[ゴミ]大竹文雄(2010)「競争と公平感」中公新書
論理展開の質が高校生水準であり、経済学の専門用語でも基本中の「効率性」という概念を誤認して用いていて、唖然とする書物である。確かに大学院生の時から頭が悪い人だという印象はあるが、ここまで馬鹿だとは、・・・。
最初から間違いのオンパレードで、この本のせいで書評を書く気がかなり失われた時期があるくらいである。プロローグが特にひどいのだが、こういう馬鹿げた書物が出版され、こういう無能な人が学者として、嘘出鱈目を公表している以上、看過するわけにもいかない。
一番最初の話題は、タクシー運転手の仕事法だが、カリフォルニア大学のキャメラーの説と、プリンストン大学のファーバーの説を紹介し、著者はタクシーに乗るたびにインタビューしているが分からないという。そもそもアメリカのタクシー市場と日本のタクシー市場は法規制からして、まるでシステムが違うし、無能な大学教授が質問しても、無償で正直に答える人間などいない。この箇所は著者自身が自分は馬鹿であることを明らかにした話にしかなっていない。
次の話題は漁師である。ここで、著者は頭が悪いため、最終的な財市場への市場制度と、副次生産物の規制について同等に論じて良いという暗黙の前提を使っている。非常に愚かだ。また、天候により平均的漁獲量が分かれば、平均的な指標を使って最適な経営計画が作れるという暗黙の前提も使っている。これも愚かである。漁師は魚を最終財として漁で採っている。その時、仮に確率的に天候に左右されて、平均的漁獲量が分かっても、特定の漁師の漁獲量が決まるわけではない。だから、特定天候時の平均的漁獲量から、漁の時間を決定することは、何の意味もない。最適な経営戦略となりえない。また、(漁師が売る目的で捕獲する)魚資源が枯渇しないように管理する市場制度として、オリンピック方式、割当方式、譲渡可能個別割当方式を紹介して、譲渡可能個別割当方式が良いと結論している。その理由が傑作だ。オリンピック式だと早く漁場にたどり着くことが重要となり、高性能のエンジンを積んで、ガソリンを大量に消費するから、石油資源が過大に消費され、非効率だというのである。さて、どの方式を採用するにせよ、魚資源が枯渇しないために最も効率的な制度はなにかという議論から始まったにもかかわらず、論点が変わり、副次利用物にすぎない石油の消費量の少なさを、最も良い制度の判定理由として使ったことになる。この論理構成の稚拙さと用語の誤使用には、吐き気すら起きる。
経済学、特に新古典派経済学のいう「効率的」とは資源の最小量の利用のことではない。これは著者が、「効率性」という経済学の基本用語を誤使用した箇所である。経済学のいう効率性は、その(石油)価格に応じてもっとも(石油が)効率的に利用されていればいいだけの話だから、オリンピック式でも、石油資源の「効率的」利用ができていないということは単純に言えない。もし著者の言うように石油資源の最小量の利用が大事で、それを政策目標にするなら、社会主義国のように石油自体を数量割当すればいい。これを「効率的」なシステムと考える経済学者は普通いない。大竹文雄くらいだろう。
また、著者の言うように、オリンピック制度が二酸化炭素の排出権取引を考えても、馬鹿げた制度とはまるで言えない。それは、オリンピック制度が(漁師が売る目的で捕獲する)魚資源が枯渇しないように管理する市場制度であるのに対し、排出権取引は、(二酸化炭素以外の)財・サービスを生産する目的で、企業活動する際に、副次的に生じてしまう二酸化炭素を、地球の気候変動の激化を防ぐ目的で規制する制度だからでもある。まず、単純な事実として、魚資源の枯渇を防ぐオリンピック制度と二酸化炭素の排出権制度は併用できる。「著者が馬鹿すぎてこの事実すら認識できていない」と考えねば、著書のような論理展開は不可能だ。また、燃料代のせいで、高い魚を食べさせられていると結論しているが、論拠は全く示されていない。
譲渡可能個別割当方式とオリンピック方式で、最終的にどちらが魚が安くなるかは一概に言えない。諸外国に比べ日本の魚が高い原因は、燃料代以外に山ほど挙げられる。為替レート、港湾利用料金などである。そうした統計も取らずに、このような単細胞な判断をするのは学者としてあるまじき行為でもある。
著者は、日本人が競争忌避的であるとの結論をまず持っていて、それを言説を弄んで主張する目的で本書をしたためている。そのため、最初に、日本において、比較的競争的な労働市場で働いているタクシー業者や漁業従事者を、貶める必要を感じたのだろう。この結論ありき論理展開は、許されるべきではない。
第一章以降も、低質な調査などを取り上げている。例えば、Pew Reseach Centerの調査を紹介しているが、Pew Reseach Centerの活動資金は、石油会社を興したPew一族が設立した非営利財団非営利財団のPew Charitable Trustsが提供している。そのため、公的利益を標榜する機関であっても、石油などの財界に有利な内容を旨とする可能性も十分に配慮して、統計を見る必要がある。アメリカには、自国価値観を礼賛する右翼的非営利団体が、統計操作をする例が多々あるからだ。この統計を利用して、著者は、日本を「市場競争も嫌いだが、大きな政府による再配分政策も嫌いだ」という特徴をもち、日本人は特殊であると結論している。統計からそのような主張をするのは無理があるが、それを見ておこう。
