現在も派遣をしながら正社員を目指しているがなれない人が多数いる、ということがアンケート調査などで判明しています。

 悪意を汲み取られない美しい日本語を書けない不器用な中川は、第2章で、自分の技術不足を棚にあげて、何の分析も経ずに、「ネットはプロの物書きや企業にとって、もっとも発言に自由度がない場所である」と結論してます。現実は厳しくて、ネットに限らず、取材力、情報収集力、分析力、日本語力のない書き手や話し手は、発言に自由を感じることなどできません。これは会社の会議などでも同じで、要するに中川には技術がないから、発言の自由を確保することができないのです。

 第2章の本文で、自分の書いた記事にクレームが入った時のことが書かれていますが、被害妄想からネット特有の現象であるかのような幻想を中川は抱いています。少しでも会社勤務経験があったり、読書量が豊富だったりすれば、右翼、左翼を名乗る団体(本物の右翼、左翼とは限らない)から本の購入をしつこく電話で脅迫されることなど知っていて当然の世間知ですが、中川は編集者であるにも関わらず世間知らずのため、現実世界でより古くからある社会現象と、ネットができてはじめておきた社会現象の違いの本質が分かっていないのです。飲食業であれば、「やのつく自由業」な方から、その方面の言葉では「みかじめ料」を、公認会計士も認める項目名で言えば「額代」を請求されます。これらも会社登記などを公表していること、双方向性から来る社会現象で、ネットよりはるかに古い歴史があります。

 そして愚かなことに、クレーマーの脅迫に屈して記事を取り下げたそうです。普通、クレーマー対策本を一度でも読んでいれば、「一度脅迫に屈するとさらに要求がエスカレート」は常識の部類ですが、その事すら知っている気配がありません。編集者として未熟というよりは、ここまでくると「バカ」の水準、そうした人物が自分の無能をさらけ出していることに気付きもせず、自分の初期対応のミスをクレーマーに責任転嫁しています。いや何ともはや、中川のこの「自意識過剰」な所が中川の言うところの「2ch」の住民そのものです。

 webで記事のコメント記入に制限を設けたことについて「一部のバカによって全体の楽しみが奪われる結果となってしまったのである」と支離滅裂な内容を書いています。この人の結論はほとんど意味不明の愚かなものばかりですが、現実の世界でも「悪貨、良貨を駆逐する」局面は極めて多いのが現状です。そしてこれも匿名性に由来する現象ですし、その対策も普通の健全なものです。それを障壁みたいに考えるのがすでにネット中毒者と同じ歪な発想で変なのです。internetの創世記に、大学院生が利用するnewsというコミュニティがありましたが、ここでも無闇に罵詈雑言に発展するので、本名記名化が議論されました。そして、大学院生以上の学識者が利用する本名記載のnewsですら、ときどき罵詈雑言に発展したのでした。中川もinternetの創世記から利用してきたと書いてますが、よほどの健忘症か、嘘つきなんでしょう。

 中川の本では、104-5頁の「ネットで受けるネタ」だけが分析といえなくもない経験則です(第4章の5項目は該当しません)。これは鳥越という自分より有名人のニュースサイトを批判した後で書かれた部分です。

 第2章では他にも、ヒアルロン酸の自己注射についてネット記事を鵜呑みにして注射した人を悲劇の人扱いしているのが中途半端です。そもそもこの人はネットリテラシーのない人になります。つまり著者自身が批判の対象とする側の人間でしかないはずですが、自分の都合でここでは悲劇の人扱いにしています。「45歳で貯蓄ゼロってどういうことよ?」などと派遣の人に一方的に言いたい中川が、なぜ、自分でヒアルロン酸を注射した人に「より信頼できる友人などに相談しないってどういうことよ?」というスタンスにならないでしょう。結局、綿密な取材を割愛したいという下心が、真実から目を曇らせているようです。

 だから、こうした事例も「ネットの声に頼るとロクなことにならない」というサブタイトルをつけるような事柄ではなく、単に匿名性の高い情報は、自分でその内容を正しいか吟味する技量がなければ、信ずるに足らないということなのです。対策は複数の媒体から情報を得ることや、専門家(この場合は医師)の見解を聞いてみるなどです。中川には対策無しの「ネット」への恨み節が多すぎます。

 第2章には、分析も結論もない単なる書きっぱなしの低質な文章です。「雑誌で見た」、「新聞で見た」はなく、「テレビで見た」が圧倒的に多いという指摘などです。考えれば分かるでしょう。雑誌、新聞だと図書館で調べられますから、「いつ何で?」の質問が可能ですが、「テレビで見た」なら「どうせ調べられないのに知ってどうする」と切り返せるからと想像します。本を書くなら、そのように書き込んで、きちんとその理由を探った上で文章を書くべきでしょう。そうした努力が微塵もないので、この辺は単なる紙面稼ぎになっています。

 第3章では「ネットで流行するのは「テレビネタ」」と題しそれから中川は見ているネットが偏向しているから、著者物、週刊誌や新聞に対するブログ記事を意図的に見落としているようです。128頁で「ネットに対して影響ない」と断定しています。「ネットに対して影響ない」という文章で何がいいたいのか良く分かりませんが、その時期の週刊誌の記事の題名に期待して読んで損したといった感想は、その記事の題名を検索すればすぐに見つかります。単に中川が関心が薄くて読んでいないだけというよりか、この部分では「ネット」=ほぼ「2ch」で書かれています。自分の書く都合にあわせて、定義域を変えるのは下手糞な文章書きがすることです。

 第4章は、ネットとはこういうもの(158頁に5項目)と断定することで、無能な中川が働きやすくしようと野望を抱いて設けた章です。妄想も多いです。ネット記者などまともな情報記事を発信することがなく提灯記事ばかりと思っている、本書で言う「頭の良い人」から「スタッフだけで販促サンプル食べてるんじゃないの?」と問われて、「勝手に邪推するとは、これまた味わい深いコメントである」というのも、中川って本当に自意識過剰なバカです。

 途中からうんざりになってざっくり読んでしまったので、読みぬけがあったかもしれませんが、文章は誰にでも分かるように書くべきです。PVは最初にPage Viewのことって断って書いてないと思います。

 第4章にはひとつだけ例外的に事例研究があります。ネットプロモーションのお手本「足クサ川柳」のサブタイトルの内容(199-202頁)です。つまり、この本で、読むに耐える内容は、104-5頁、199-202頁の5頁だけです。

<2011.7.18記>

 記名制にしたNewsでも、罵詈雑言を防げなかったことは、その当時から、匿名性だけでなく、別のコミュニケーション不足の要因が指摘されました。よく言われるように、Face to face ではないので、微妙な意味合いの是正を瞬時に行えないため、悪意に解釈した感情のまま、書いてしまうようなことが多かったのです。そのため、internet創世記には、誰もがネチケット(Networkのエチケット)を守るように心がけたし、文字から感情を読み取ることは極力避けるような風潮も、ほんの一時期はありました。これはinternetの特徴、好きな時に書き込めるといった特性に関わることなので、参加者がきちんとしていないと、大きな欠陥のひとつとなります。

 この辺りのネットワークリテラシーは現在でも完全に不足しています。

<2011.8.18追記>

Kazari