[トンデモ本] 鈴木亘(2009)「だまされないための年金・医療・介護入門」東洋経済新報社
鈴木亘が政治家・官僚のために国民をだますために書いた入門書
この本の冒頭で、無駄遣い程度では年金は破綻しないから、真の原因は少子高齢化であるとか、厚生労働省が現在の年金方式を「修正積立方式」と呼んでいることが問題だなどとデマを書いています。特に、後者は、2009年時点の書物としては、デマと断言できます。小泉政権時には現在の年金制度は「賦課方式」と厚生労働省はすでに開き直っているからです。それに、もともと「修正積立方式」と言っていた当初は手をつけていない積立基金に相当する部分がありました。名と実はあっていたのですが、バブル崩壊などを経験した日本は、政治家を中心に積立基金部分が枯渇する事態に十分な対策を取りませんでした。その間、官僚も抜本的対策をとりませんでした。取ろうとした部分は財界から反対されました。だから、年金保険の専門家だけに責任を求めるのは筋違いです。この本は冒頭の1章ではこのような暴論を掲げながら、詳細に説明すると書いた第2章では、「今から積立方式に戻すためには、政治家の大盤振る舞いや官僚の無駄遣いによって失われた積立金を、もう一度、国民が追加の負担をして元に戻さねばなりません」(96頁)と正反対の主張を行っています。少子高齢化が原因というのはどこに飛んでしまったのでしょうか。
第2章でふれる歴史事実を第1章で伏せて、少子高齢化が原因、その少子高齢化を低く見積もる人口予測が問題、しかし、予測というより未来投影意識のある人口学の人に責任転嫁をするのは気の毒という空想小説で、すべての責任を無罪放免にして、年金・医療・介護のすべてを積立方式に移行して、大増税すればいいみたいにいうのは非常に無責任です。ちなみに第2章でふれる歴史も間違っている部分が多いです。例えば、高額医療費制度は昭和30(1955)年には存在しているので、田中角栄が作ったかのように書くのは不適切です。この人は自分の説が正しく、他を間違っていると証明する時に、その証明を省く目的で、歴史すら捻じ曲げています。現実には、官僚の年金の2階建て部分を適正な水準に下げれば、財政的にも困難な部分は減ります。
年金の給付カットでも対応できないと書いてますが、2階建てを大幅カットすればある程度は対応できます。特に運用実績のない厚生年金が、過大な2階建てを作っていたのに小泉改革で一本化されれば、運用実績のない厚生年金が税金で救済されることを意味します。また、医療や介護を積立にするのは、政府の社会保障の観点からは間違っています。
少子の部分に関しては、これまで世界各国で出生率低下を止めるのに最も役立つ政策:「事業所規模の大きい企業の託児所設備の義務化」を図る政策が立案されました。自民党と経団連の反対により、廃案になっています。民主党は、イギリスで一定の効果があった次善の策である育児への給付金で対応しようとしましたが、財源不足を理由に官僚から、ばらまきだという野党自民党の批判から減額がなされ、効果は見込めなくなっています。いい加減に、子供じみた党利党略で、自分の政策だけ正しいみたいな足の引っ張り合いはやめるべきですが、自民党政治は二大政党制になっても一向に進歩していません。
少子化が解消すれば、増税も低くして福祉も得られますから、まず、少子化対策が重要です。その次に、年金の積立方式への移行が必要不可欠です。医療に関しては、高齢者への現役並み窓口負担をお願いする一方で、スポーツ奨励を行い、原則、高額医療費の制度は、低所得、低資産者限定の制度に改める一方で、医療費(窓口3割負担)で大資産家らから転がり落ちる人は、生活保護を充実させることで対応するのが筋です。保険の役割を抽象的に表現すれば、生活苦に陥らないためのものですが、本書の主張するような生活水準を保つための水準まで(金持ちが快適な生活を続けられるような水準まで)、政府が医療サービスの面倒をみる必要はありません。政府の健康保険は、国民生活を支える生存権を確保できる水準の医療サービスを行えばよく、高額所得者は贅沢したいなら、民間の医療保険と国民保険を併用すればよいのです。健康保険に関しては累進率が低いので、そのように言えます。また、小泉改革で、住民税主体に切り替えたから、所得税の累進化を図っても、以前に比べれば、高所得者負担は減っています。小泉以降、低所得者から高所得者への所得移転政策が数多く実施されましたが、その結果、景気がよくなるどころか、生活保護者を大量に出す結果になりました。
