[愚書] 小野善康(2007)「不況のメカニズム」中公新書
会ったことはないが、噂ではいい人らしい。しかし、ケインズの「一般理論」を読み込んでこれを書いたというのなら、愚書である。まず、ケインズとその後のケインズ派の大雑把な流れと、それぞれの政治的位置づけをまるで無視してまとめておられるのは非常識にすら感じる。例えば、New Keynesianという場合、新左翼と同じニュアンスがある。つまり、ケインズがばりばりの保守左派だとすれば、「New」はたいてい右傾化を伴う。新古典派はばりばりの経済右翼なので、New Keynesianは、ケインズ経済学の延長線上というよりは、新古典派のケインズ寄り程度の意味合いしかない。だから、不完全というよりは不健全なケインズ継承が多いという事実を無視されては、真のケインズ派からすれば、はた迷惑でしかない。そうした事情を無視しても、ばりばりに新古典派なイメージしかないGrossmanあたりが、New Keynesianに入るとは思わない。
それとケインズの一般理論の現代版を企図するなら、経済学者として最低限、J.Robinsonの資本論争に関わる論文くらいは目を通せと言いたい。ケインズとNew Keynesianに至る中間の経済学説史を全部端折って書くから不毛になるのだと思う。それらに目を通していれば、ケインズ自身が世界大恐慌時のイギリスの乗数が1.2程度と見積もっていたことなど知ることができたろうし、その事実を知っていれば、ケインズ経済学を乗数効果に拘り過ぎたなどと歴史的事実に反する批判を小野が行う羽目に陥ることもなかったろう。
ケインズを直接引用した箇所だけはまともである。しかし、その例も49頁くらい。要するに1頁程度の価値しかこの新書にはない。最近の理論家はとかく経済(数理)モデルで考えがちであるが、ケインズの一般理論の最も優れている所は、新古典派のように理論から統計数字を眺めるのではなく、現実の経済の実態から経済統計を読み解いて、理論化を試みた点にある。だから、失業などの統計の意味を問うし、需要の状態を問うのである。こんな下らん理論モデルの遊びをされては、ケインズが骨抜きになってしまう。
より具体的に批判しておこう。例えば、現在の日本の失業を考える際に、政府統計の完全失業率で考えることは、実体経済を無視することに直結する。橘木あたりですら、10%程度にしか見積もっていないが、政府統計は5%程度でしかない。しかし、「もやい」のような機関が丁寧に対応すれば、ホームレスですらそのほとんどが就労意欲を持つ失業者であることが判明する。もちろん、同じ人を対象に、学者がなおざりな調査をすれば、確実に就労意志を表明しない人々である。もしケインズが存命ならこうした状況も踏まえて議論するはずだ。
失業の問題では論点は多い。例えば、高齢者が、自分の受け取る(年金+給与)が20代の給与水準で雇用される現状を、ケインズが見れば問題視するはずだ。マクロ経済で考えれば、これらの高齢者はリタイアしてもらい、若年労働と福祉で対応する方が健全だからである。新古典派の議論に任せれば、部分均衡だけ考えて、企業の生産性が上がればいいことになるだろう。だから、年金という企業が給与減額が可能な補助金をもとに、低賃金で高齢者を雇うことに経済合理性があるとか抜かすのだろうが、合成の誤謬に相当する事象なので、こうしたミクロの行動がマクロの経済成長率を下げることは簡単に示せる。単に理論家が怠慢でそういうモデルを組みたがらないし、経団連に受けが悪いので社会正義に通じる経済研究が行われないというだけの話である。
したがって、158頁のように「物価と賃金調整さえ調整されていれば、売れ残りや失業はあり得ない」というのが、ケインズ経済学のまとめというのは、デマでしかない。これは新古典派の主張である。「ハーベイ・ロードの原則」という言葉についても、著者は意味を取り違えて使用している。
それから、この新書は、マルクス理論敗退論と同じ愚昧な論理構成をとっている。歴史事実を歪める行為で、こういうのは右派の無能な馬鹿が行う論法である。マルクス理論という階級闘争の理論があったから、労働組合ができ、生活最低水準すら満たせない給料で労働させようとした資本家たちが、闘争の結果敗れたがゆえに、最低賃金法、労働基準法といった法整備がなされ、労働者が人間らしく生きる権利が獲得された。権利が獲得された後で、理論の有用性が薄れたということと、理論の良しあしは関係がない。
ケインズ経済学によって、不況の時の需要不足は起こり得ると分かった。その際に財政出動は必要であるとケインズは説いているが、一番最初にケインズを批判した古典派の議論によれば、財政出動の景気浮揚効果はゼロというものだった。現在の政府消費の増大は将来の増税につながるから、逆に現在の民間消費や民間投資が減って、経済成長はまったくおきないゼロの水準に落ち着くと古典派は主張したのだった。もちろん、例え、乗数効果が1に過ぎなかったにしても、ゼロにはならない。だから、ケインズの議論が勝って、新古典派がケインズのマクロ経済学を飲んだから、生き残っているに過ぎない。
小野は歴史認識ができないらしく、それらの事実を全部歪めてまとめており、学者以前に人間として非常に無能だと思う。
<2012.1.26>