書評


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[良書]小松章(2006)「企業形態論 第3版」新世社

 これまで、企業グループや会社法などは読んできたが、企業の形態について歴史的に捉えて説明した書物は読んだことがなかった。本書の序文にも、そのような視点で書かれた書物がないことから、自ら書いたことが説明されている。初版にしても1990年だから、それ以前にはこういう書物はまずなかったのだろう。

 歴史的な経緯が書かれているので、どうしてそういう会社形態になったのかということはとても分かりやすくなっている。また、2005年に新しい会社法が制定され、2006年に施行されたことから、それまで会社の定義の解釈は明文化しなくなったために、会社が誰の物かといった議論がおきたことが紹介されている。

 良い書物なので、経済学の理解を志す人は見ておくといいだろう。悪い点を一点だけあげておこう。序文に宣言されたとおり、一部、企業を進化論的に捉えて叙述した箇所がある。この部分は大半が低質なので読まなくてもいい。優秀な人なら自らの力で是正できるだろうが、老婆心から言わせてもらえば、企業を進化論的に捉えるのは愚かしい。

 本書の事例ではないが、自動車産業の例を見てみよう。この業界の専門家は、部品の共有化をあたかも、新たな企業革命のように(進化論的に)紹介するが、こうした説明の仕方はとても馬鹿げている。現実に即して事実を見れば、異なる説明しかできないからである。まず、自動車が一品種大量生産で利益が上がる時代が過ぎ去り、自動車にも消費者が好みを反映したデザインなどを欲するようになった。それほど(価格面で)入手しやすくなったことも関連しているのだろう。そこで、この多品種生産に関して、革命的な?H企業は、一製造ラインに多品種の車を流すという実験的生産方法を期間工に強いた。しかし、これは過酷な労働であり、生産ラインでの事故はもとより、生産ミスによる消費者の死亡事故につながりかねない生産方法である。そこで、そうした事実がマスコミに露呈する前に労働条件を緩和しつつ、より多品種生産を実現しなければならない状況に企業は追い込まれた。そこで誕生したのが、部品の共通化である。本来、部品共通化のもとで、製品開発することは、開発部門から見れば制約が増えることで喜ばしいことではない。なのになぜ必要となったかと言えば、そうしなければならない事情があったからである。

 現実を見ずに、直線的な進化論的な過程として歴史を捉えようとすると、絵空事にするより他しようがなくなる。民間の企業活動なんてものは、すべての方向に対して、必ず進歩などしているはずなどないのである。だから、特定の視点から俯瞰してしまうと、個別事象に関して現実逃避な説明方法にしかならない。業界の人は絵空事に酔えるかもしれないが、学問としてはアプローチが間違っているとしか言いようがない。

 もうひとつ単純な例を開発経済学からあげておこう。飢饉の時に、政策を誤って、多数の人が死んでいくような事は、歴史上たびたびあった。この現象の説明を、進化論的に見たところで意味はない。政策の失敗に過ぎない。14年連続、自殺者3万人超えも同じである。

<2012.9.16>

Kazari