[トンデモ本] 大竹文雄(2008)「格差と希望」筑摩書房
たぶん高橋伸夫が経済学者に攻撃的になる理由のひとつかな
私が想定していた以上に、労働経済学者風情が、労働市場の実際の労働者すら見ずにいろいろな発言を行う嘆かわしい状況になっているとは思わなかった。
いろんな不適切な主張をしているのだが、冒頭から、例えば、「非正社員への規制強化への政策変更は、単に失業を増やすだけである。」(14頁:2005年4月24日日本経済新聞)とデマを述べている。後の2006年12月23日の週刊東洋経済の記事の転載でも、「第三に、解雇規制の強化は、雇用調整のための費用を高めるので、設備や機械と比べた労働費用が相対的に高くなることを意味する。そのため、雇用量そのものを減らして、設備や機械への投資を増やすか、生産量を減らすことになる。」と嘘を書いている。そもそも不景気の時は完全競争のような状況にないので、上記のような経済学の教科書的な状態にはならない。実際には、好景気ですら、企業はそのように行動しない。逆に、解雇規制が緩和されていたとしよう。大竹の言うようにその場合は労働の調整費用が安いので、不景気になれば簡単に雇用数を減らすことで、企業財務を改善しようとする。ちょっとした不況で、大量な失業者を生みだすことになり、不健全だ。
現実に、日本で派遣法が改正されて何が起こったかを見れば、大竹の嘘は明らかである。解雇規制が緩和された派遣法の改正によって、安易な雇用量そのものを減らす行為が横行したのだった。労働基準法にいう正当な理由が、不況下では安易に認められやすいため、正社員すら非正規雇用化への強要や解雇が横行した。では好景気ではどうだろうか。「企業は労働者の新規採用を渋るのではないか」と考えたのなら、心配には及ばない。もし企業統治がまともにできていたなら、企業が利潤を増やせるのにその機会を自らみすみす失うことになる。そんな事を行うはずがない。市場が健全に機能しやすい好景気の時に、雇用量を増やして利潤を増やせるのに増やさない行動をよしとする投資家などもいるはずがない。
もし好景気に雇用が増えないなら、"健全な企業統治がなされていない"、"市場が機能していない"ことを疑う方が健全である。ここでも、大竹は市場が健全で、制度が悪いと主張するだろうけど。どういえば、経済学の素人の皆様にもピーンとくるか分からないが、景気の調整を、労働者だけに負担させる規制緩和がまともなはずがないと言えば、何となく雰囲気が分かるかなぁ。大竹は景気の調整を、企業の無駄な経費の削減や、新製品の開発などに求めないで、安易に労働者に負担させる制度が健全と考えているわけだ。労働経済学って、労働者のための経済学かと思っていたが、大竹にとっては違うようだ。
不景気に雇用規制が強化されれば、短期的に失業が減り、マクロの消費の下支えにもなるから、ミクロの企業財務が短期的に悪化しても、マクロ全体では良い効果が上回ると考えられる。いずれにしても、不景気に雇用規制を緩めて、経営者だけに飴を与えても、マクロ経済に良い効果は与えられない。典型的なモラルハザードになるだけだ。ましてや、経営者が雇用を守る程度の規律を統治できないで、まともな企業統治など望むべくもない。リストラにおびえる社員が長期的に、その会社に尽くす見込みも成り立たない。企業が自分を評価している間は仕事をするが、少しでも高い評価をしてくれる企業があれば渡り歩くような状態では、企業の長期的生産性が落ちることも目に見えている。それが普通の経済事象をつぶさに観察する人の考えである。同じことを高橋伸夫が書いていたはずだ。
不景気や経営者の経営の失敗が、安易にリストラで改善できるようになれば、経営の質が落ちて、日本の国際競争力が低下するのみならず、労働者の地位が脆弱になることで、内需主導の経済成長という健全な経済成長路線が取りにくくなるだけだ。
アメリカ経済の低迷も、発端が経営者と末端従業員の賃金差や雇用条件格差にあるようなので、日本と同じ2-30年不況の道を確実に歩み始めている。日本がアメリカの後追いをして、社内賃金格差を拡大しても、景気が回復する見込みはない。そういえば、大竹は「統計的根拠がない」派であるため、失業者があふれても、ワーキングプーアがあふれても、労働の流動性が高いことは必要であるとか、寝ぼけたことを主張する輩だった。経済セミナーの労働特集号で、コーポレートガバナンスについて対談で、「労働の流動性が高いことは必要」とか述べていた。だから、年功序列が崩れる中でも、高齢化が所得格差の主要因とか言うし、明確な資産格差は現在の統計では追い難いことを専門家として熟知しているから、その統計上の諸事情を利用して、情報操作されたのでした。
こういう御用学者は、総人口が大して変化しない中、13年間自殺者が高止まりしている現在の社会現象をどのように理解してんのかなぁ。