2007年にPew Reseach Centerが行った国際的な意識調査である。ひとつは、「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人々はよりよくなる」という質問で、もうひとつは、「自立できない非常に貧しい人たちの面倒を見るのは国の責任である」という質問である。いくつか数字を抜粋すると、前者は、インド76%、中国75%、韓国72%、カナダ71%、アメリカ70%、日本49%(図I-1,p7)、後者は、スペイン96%、インド92%、韓国87%、カナダ81%、アメリカ70%、日本59%(図I-2,p8)となっている。
著者はこのデータから日本の特殊性を主張したわけだ。私なら、2007年という時期に着目すれば、これは、日本人が自国の市場経済と政府に対する自信のなさの表明としか思わない。バブル崩壊以降、30年になろうとする景気低迷に明るい兆しがまるでないこと、2012年で14年連続3万人の自殺者、2007年時点でも9年連続3万人の自殺者を出している日本で、市場や政府に自信を持って答えられるはずがない。また、順位で見ればほぼ同じ傾向があるので、その程度のことだろうとしか言えない統計だ。もし著者のような主張をしたければ、バブル絶頂期の統計を探して、それでも同じことが言えるか確認する必要がある。そのための統計はある。例えば、NHKの行っている「現代日本人の意識構造」を見ればよい。それを見れば、1973年から一貫して政治不信が強まっている。例えば、「現代日本人の意識構造 第6版」の78頁には、「私たち一般国民の意見や希望は、国の政治にどの程度反映しているか」という設問に(1.強い,2.やや強い,3.やや弱い,4.弱いという)四段階で答えるものでは、73年は、1.強い4%と2.やや強い18%が、2003年には1.強い2%と2.やや強い8%にまで低下している。
大竹文雄が調査不足なだけでなく、自分の解釈に都合のいい調査だけ採用して、強引にはじめからありきの結論を下していることが、こうした事からも確認が取れる。労働市場に関しては、国民の大半が労働賃金ベースで取り分が減少する中で、調査すれば当然の結果であり、2012年の現時点でアメリカで調査し直せば、当然、2007年のアメリカ70%より低くなると予測される。大竹文雄の本書は万事がこの調子で大変辟易する。本人が全品中古品を回収して捨てるべき水準のものだ。
大竹文雄は生物学が好きらしく、他の書物でもホルモンがどうとかオカルト的な解釈を展開することがある。あまりにばかばかしくて論評する気にもなれない。それから、労働経済学者として、競争こそがすばらしいというのなら、「成果主義がうまく行かない理由くらいは説明して見れば」と思う。成果主義の失敗を見た現場の労働者は、統計にあるように、出世するかどうか運などによると考えるようになる。その思考変遷は極めて正常で、合理的ですらある。しかし、統計と読書で手一杯の大竹文雄には、現実の労働環境を知ることはできないものらしい。
大竹文雄によれば、競争とグローバル化は金科玉条のごとく尊重すべきものらしい。グローバル化を進めて、格差や貧困問題は国内の社会保障制度や教育で解決すべきだといっているが、グローバル化自体に法規制の国際統一化という側面があり、どこまで国の独自性が主張できるかという問題点があることを無視してはいけない。日本政府が交渉下手で、がん保険だけアメリカ企業に市場開放するようなこれまでの対応を見ていると、今後もグローバル化一辺倒でよいという見通しは立たない。市場競争を促進するには、日本にあった公正な競争ルールも必要である。アメリカのKrugmanの主張するような、最高賃金/最低賃金比率に関する規制を設けた場合、一般労働者の市場競争は促進される側面がある。しかし、自由競争には多分に自由の側に重きが置かれ、その概念にはともすれば、無政府主義が付随している。アメリカのエネルギー政策を見ていると、国立公園内のガス開発では公害の垂れ流しなどがあり、規制緩和一辺倒の「自由な」競争が健全であるわけではない。本当に大事なのは、人間が暮らしやすい競争ルールとは何かを世界で話し合うことで、自由競争を推し進めることではないはずだ。競争は、効率性を達成させるための手段にすぎない。労働者が真面目に働く動機づけに大事なものが競争以外にあるならば、それも効率性を達成させる手段足り得る。労働市場が効率性をもたらす背景には労働者のやる気が不可欠だと私は考える。だから、労働賃金さえ餌にすれば、効率的になるわけではない。労働者の働き甲斐はそんな低質なものではない。
大竹文雄は労働経済学者ではないので、雇用格差をなくすと、企業の景気調整が長引くために景気が低迷すると言っている。雇用や労賃を切れば、失業者や所得減という需要減退が不況の原因にもなるのに、不況は政府支出を拡大すれば万事うまく行くらしい。本当に労働規制があれば、不況の規模自体が小さくとどまる可能性も高い。実際、不況期に経営者の所得は伸びたが、この30年、それが経済成長に役立ったという実証研究はない。
大竹文雄は学者として生きていく根拠のない自信だけでなく、覚悟があるのなら、最低限、「成果主義はうまく行かない」「それは労働の動機づけに賃金は最重要ではないためである」という趣旨の高橋伸夫の説への反論と、「スウェーデンでは教育について競争を排除したが成功しているのはなぜか」という問いに対する大竹なりの答えくらいは考えるべきだろう。
<2012.3.21記、6.14分かりやすい文章に一部変更>