[低質] Dan Ariely[著]熊谷淳子[訳](2008)「予想どおりに不合理」早川書房
Matteo Motterlini[著]泉典子[訳](2008)「経済は感情で動く」紀伊國屋書店
「予想どおりに不合理」は問題の設定が予想通りに不合理
タイトルから哲学のパラドックス問題に典型的に表れる問題設定が悪い事例集だろうと予想したが、その通りだった。私が読んだ行動経済学関係では一番低質な本のひとつである。未来ある学問分野が阿呆によって見放されてしまうことになりかねないだけに、こういう本を訳すのはやめて欲しいものだ。
おとり選択肢というのがはじめに説明されている。英週刊誌「エコノミスト」が次のような販売セットをだしたということだ。
- 1.Web版の年間購読料59ドル
- 2.印刷版の年間購読料125ドル
- 3.Web版と印刷版のセットの年間購読料125ドル
あらかじめ、選択する集団を統一するために、ネット環境を使える学生、しかも、大学図書館で印刷版を閲覧できる大学生に限定して調査したそうだ。結果は、1が16人、2がゼロ、3が84人。そもそも途上国の一般教養的な家庭で実施していれば、web版を利用するコストが相当高くつくから、2しか選択しようがないかもしれないし、「3のために2の料金が高いのでは」と苦情を言われる恐れすらある。経営的にセンスがあるというよりは、弱者切り捨ての論理が働いている経営戦略でもある。私なら将来のエコノミスト愛好家を減らす効果もあるこのやり方は推奨できない。
しかし著者によれば、1と3だけの選択肢なら、1が68人、3が32人となるから、2をおとりにすればエコノミストの出版社が儲かる見事な経営戦略なのだそうだ。
一般に前提が違えば、消費行動は異なることは驚くべきことではない。著者には驚くべき結果でも理屈があれば何の意味もない実験である。結論が合理性がないからとか、相対的基準で選んだからとか言われると、本当かなと疑いたくなる。私が大学生なら、1と3の選択肢でも、1と2と3の選択肢でも、図書館での閲覧やコピー料金やその手間暇と比較して選択する。要するに選択肢の外に比較標準があると行動は変わらないが、選択肢の中に比較基準を置いた人は、選択肢が選択肢間の相対的評価になるから、選択肢の種類で行動が変わるという事ではないだろうか。もし評価を変えたのが52人(=84-32)で、変えなかったのが48人なら、何と比べたか質問してみたいものだと思う。この種の選択問題には暗黙の仮定が多い。予算は十分あると架空の議論でいいのかなどなど。
逆に言うと、結論を導くにはあまりにも実験が甘い。要するに相対性の話は、実験内部にしか評価基準を置けないように細工をすると、その細工通りのおとり効果を得られるという事に過ぎない。でもこれは当たり前な気がする。家の購入にしても、選択肢以外の所に、客観的評価基準を持たない人に客観的評価ができるはずがない。そのような事例をいくら積み重ねても、不合理の証明にはならないでしょう。それよりも、市場経済のいう効率性が実現されるには、消費者が消費する財やサービスについて、選択肢間の相対的評価では駄目で、選択肢外に客観的評価がなければ機能しないという事なら当たり前だろう。つまり、完全競争下のすべての情報が価格に反映されているというのは、そういう状態を補償することでもあるはずだ。
そのように考えて、改めて上の例を見ると、完全競争が完全に成り立たない価格設定がなされていると気づく。だから、不合理な価格設定の下で、完全競争的な消費者の行動が見れなくても当たり前なのでは、という疑問もわく。56頁には有意性を表示しない相関係数だけが提示されている。無料については、次の書物に書いた予算制約を無視した議論をしている(典型的なのは95頁)。
無償援助と低額ボランティアの差については、いろいろな要因がある。仮に普段の時給より低いと本人のプライドが傷つくといった心理的な要因もあるが、お金をもらってボランティアしていると、ボランティアを受ける側に明白に敬意が失われるという経験則もある。このような複合的要因から無償援助が好まれるようになるが、著者の分析は稚拙なものだ。これ以降も、似たようなものなので、読む気が失せるような代物だ。
「経済は感情で動く」は、問題を感情的に決めつけると不合理という事例集
この本は、書き方が前の書物以上に低質である。「パート1 日常のなかの非合理」で、次のような事例がはじめに書かれている。冗長表現は無視して内容だけ引用する。
- 問1.事前にチケットを購入していたオペラ会場に行く。入り口で二万円のチケットを紛失したことに気付く。この時、あなたはチケットを買い直すか?
- 問2.オペラ会場に行く。入り口でチケットを買おうとする。上着のポケットに入れていた二万円を紛失したことに気付く。この時、あなたはチケットを買うか?