NHKあたりでテレビ報道された通り、海外では、失業前に、企業が就業支援を徹底して再就職先を確保しないと安易にリストラできない国もある。日本よりはるかに強力な社会的な規制が取られているのであるが、企業側からも問題だとする意見はないそうだ。その国のある企業の労働組合長が、NHKか何かのテレビインタヴューに答えて、「簡単にリストラできるという部分だけ日本企業が聞きつけて見に来る」ことを皮肉っぽく答えていたのが印象的だった。労働経済学者のくせに知らないんだろう。
カルロス・ゴーンは日産から去るかもしれないが、経営陣の所得と同じ企業内の一番低い所得の比率(経営陣の所得/同じ企業内の一番低い所得)を現在の1/4程度にすれば、日本は実質4%の高成長だって簡単だろうと思う。最近読んだKrugmanの本に、同じ内容が指摘されていて笑ってしまった。この件についても大方の経済学者は、企業が不景気にもかかわらず、内部留保をため込んで、株主への配当や役員報酬を増やしているのではないかという指摘を統計的証拠がないと無視してきたんだよね。亀井が役員報酬1億円以上の開示を決めた時も100人もいないと財界も学者も言っていたが、倍以上いたのでした。当然、その割には株主への配当も増やしていなかったし、失業者も出したしという事で、株式市場を通じて企業統治などできないことが露呈したのだった。それでも企業統治が機能するように、という制度変更の議論すら行われなかったし、現在もその気運すらないわけだ。
行動経済学の一分野で、被験者にfMRIを使って調べた研究などをよいしょしているが、健康な人に、医療目的以外でfMRIを使うことは健康被害を生むだけである。即刻止めるべき性質のものだ。さすが囚人の前頭葉を切る手術を行った野蛮な国アメリカとあっけにとられるが、もう少し常識をもって発言するべきだ。
2005年4月24日の日経新聞には、井堀利宏の「年金を個人勘定に移した上で、支払った保険料を自分の親の年金給付にあてる」(週刊ダイヤモンド4/9)という俗悪なプランを面白いといい、同年11月27日は同氏の「個人勘定の積立方式への移行が最善」(論座12月号)を支持する内容を書いている。前者は子供を産めない障碍を負う人を侮辱する制度だけど、これを面白いという感覚がすでに人でなしである。また、後者が最善というのに、若者が未納するのは、既得権益への打破とデマを書いている。日本の年金制度を破綻させたいアメリカの資金提供でも受けない限り、こういうデマは書かないものだ。現在の年金未納者は、将来、積立に移行した場合には年金資格はく奪の対象にしかならないはずだ。それを知っていて謬説をまき散らしているのである。その腹黒さがよく分かるから言語道断だ。そもそも医療にせよ、年金にせよ、払いたくても払えない人が多いのに、それを既得権益者への反乱みたいに書くのは、社会現象を正視することすら放棄するやり方であり、学者以前に人間として許しがたいものがある。
耐震偽装問題について(83-8頁)はただの紙面つぶし。専門家の育成としても無策に近い。住宅ローンを1990年以前のアメリカのようにすれば解決する問題と言われている。サブプライムローン問題を起こす原因など取り除いた1990年以前の(住宅ローン証券化が不可能な)ノンリコース型ローン(担保資産以外の債務返済義務がない)の制度を念頭においている。日本では債務が家屋などの市場価値を上回る場合に、負債が残り、すべてのリスクを債務者が負担する制度だが、アメリカでは、債務不履行の際の担保価値の減少や、購入直後の耐震偽装リスクなどは銀行が背負う制度になっている。
災害保険税の提唱は意味が分からない。国家の基金が枯渇したらおしまいにしていい制度なのだろうか。原資が枯渇する際は、どうするのだろう。1年間に大規模な震災が多発して、ある震災について基金を全部吐き出すつもりで支払中に、別の震災が起きたらどうするのだろうか。それに新たな制度創設は、保険であれ、年金であれ、既得権益になる規制強化のはずだ。大竹の都合で、規制と定義されたり、団塊世代の年金は既得権益で、若者世代の年金はセーフティネットと定義されたりでは、まともな議論ができない。
煩悩な大竹には、セーフティネットという制度の強化(規制強化)と規制強化は別物らしいが、私には日本語を話せない宇宙人みたいな印象しか残らない。大竹の文章を読んでいると吐き気がしてくる。失業者よりも、最低生活が営めない就労者がましという考えがない限り、成り立たない議論もある。また、2006年の発言で、若年失業を1990年代から2000年代はじめまでに限定する意味も分からないし、所得階層間移動の低下や累進税率・相続税の引き下げにも言及しつつ、所得格差の主要因が高齢化というのもいまいちである。そもそも相続税の引き下げは、1990年代の税制改革がはじめではないし。若年層に関しては、所得の低い所に張り付く形で相対的格差が縮小しても、幸福になれない。別の個所で、同年齢内の所得格差は学歴による差が主因と嘘をついたり、なかなか性質が悪い(学歴で説明できるという実証研究もあるが、説明できない方が多い)。
