書評


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[低質] 東谷暁(2009)「エコノミストを格付けする」文春新書

だんだん質が落ちていく

 既に同著者の本で読んでいるのは、以下の本だが、だんだん質が落ちている。自分でいろんな経済学者の本を読んでいるというよりは、耳学問に頼っているためと思われる。それに財務省寄りの感覚に徐々に惑わされているようだ。
東谷暁(2000)「金融庁が中小企業をつぶす」草思社
東谷暁(2003)「エコノミストは信用できるか」文春新書 348
東谷暁(2004)「日本経済新聞は信用できるか」PHP
東谷暁(2006)「金より大事なものがある」文春新書 545
 特に、P.Krugmanに敵愾心を持っておられるが、日本のメディアが作ったKrugman像を非難しているのは滑稽である。Krugmanも、Stiglitzも、ともにPost Keysianと呼ばれ、Greenspanへの評価は低く、サブプライム問題以降のアメリカへの大ざっぱな政策提言の内容は同じである。

 そもそもP.Krugmanが、インフレ・ターゲットを言い始めた背景は2つある。1つ目は、日本の財務省官僚が、これ以上の財政出動はできないと主張した事、2つ目は、経済学者や日銀が、これ以上金融緩和すれば、ハイパーインフレが起きる可能性が高いと論じたことである。これに対して、Krugmanは、現在の日本は流動性の罠に陥っているから、量的緩和やインフレ・ターゲットを提唱しても、ハイパー・インフレーションが起きる状況にないという事を論じたのだった。多少は、財政出動ができないとおっしゃるなら、インフレ・ターゲットくらいは試す価値があるでしょうというニュアンスもあった。これに財務省お抱え経済学者が絶賛して、財政出動しなくても金融緩和、インフレ・ターゲットで、景気浮揚が可能だと歪曲してキャンペーンを張ったのだった。はっきり言って他国の事だから、Krugmanは、こうした流れを非難しなかったに過ぎない。Post Keysianは、恐慌に発展する恐れのある不況に対しては、「財政出動+金融緩和」がベストと常に言い続けている。日本の時も例外ではない。Krugmanの主張を真面目に英文で読んでいれば、日本語の偏向報道に気付けただろう。

 本書ではKrugmanが指摘した「輪転機を回す」の意味が著者に分かっていると思えない。まず、Krugmanの言う「輪転機を回す」行為は、日本では、バブル崩壊後、一度も日本は行っていない(旧紙幣が劣化した分の取り換え分は除く)。財務省が反対して実現していない。国債金利が上がって金融恐慌になると思っている節がある。日銀券の増刷の権限は財務省にあり、国会の承認を必要とするが、バブル崩壊後は一度も行われなかったのである。だから、他の日本の経済学者の案より、Krugmanの「輪転機を回す」が一番ラディカルな案である。もともと刷ってある日銀券の数量を変えずに、日銀がいくら国債を買って市場に貨幣供給量を増やそうとしても、量的緩和に踏み切っても、(はじめから上限が分かっているから)インフレもしくはインフレ期待を起こせる見込みは少ない。だからこそ、Krugmanは、日本の財務省に「輪転機を回せば」と言ったわけだ。この辺の流れを理解せずに、間違った解説をするということは、経済学の初歩的な内容も実は東谷には分かっていないのではないか。第9章あたりになって、2009年のStiglitzの説を日本人経済学者が「ヘリコプター・マネー」と論じていると紹介までしている。「輪転機を回す」という事と、「ヘリコプター・マネー」がほぼ同じ意味だと分かっていないらしい(どちらも日銀券の増刷を前提にしている)。両者の違いは、増刷後の紙幣の供給の仕方の差異に過ぎない。

 後段のエコノミスト格付けはまるで理解不能だ。Krugmanの説を捻じ曲げて「流行させただけの」経済学者どもが、流行の生みの親より高い評価になるなど、論理的にもあり得ないものだ。それに、Krugman とStiglitz との間には、Post Keysianが行う政策提言としては、大きな差がない。この点も両者の説を原文で読まないからだと思われる。それから、ロレンス・サマーズとKrugmanを比較して、基本的な経済学に差があると指摘しているが当たり前だろう。サマーズは、シカゴ学派に近い市場原理主義者で、政府規制はゼロに近いほど良いという信仰をもつ経済学者である一方、Krugmanは、ポスト・ケインジアンに分類される経済学者だ。こうした基本的な差異は、他にもいくらでもあげられる。経済学説史の類に書いてあることを意外のように言うのは無知に等しい。無責任なシカゴ学派には、フリードマン、ゲイリー・ベッカーなどノーベル経済学者がいるし、その反対とも言える側には、ガルブレイス、クルーグマン、スティグリッツといったノーベル経済学者がいる。

 しかし、日本の財務省とマス・メディアは、Post Keysianがここまで嫌いなんだなぁと呆れる他ない。そりゃねぇ少し左派的な要素がありますよ、ケインズだもの。ケインズはハーベーイ・ロードの原則を信じていたのだから、「お金持ちは社会に貢献すべきだ」という信条を生涯貫いた人です。ポスト・ケインジアンと呼ばれる人々も、同じ感覚を持って政策提言しています。今どきの能力の低い経営者や金持ち連中は、「社会貢献なんてとんでもない。私利私欲こそ社会を発展させるのだ」といった連中だから、Krugmanの説を捻じ曲げるのだろう。しかし、最近は、Krugmanと同じことを、Stiglitzが言い始めていると、東谷は知らんのだろうな。Stiglitzの評価は高かったから。

<2011.11.18>

Kazari