書評


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[良書]高橋伸夫(2004)「虚妄の成果主義」日経BP

 私は開発経済が専門なので、経営学の方は適当にしか見ていません。多くの経営学者の論が10年持たない新語の構築に無駄な尽力を注いでいるように見えてしまうため、一部の経営学者の本しか読みません。経営学の中で、現在の所、実証研究のやり方から結果の読み方まで一番信頼できる人が高橋伸夫です。この本を通じて、行動経済学にも明るいことを知り、なるほどと思いました。経済学の一分野、労働経済学者が軒並み、経団連の立場から「労働移動力の弾力性」という下らん建前のために研究を行っている惨状を鑑みると、最近は経営学の方が健全かも知れません。この本によれば、社会調査をして、きちんと結論しているのに、当時の大家と言われている学者が、理論の誤読に基づき執拗な非難をした結果、海外デビューした経緯など書かれていて、その辺りは経済学の実情とさして変わりませんが、経済学だと学者がこの手の本を大手から出版することすらできません。最近では、ちくま新書で「ダメになる会社」とかも書いているので、そちらも良いかもしれません。現在読書予定の本として積まれています。

 自民党小泉政権時は多くの労働者の職場環境を劣悪にし、労働差別の温床になる非正規雇用を社会保険に加入する権利をはく奪する形で、一方的に労働者に負担を強いました。この際に、竹中平蔵金融担当相は、国会では派遣法の改正が「労働の流動性を高めて、その結果めぐりめぐって雇用も増大させ、賃金も上がる」という趣旨の答弁をしていました。検察が随意契約の委託研究に纏わる収賄でも見つけたのか、突然、議員を辞めた直後には「私は間違っていた」という本を書き、その半年後には、やはり「自分の構造改革は格差の原因ではない」、国会答弁とは逆に「あの派遣法の改正には反対だった」とテレビで嘘をついていました。その後、さすがに見かけなくなりましたが、そのテレビ放送をしたマスコミも竹中平蔵氏と同罪です。彼の嘘をつく胆力というのは、政治家向きだと思いますが、経済学者としては失格です。さすがスーパーマン待望論者のSchumpeterなんぞが好きだというアホな人らしい。

 多くのワーキングプーアが生み出され、国内消費の低迷に拍車をかける結果になっている事は、統計にも表れてきていますが、小泉政権時も、今日になっても、まだ格差は世代間で吸収できるとか言い出すアホな労働経済学者が多いのが現状で、情けなくなります。ジャーナリストでは、竹信美恵子が岩波新書に「ルポ 雇用劣化不況」とか書いていますが、経済学者では一人もいません。高橋伸夫の足もとにも及ばず、ジャーナリスト以下です。大竹らは恥じ入るべきでしょう。

 脱線が長くなりましたが、この本は、いわゆる成果主義は役に立たずに、かえって企業の生産性を落とすことにつながるという事を明快に説いています。年功序列体制でも十分な賃金差があった事実を、同じ課長という名称でも、部署により格や賃金は明確に違っており、出世レースを通じて、能力の高い者がその地位についていたことを指摘したりしています。例えば、普通の多国籍企業で、営業部で地域毎に課があり、アフリカ課長と北米課長なら、一般的に取引量や取引額が多い北米課長の方が重要でしょう。普通に差があったにも関わらず、微々たる差を小さな賃金差にすると、高い給料をもらってんだからとチームワークが乱れ、居心地が悪くなると言っています。分かりやすい事例としては、「個人の成果が反映されないゲームメーカーで、ひとつ当てたゲームクリエーターが独立したものの、新しいゲームの開発に入る度に、スポンサー巡り、これまでの実績のアピールと、ゲーム開発に集中できない」事例があげられていました。予算がなければ思うようなゲームが作れずフラストレーションがたまるため、結局、その人は成果を給与に反映させない元の会社に再就職したそうです。人が働く動機は賃金だけでは決してないということが明瞭に説明されています。また、人が人を評価することを科学的に行うことが不可能だからこそ、年功序列賃金のような生活安定型の賃金体系がある。だから、安定な賃金体系に戻せと主張しています。私のような開発経済学の人間、現行のワーキングプーアを取材するジャーナリストらが共通して持っている「安定賃金による労働者の消費があれば、内需主導型の景気回復は強固となり、それが国の繁栄につながる」という見解と一致する考え方をしているわけです。

[良書]中村哲(2003)「辺境で診る 辺境から見る」石風社

 開発経済学を志す人には、中村哲の本は、早いうちに読んで欲しい本のひとつです。どれも秀逸な内容を含んでいます。この本は雑誌投稿をまとめただけらしく、重複がそれなりにありますが、テキストには決して書かれない示唆に富む内容が書かれています。私は、一か所だけ同意できないところがありますが、それは、農村の賃金にかかわる箇所です。彼は過酷な環境でも低賃金で云々というのを夢想していますが、私は逆に、本来の市場経済が健全なら、誰もがやりたくない職業の賃金は高くなるべきなので、彼とは逆に学者や医者や経営者は、権限や動かせるビジネスの大きさなどが好きでやっているのだから、こちらが低賃金であれば、農業高賃金でも社会は安定すると思ってます。ただ知識人や金持ち連中が既得権益を永続化させたくて嫌がるけど、理想社会を夢想するなら、自分の好きなことをできる人は低賃金、やりたくない肉体労働にあえぐ人は高賃金で何の問題もないはずです。

 これは突飛おしな結論ではなくて、普通に労働市場の賃金から得られる個人の満足度曲線を平準化させれば、導ける結論です。だから、そこらに跋扈する(自称)市場原理主義者の方は、労働市場に関して、何らかの二重基準を使っています。同様に、機会の平等と結果の平等を分けられるというのも幻想に過ぎないので、本来の市場原理主義なら、新規参入者は必ず同じ条件で参入してしかるべきです。その理論的帰結となる政策は、相続税100%です。ケインズもこの辺は自覚していると思える文章が残っています。ここでも、巷にはびこるエセ市場原理主義者は、たいてい相続税ゼロか、定率相続税を主張するので、ここでも二重基準を使っています。

<2011.9.16記>

Kazari