時々、就職氷河期だけは、職を作れなかった側が悪いとか、おべんちゃらが書かれているが不十分だ。好景気でも生活が成り立ちがたいが必要な介護の仕事に勤しむ者が報われなかったり、国家資格を取ったが制度が取りやめになったりでは、お話にならない。意のある若者、就労していても報われない社会であるならば、制度を改めるべきだろう。労働経済学者のくせに、何ゆえに介護報酬の値上げなど提言しないのかなぁ。現在の年金世代が得をしているとか書いている割に、まともな介護料を払わせるよりは福祉カット提唱の原田泰説を支持したり、社会保障を充実されることが大事だと正反対のことをいったりと大竹の提言内容は安定していない。所得が低くても資産があれば貧困者じゃないと別の個所で言っておきながら、親の資産がある若者とない若者の置かれている立場や格差に思考が及ばないのは何故だろう。
現在のデフレ下で、名目賃金引き下げに応じなかったから、就職氷河期だったみたいなデマ(151-2頁)を書いている。別の個所で、職を作れなかった中年の責任とか言っておきながら、やっぱり本気じゃなかったんだと唖然とする。たかが240頁の本で、正反対の事を数か所で書くのはやめて欲しい。この場合は適度なインフレを起こせない現在の民間企業の統治機構や政府の失策にも責任があるだろう。大竹によれば、この若者の就職氷河期の原因究明は、悪玉論なのだそうだ。原因究明しないと事故を防げないとかJRの事故の記事では書いていた。ここでも、大竹が自由に自分の都合で、原因究明が解決の妨げになるとか、解決につながるとか二重の基準を使っている。
大竹によれば、教育訓練が格差対策の基本らしいが、まず高学歴と高賃金が比例しないことが最近の実証研究の圧倒的多数である。高学歴と教育訓練の中身が違うとしても、教育訓練が要なら、その教育訓練大学についての提言がないのは違和感を覚える。また、所得資産格差がある中で教育訓練が必要というのなら、奨学金制度の充実も必要不可欠だが、具体的中身も提示せずに、高い費用がかかるみたいに書くのは専門家として恥じるべきだろう。専門外で頓珍漢な事を書く割に、専門分野でまともな政策提言がなく、他の人の政策の間違いだと嘘をつくだけでは、能力が疑われてもしょうがないだろう。
大竹は、ホワイトカラーや正社員の働き過ぎは自発的な場合に限定して論じている。名ばかり管理職や企業統治の問題を回避する姑息なやり方である。名ばかり管理職については、ホワイトカラー・イグゼクティブ制度の悪用とはっきりわかっている事例になるが、その問題を回避することで企業からお金をもらいたいのだろう。実にけしからんことである。
最後の方になって新機軸を打ち出している。大竹は、格差の議論は絶対基準で論ずべきだと言い出した。こう言うと、いくらホームレスが増大したといっても統計で確認できないとか言えると勘違いしたんだろう。分かりやすい絶対的貧困層の増加の数字は、生活保護世帯の増加である。また、セーフティネットにかかっているから貧困じゃないとか奇天烈な主張でもすんのかなぁ。生活保護世帯にすらなろうとしない層の増加とか、湯浅誠の「もやい」の活動とかどう思うのだろうか。教育論を振りかざすと、教育機会の均等さえ実現できれば問題解決と言って、他のすべての社会問題を無視する道具として、1980年代からアメリカで使われている論理だから、それにのっかたのだろうけど稚拙すぎますなぁ。
最低賃金の問題は、他の制度をいじくらずに、そこだけ強化すると、失業が増える理論モデルがあるみたいだけど、今回は、生活保護世帯の水準に合わせようというのに過ぎないから、単に勤労阻害要因を取り除く微調整に過ぎない。それなのに、現状を無視して、日本の現状と異なる理論モデルの結果を振りかざされてもねェ。
大竹って馬鹿な割に、原発についても発言している。本当に読売が好きそうな金のためなら何でも嘘をつく札付きの御用経済学者だなぁ。ゆるゆるでいくらでも安全対策して、電気料金の値上げができる制度だった東電に対して、福島第一原発の原子炉が古いままだったのは投資更新を促進する制度がなかったからだというデマをツイッターで流している。本書では既得権益をなくすことの重要性を説いた箇所もある。論理一貫性を持っているならば、原子力行政の既得権益を受けている東京電力の既得権益をなくせばいいのではなかろうか。それは原子力という既得権を廃止することのはずだが、原子力発電所への投資を更新すればいいとツイッターでいうということは、原子力に関しては二重基準を用いるということらしい。被災民並びに日本の国益に反する大竹のような輩は、アメリカのセラフィールドかビキニ環礁で永住してくんないかな。
この著書の例外はひとつだけあった。一貫して資産課税、相続税の増強を支持している。
<2011.10.29>