書評


書籍選択に戻る

[良書]本山美彦(1996)「倫理なき資本主義の時代」三嶺書房

 本書のはしがきに、阪神淡路震災に関して、地方行政から中央集権行政に至るまでの腐敗ぶりが書かれていることを知った。これを読むと、何ら阪神淡路大震災の教訓が、今回の東北大震災に活かされていないことが分かる。日本の官僚システムの腐敗ぶりが一層、明確になる。

 本書の内容にまったく興味が持てない読者も、東北大震災に心を痛めた人、その後の復興を望む人は、この「はしがき」(i〜xii)だけでも一読されることをお勧めする。

 第一章は、中国経済の過酷な労働事情からはじまっている。他国の事情を外国人が批判することに対する配慮は書かれているし、中国の現状が日本にも伝播するからと理由を付しているが、もともと中国におけるこの過酷な労働事情をもたらしている経営者は、台湾、香港系の外資系企業であることを指摘している。そうであるなら、この書き方には違和感もある。それから、中国の労働市場の現状を悪くしているのは、アメリカ留学帰りの中国人経営者でもあり、労働市場の劣悪環境の発端はアメリカにあるとみる方が自然である。だから、マイケル・ムーアなどがアメリカで「労働組合を作ろう」とキャンペーンを行ったりしているわけだ。日本も他人事でない点は同じである。すでに、第一の波で契約社員化による労働環境の悪化が実現し、第二の波で請負事業主化による労働環境の悪化が実現してしまっており、さらにその趨勢は日本で進行中である。この間に日本の労働組合組織率は低下し、経営者にとって有利な環境ができたが、一向にまっとうな雇用を日本の経済界は増やせなかったが、経営者の役員報酬だけは一方的に増加している。

 また、第一章を読むと、Business Week誌などを使って、アメリカの戦略が分かるように書かれているが、いまいちな面もある。本山は開発経済学にはあまり詳しくないようだ。例えばインドネシアは、アジア通貨危機以前まで、日本がアジアの中で最もODAを通じて力を入れた国のひとつである。もちろん、アメリカでは、バークレー・マフィアと呼ばれる人々が手を出しており、インドネシア国債の格付けをめぐって、日本企業による日本の財務省の接待さながらの腐敗が横行したのも有名な話である。しかし、こうした点に本書は一切、触れていない。また、ベトナムについては、開発経済学者の石川滋が国の最高責任者に気に入られて、ベトナムの五か年の経済長期計画の作成を手伝って以来、現在でも友好関係が続いている。トラン・ヴァン・トゥ教授(ベトナム)が桜美林大学から早稲田大学に移って教鞭をとっているし、ベトナムの総合大学の強化も、日本はODAを通じて支援している。石川滋が高齢になってからは、原洋之介がベトナム経済のアドバイザーを引き継いだ。その関係と原洋之介がタイ語を話せるため、ベトナムを通じてミャンマー軍事政権とも交流したと聞く。それから10年後くらいの現在、ミャンマーの最高責任者が引退を表明し、急速に民主化・市場経済化が進んでいる。裏事情を原に聞いてみたいものだ。ミャンマーの変化は長年隣国ベトナムの発展を目の当たりにし、それを支援してきた日本の説得によるもので、米国の干渉によるものではあるまい。

 開発経済絡みの叙述は物足りないが、事実関係はきちんと調べて書かれている。

 第二章も事実関係はちゃんと書かれているが、まとめ方はいまちな印象で同じある。しかし、私なら、共感の欠如が重要な原因とは思わない。共感があっても、それを実行に移すのを、個人の自己保身または組織の論理によって、阻止されているのだと考えている。法人の責任では、奥村宏の説を紹介している。

 奥村宏は1975年の著書「法人資本主義の構造」日本評論社で、株式という有限責任を基調とする「法人資本主義」は「無責任経営」に帰着すると主張しているそうである。そういう側面があることは事実だが、しかし、解決方法を見出すのは容易ではない。無限責任に耐えられるほど、人間個人は強いと思わないし、システムとしてどのように制度化すれば、市場を活かせるかも簡単に見出せそうにない。次善の策に過ぎない株式会社制度ではあるが、もし倫理なき資本主義が悪いとして、それを倫理や道徳で解決できるかは後述したい。

