[低質]21世紀研究会[編](2001)「常識の世界地図」文春新書 196
21世紀研究会のシリーズでは最も低質と思われる。研究会の名称で執筆担当者を明示しないというのは、文藝春秋社の大学院出身者による低能なまとめだからだと思われるが、特に宗教がらみの記載が弱い。差別語に関しても通り一辺の文献の羅列し直しに過ぎないと思われる。
宗教がらみの記載でまともなのは、禁忌食を強要すると、激烈な嘔吐などの反応を示すことがあるということをきちんと書いていることくらいである。大学教授などが、世俗的にはアルコールもOKとか、嘔吐などはほら話と断定する馬鹿者が多い現状では、この部分だけはまともである。私の知るイスラーム教徒の中にも、豚肉を感知すると全身蕁麻疹まみれになる方々もあり、嘔吐云々は決して誇張ではない。「私の神様は優しいね」と言ってビールをたしなむイスラーム教徒も知っているが、十人十色なのである。仮に自分が、日本人の民間信仰の無節操さを持っているからと言って、他国のすべての宗教家に適用することは差し控えねばならない。
宗教がらみの記載でまともでないのは多々あるが、例えば、民間信仰の無節操さが日本人特有みたいに論じている箇所がある。別にアメリカ人だって、禅宗の座禅を無節操に組んだり、教会で歌ったり、現世利益のために懺悔したりと、民間信仰が無節操であることは洋の東西、古今違わぬのに、外国人の指摘などを真に受けるか、書物の寄せ集めをするから、愚考を繰り返す羽目になる。
また、緊急事態の禁忌回避などの視点も欠如している。緊急支援物資に禁忌食を入れて送るのは侮辱にしかならないから避けるべきであるが、被災当事者が自らの意志で禁忌食を口にしても、他文化圏の人は文句を言うべきではない。例えば、イスラーム教には、ラマダン(断食)の風習があるが、仕事の場合は日中でも飲食は例外的に認められるという考えもある。特に医者などは例外的職業に置かれるが、その指摘もない。宗教に関しては、非常に浅学な印象が否めない。ラマダン期の就業中の飲食は宗派によるかもしれないが、画一的解釈は避けるべきだろう。これに類する話として、禁酒を実施している宗教(ユダヤやイスラム圏)で、国内で禁酒でも平然と外国向けにワインを作っていたり、若いころ嗜んだという人たちも存在することなども知っておく必要があるかもしれない。
上座部仏教の一部では、肉食を禁じている宗派もある。この研究会の宗教担当は能力が低いらしく、小乗、大乗ともに肉食を禁じていないと書いている。日本では、世界宗教的な感覚すれば、大乗仏教しかないが、肉食も妻帯も禁止しなかった。しかし、仏教には不殺生戒があるから、これを厳格にみる立場からは、当然、菜食となる。なんで禅宗などに精進料理が存在すると思っているのかね、この研究会の宗教担当は。
ヒンドゥー教の葬送はもともとはガンジス川に流すだけの水葬である。火葬は金持ちが出来た葬祭に過ぎないし、庶民に広がるのは近代以降に限られる。仏教もブッダ自身は葬祭を否定している。偶像化につながると考えているからである。もともと日本の葬祭は土葬が基本であった。近代化した後に火葬が主流に変化している。葬祭に関する記述は歴史性も無視して単純化して書かれているが、デマに近い内容になっている。この辺は文献調査能力すら低い事例になっている。いろんな葬儀を書くような形で論じているのに、ゾロアスター教徒の鳥葬すら触れられていない。
東洋蔑視感が強いために、タイや日本の微笑の文化を、外国人の視点から気持ち悪いなどと論じている。日本人が著者ならば、紛争の平和的解決の手段に過ぎない微笑をなぜ卑下するのか、まったく理解に苦しむ。全部は指摘しきれないが、こうした事例が数多く散りばめられており、全般的に信用のおけない書物になっている。
<2012.3.5>