運営は政府ができなければ、民間でみたない寝ぼけたことも言っています。その事例に法令で加入義務があれば、自賠責のように民間だけでもうまく行くと嘘を書いています。現実には、未加入者やひき逃げ事件があり、その際には、政府の自賠責保険で賄うことになっています。また、郵政民営化の議論の際には、過去20年間で保険徴収者の不正額が問題になり、マスメディアが過熱報道しましたが、その累計額は、たかだか、銀行支店長が横領事件を起こすと数億円、厚生年金の役員の不正でも数億円の不正と、ほんの数件で同額に達してしまうような話でした。
平気でたくさん嘘をつく人だなぁ。保険に関しては、応益負担なんて簡単に言えません。リスクでいれば、高齢者ほどリスクが高いから、高額にする必要がある。だから積立にしてしまえという乱暴な議論みたいですねぇ。生涯保険でどうやって管理するのでしょうか?民間の健康保険には、たかだか全体で総額1000万円までとか上限が決まった生命保険(医療保険付き)しか存在していません。現在、政府が実行している国民皆保険には、窓口負担にならない7割部分に政府が支払う保険料としての上限など存在しません。医療技術が変化した場合、疫病の種類が変化した場合など民間なら倒産できますが、政府は破綻部分を常に税金で調整する必要に迫られそうです。それをもっとシンプルにすると、現在の国民皆保険(健康保険)のようなものになります。
また、高所得者ほど健康管理しなければ、あるいは高所得者ほど成人病患者が多く、そのせいで国民健康保険の支払いが増えていれば、高所得者ほどリスクが高いから、保険料を高額にする必要が生じます。その場合、応能負担と区別がつかなくなります。統計がないから確認できませんが、おそらく高額所得者の方が、負担している以上に健康保険利用費用が高いと私は感じています。本当に極貧の人は、健康保険料を払えず、体を壊してもすでに医者にかかれません。そして、先天性の障碍児が生まれる確率は高齢出産ほど高いことが知られていますが、高額所得者は平均的に晩婚です。私は低所得者のダウン症の子は全く知りませんが、一軒家を持つ大資産家のダウン症の子ならたくさん知っています。
著者は自分の都合で区別できる・できないといった問題について、二重基準を用いています。すでに上述したように、保険の応益負担と応能負担は現実には区別が簡単にできませんが、著者はできると言ってます。その一方で、年金については、修正積立方式を称していた時のように積立部分に相当する部分があれば、積立方式か賦課方式か区別するのは難しいと言っています。
著者は消費税の目的税が唯一の正解のように書いていますが、著者の提示した理由だけなら、逆進性のないあらゆる目的税が、年金の財源として正当化できます。逆進性の度合いが大きい消費税を押す理由は書かれていません。あるとしたら、低所得者の方が健康保険の利益が大きいはずだという統計的根拠のない信仰が応益負担のところで書かれていただけに過ぎません。著者は世代間不公平があると論じながら、現役世代の受取も減る現在の支給額の減額を善のように言っていますが、それこそ著者の批判する保険屋さんの発想です。現在の団塊世代の年金支給を減らすだけなら私も賛成ですが、今の現役がもらう側になったら増額の必要があります。そのため、私なら世代間負担も是正できる相続税の目的税化と積立方式への移行を提唱します。
164頁には、税方式か保険方式かの議論で、年金保険は保険とは言えないとまで言っています。確かに年金を積立方式にする場合、年金は国家による強制貯蓄制度に相当しますから、強制貯蓄の徴収方式は税でも保険でも大差はありません。きちんと論理立てて考えないと、こんな出来損ないな書物になるのだという典型例です。
177-180頁のコラムでは、パートタイム労働や外国労働者の年金加入も問題の先送りにすぎないと論じています。パートタイムは主婦層で、すでに高齢だからというのが理由にしても、外国人労働者は多くが青年だから、同じように論じられません。また、子供の時代(年金を払い込まない期間)がない意味では外国人労働者には即効性が一番あり、短期的にも長期的にも役立つかもしれません。だいたいこの論理で行くと、少子化対策も問題の先送りにすぎなくなります。
190頁には、病気をしない人に、保険料を戻す制度がいいと言ってますが、上限の定まっている保険で、民間に貯蓄型保険があるから、同じことが政府でもできると勘違いしたのでしょう。賦課方式の健康保険は、性質上、(病気にかかるリスクはあるが現在は)健康な状態にある人が、実際に病気になってしまった人を支える形で存続しています。だから現状の制度で、この戻し制度を入れれば、国民皆保険を破綻させる要因にしかなりません。保険料を戻す制度は、支払上限を設けて、かつ積立方式に移行しない限り、現実には不可能な制度です。