著者によれば、問1も問2も経済的には同じなのだそうだ。私はこの考え自体が間違いという事に気が付かない著者が愚かだと思う。反例は山ほど思いつく。会社の損失として1万円があったとする。貨幣に色はついていないから経済的価値は同じはずだとここで思い込みをするのは無意味な事である。その損失をもたらしたのが、営業部である場合と、経理部である場合どちらも同じ対応(行動)をすることに合理性などあるはずがないからだ。著者は、「経済学では、貨幣の尺度は同一として扱う」という理屈を拡大解釈しすぎているのである。NHKのテレビでもドラマ仕立てで経済用語を説明する低質な番組で、同じミスを犯していたから、これは素人には見抜けない類のデマと勘違いされているものなのかもしれない。
上記の場合を考えてみよう。問1のように2万円のチケットを紛失したことに対する行動は経済学的にどう考えるべきだろうか。私なら学習効果の側面から検討する。オペラのチケット紛失に対する自分が課する罰則として、何をすれば一番学習効果が高いかという観点から行動する。一般的に戒めとして、オペラをあきらめる人が大半だと思う。一方、2万円の貨幣の紛失の場合はどのように行動するだろうか。大好きなオペラを諦めれば、貨幣の消失を防げると考えればオペラを見ないだろう。しかし、普通の人は貨幣の消失は別手段を講じて対応するのが最善だと考えそうだ。例えば、「お金は財布などに入れて移動する」「事前にチケットを購入する」などの行動が考えられる。そのうえで、チケットを購入してオペラを楽しむだろう。どちらも学習効果の観点から見れば合理的な行動である。
上記のような事例を不合理と捉えるのは、問題設定が不合理だからである。これらは哲学の問題であり、そもそも、問題を作る側の論理性に起因する。だから著者は馬鹿だと判断できるわけだ。実際に、経済的な問題を考える上で、哲学的な思考が不足する例を私は数多く見るようになった。説明されれば自明なことも、書かれていると分からないのでは、NHKをはじめとする教養の低さに危機感を抱かざるを得ない。
もうひとつだけ見ておこう。事例として(計算を楽にするために)1000円だけすべて増額したが、著者の設定した問題の質は変更していない。。
- 問3.気に入っていた携帯電話1万円を買おうと並んでいた。友達に歩いて10分の店で9000円で売っていると教えてもらった。この時、あなたはどちらの店で製品を買うか?
- 問4.大型液晶テレビを20万円を買おうと並んでいた。友達に歩いて10分の店で19万9000円で売っていると教えてもらった。この時、あなたはどちらの店で製品を買うか?
著者によれば、問3も問4も経済的には同じなのだそうだ。予算制約を無視した議論をしている。1万円の予算の時の1000円は予算の10%、20万円の時の1000円は0.5%に過ぎない。絶対額が同じなら同じ価値というのは合理的解釈とは限らない。のどが渇いてしょうがない人が自販機で120円の缶を買おうとした時に、著者のような輩に「100m先の店で90円の同じ製品があるから、のどの渇きを我慢して100m先まで歩くべきだ」と言われれば、うんざりするに違いない。
著者は後者を相対的事例と捉えて、お金の価値が絶対的ではない事例として、この2つの事例をあげている。しかし、問1と2に関しては、貨幣の絶対的解釈のままでもして合理性を説明できる。つまり、著者は、消費行動の理論の基本すら理解できていないのである。我々は、消費行動の結果を見ることはできるが、その結果に至る前の、消費者の効用最大化部分は見ることができない。満足度を満たしていれば、100m先の店に行く前に自販機でのどの渇きをうるおすのである。この後も延々とこの種の下らない問を考え付いては書くというお粗末な内容で辟易してしまう。
全文引用するのが面倒なので省略する(47-50頁)が、この選好の問題については解釈が根本的に間違っている。他の事例同様、リスクに対する論理性が、経済学では弱いのだが、著者も同様で、この宝くじの配当に関しては、リスク選好が無視して議論されている。
問20の期待効用の話(92-3頁)は同様の事例が前書にも出てきたが、供給面の期待効用だけを見るから間違いが起きる典型である。需要面のリスク選好を見れば端点解もあり得るのだけれども、両者ともに、著者の経済理論の理解が浅いために、著者が間違ったことを主張する結果になっている。
ケース6-7は実質賃下げの話(120-1頁)、同じ実質下げ幅2%でも名目が高い方を選ぶという。私は経済学者として、名目額が高い方を選ぶ。何も貨幣錯覚があることを認めているのではない。マクロの物価水準がインフレ4%でも、財の消費の中身を変えることで、2%程度に抑えられると考えるからである。名目2%の所得増で相殺できると考えるわけだ。名目2%減でインフレゼロ下で、消費バスケットをマイナス2%にすることの方が難しいと考える。要するに、マクロのデフレ下では高額製品がデフレ傾向で引きずられているなら、実質賃下げを回避する手段はなさそうだが、マクロのインフレ下で高額製品がインフレ傾向の主要因なら、名目所得の増加の方が、高額製品を買い控えたり、消費財の中身を調整すれば、実質賃下げの部分の回避が容易であることは経験則として成り立ちそうだからである。
問37エイズのような確率では、度数分布を考えるのが一番効果的だ(161-5頁)。実際に問37の解説ではそうしているのに、教訓では違うことを書いている。この事については、2009.10.12の書評に書いたので、そちらを読めばいいだろう。この本よりはるかにまともな事が書かれている。これ以降も、似たようなものなので、読む気が失せるような代物である。
あまりに上記2冊がひどいので、行動経済学系でまともな本を紹介しておく
上記のような馬鹿げた本を読むくらいなら、
Ross M.Miller[著]川越敏司[監訳](2006)「実験経済学入門 完璧な金融市場への挑戦」日経BP社
あたりを読めばいいと思う。やはり、まともな本ほど訳されにくいらしい。
<2011.10.25>