書評


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[低質]星岳雄,A. Kashyap[著]鯉渕賢[訳](2006)「日本金融システム進化論」日本経済新聞社

 経営者にインタビューすればいい内容を、わざわざ計量分析を使って明らかにすると、学会で褒められる変な風潮がある時代の産物である。そういう歴史的な遺物としての意味以外はないが、経営者と学者の溝を感じる時代ならでは産物だ。

 書評では、計量分析を用いて、これまでの説とは異なる金融システムの動態変化を実証したとか書かれていたので読んでみたが、該当部分は少ない。第二次世界大戦以前に関しては、偏ったサーベイ論文の域を出ない。金融分野の分析で定評のある寺西重郎から引用が多い(開発金融系の内容は落としての引用だけに歪曲引用に近い)ほかは、サークル(星らの仲良しグループ)の引用による記述に過ぎないし、歴史から金融だけ引っ張っても、当時の描写は薄っぺらになるだけである。特にこれ以前の金融や財閥の研究との相違も取るに足らない。

 戦後の開発金融の政策評価は単純に間違っている。それは、金融の文献以外はまともな開発関係の文献を調査していないからでもある。日本は、第二次大戦直後、株式も国債も紙幣も紙切れ同然になるという金融状況を経験している。この当時の大人世代の政府に対する不信感たるやすさまじいものがあるし、子供世代も教育が180度転換するから、政府に対する不信感は大きい。そのため、この書物の主張するような、郵便局という支店の数が多い程度で、政府金融に対する預金が民間より優位になったり、政府金融に対する信頼感が回復するなどあり得ないことなのである。

 当時の政策担当者は、新たなビジネスを興すにあたって、株式はもちろん、国債でも十分に資金を調達できないと考えていた。そこから復興資金をいかに円滑に、企業に融通するかという政策課題があったことになる。その当時を現実に生きた世代、この著者の祖父母世代と会話していれば、当たり前の事実も、この書物は見落として、開発系の銀行を作る背景になる政府資料も読まず、それらに携わった人の伝記も読まないから、金融統計から世迷いごとのような推論で史実を捻じ曲げるという事態に陥っている。こうした箇所には、典型的に自分に有利な証言として歪曲引用するような姑息な手段を取っている(121-2頁のCameron and Patrick[1976])。引用部分は、「(実質資本と違い)金融サービスは、生産要素のひとつというよりも、単に生産を妨げないで時にはそれを促進するというきわめて受動的な働きをするものにすぎない」という箇所だ。経済発展全般に対して言えば、これは正しいが、日本については、当てはまらない。なぜなら、これは戦勝国の状況を反映した発言だからだ。戦勝国は、第二次大戦直後に、株式も国債も紙幣も紙切れ同然になる経験はしていない。戦敗国以外の発展途上国も同様である。逆に言えば、だからこそ、日本はドイツを参考にしたのである。この本の第二次大戦後の日本の金融システムの理解は特に非常に馬鹿げたものだ。

 論拠も示さずに郵便貯金と銀行の金利の差が高度成長期にほとんどなかったかのような叙述もある。たぶん、銀行各局のすべての預金金利の商品パンフレットとか調べなかったのだろう。全般的に郵政の定額貯金ならびに貯蓄性簡易保険は、他の金融商品を圧倒しており、たびたび民間企業から苦情が寄せられているのに、どの統計でそんな寝言を書いたのかと呆れる他ない。

 新古典派型の金融モデルによる実証分析では比較的まともな論文を書いている星岳雄であるが、この本を読む限り、長期の期間の経済分析を行うだけの技量はまるでないと言ってよい。

<2012.3.9>

Kazari