 本書の第二章は金融機関の道徳の低下を嘆いているが、そもそも経済学において金融は高給取り足り得る産業だろうか?。道徳的に考えるなら、私はイスラム銀行の考えの方が正しいと思っている。イスラム銀行のように利潤を得ることが許されない産業なら、西欧や日本の金融業のような腐敗の起こる余地も乏しいだろう。

 本書の第二章で良い点は、住専問題の責任の大半が大蔵省にあることを明らかにした点、その責任をだれも取っていない点を明らかにしたことである。本書は住専職員の責任に帰着させたとしているが、それは正確ではない。公金投入して焦げ付けば、責任は国民に転嫁されたことになる。財務官僚の失態は国民の責任ということだ。この手の国家公務員による犯罪は、住専以前も以降も繰り返されているため、単に大蔵省や金融システムだけの問題ではない。第二章の結論部で、金融システムが米国の方が厳格な法規制下にあるとの認識を示しているが、私は金融の専門家ではないが、近年のエンロンの不正会計問題、サブ=プライムローン問題、石油市場への投機を見ていると単なる事実誤認と思われる。

 本書の第三章はAPECとWTOに関してであるが、特にAPECについては、本山の専門外なので、記述が弱い。WTOの金融関係については詳細に書かれていて良い。これを読むとAPECやWTOでの米国の外交交渉の失敗からTPPを主張するようになった経緯が明快になり、暴力団のような米国の戦略がよく分かるだろう。

 本書の第四章の冒頭のエピソードが大変良い。「GATT加盟による貿易利益は日本の困難な外交交渉の結果、得られたもので、加盟したら自動的に最恵国待遇が得られるなど絵に描いた餅に過ぎないのに、共産圏だった中国の若手経済研究者が、政治に疎くなって、そうした事実を知らない」ことに衝撃を覚えたという内容である。日本の市場万能主義者でも同じだけに、読んで笑ってしまった。誠にアメリカで教育を受けた人間の底の浅さを見る想いがする箇所(p105-6)である。この四章では、中国のGATT加盟を阻止しようとするアメリカの戦略や、日本がGATT加盟中に受けたアメリカからの要求の数々、GATTの例外規則の多国間繊維協定などに触れられているのも良い点である。ついでにGATTに違反する米国国内法についても詳述すればなお良かっただろう。

 本書の第五章以降は第二部理論分析篇となっている。しかし、内容は理論分析というよりは、金融にまつわる国際的事件の詳述とその歴史的教訓である。理論分析と呼ぶにふさわしいとは思わないが、金融をめぐる経済論争の紹介も行われている。ただし、教訓の叙述はとても少ない。できれば、著者なりの政策提言を具体的に書いてほしかった。

 後述するといった倫理や道徳の問題を考察してみよう。もし倫理や道徳の問題なら、解決方法は北欧諸国同様に、教育と福祉国家を目指すしかないように思う。しかし、それ以外の道もありそうだ。例えば、現行の会社の存在意義を何と見るかにもよるだろう。私なら会社の存在意義は製品やサービスの供給も大事だが、それと同じ水準で、生活可能な水準の賃金を払う雇用を生み出すことが重要だと考える。もしすべての労働者に対して生活可能な水準の賃金を払い、生涯安定的に雇用を保証するというのなら、災害等の保険をかけておく義務を付す以外は、法人税を無税にしてもいいだろう。現実にはそれが不可能と思うので、いろいろな制度が必要になるのだと考える。

 福祉国家まではいかないが、中間的な制度として、経営者の責任だけを無限化するとか、有限のまま超累進的所得税にして政府が保証するシステムを構築するとかが考えらえる。いずれにせよ、現行の法治国家の下で、責任というものをどのように定めるかがまず重要になってくる。責任は権利の大きさや責任者の行為の結果もたらされる被害の大きさに比例して、定めておくべきだろう。

<2012.3.6>

Kazari