そして、政府であっても、支払上限のない積立方式を運営する能力があると証明することは不可能です。著者は政府が支払上限のない積立方式の国民健康保険を運営できると嘘を言っています。私は政府でも民間でも、支払上限のない積立方式の健康保険を運営することは不可能だと思います。著者は馬鹿なので、政府による支払上限のある国民年金と政府による支払い上限のない国民健康保険を、理論を振り回して同列に論じています。恐ろしいことに、著者にはこの基礎的な相違自体が理解できていません。それに健康保険の場合、今回の原子力事故のようなことがあると、高齢化以外の要因でがん発生率、白血病発生率、骨髄腫発生率が上昇する可能性もあります。国内全体で、生涯で発病する確率が増大する事態にも、積立方式にするために一度大幅に保険料率の値上げをして固定すると、著者の頭の夢の世界では、魔法のように調整されるそうです。年金に関しては1回限りの保険料率の大幅引き上げで対応できる可能性も高いですが、健康保険を含めると、その可能性は極めて低くなります。
さらに、この人は不謹慎にもアメリカの医療制度のように、民間主体で価格調整をすれば医者不足が起きないとデマを述べています。謬説をまき散らして、日本の健康保険である国民皆保険を破壊させたい意図があるようです。だいたいこうすると、医療費高騰を抑える手段がないので、生涯でかかる医療費は増大の一途たどります。市場価格を導入すれば、一度の保険料率の値上げで対応できる見込みがなくなります。著者はどれだけ錯綜した頭脳を持っているのか、かち割って覗いてみたい(冗談)。
医師が需給による価格調整で無意味な例は、すぐに指摘できます。妊産婦の多くが支払えないほどの高額な出産費用になれば、医師が不足している(供給)状態に合わせて、子供を産まないことにより、産婦人科医に対する需要が減ることで市場均衡します。しかし、現在より更に少子化になれば、年金も健康保険も確実に破綻します。証明終わり。著者のような市場による価格調整は、医療に関しては百害あって一利もありません。私なら、現在不足している緊急医療医師および産婦人科医に対して、政府による医療裁判に備えた職業保険を用意することで医師の増大をはかります。また、不正請求の多い(過剰供給の状態にある)歯科医の国民健康保険への請求の査定を厳しくして、違法請求には医師免除はく奪で対応する制度を設けます。
また、190頁には、喫煙者や肥満の人に対する追加保険料徴収を提案していますが、正しく運営できるのは、喫煙者のみです。肥満の場合、病気による肥満もあるので、その判断の部分で、不正の温床になります。肥満に関しては価格メカニズムではなく、別の取り組みで解決する問題と言えます。
ヘルパー不足に関しては、介護報酬単価が低すぎることが原因であるのは事実です。しかし市場価格にする必要はなく、介護報酬単価の引き上げで十分です。一番簡単な介護(一番安い介護報酬単価)を実施して、8時間拘束され20日働いて、月収30万円程度になる水準に引き上げれば、ヘルパーを常勤にして、家族を養えるでしょう。労働単価はだいたいこのように決める必要があります。これでうまく市場価格と合わないなら、その部分はどのように手当てするかをまじめに議論しなければなりません。著者は馬鹿だから、なんでも市場価格にすれば、速やかに調整がつくという信仰をお持ちのようです。試みに、消防サービスを市場価格化したらどうなるか考えてみたらいいでしょう。誰が命がけの仕事に公務員程度の給与で応じてくれるでしょうか。市場に任せれば、消防サービスは高級住宅街にしか供給されなくなります。要するに、この価格を議論する時に、著者には、医療サービスの一定ラインは、公共財として供給されるべきものではないのかという視点がすっぽり抜け落ちているのです。
年金の積立化の議論は、インチキ動学と言われる世代交代モデルに基づいているのはいまいちですが、他の諸政策と関係なく成立している部分です。著者でまともな議論は、年金の積立化部分だけに限定されます。
これだけ著者が馬鹿だと話になりません。経歴を見ると日銀に居続けるほどの能力がなくて、spin offした人物のようです。
こんな糞みたいな支離滅裂な本を、経済セミナーで「著者の理路整然とした文章に引き込まれ」たという書評を書く加藤久和も、同じく無能な人物です。元(財)電力中央研究所主任研究員だけなことはあります。
<2011.11.27>