[低質] 斉藤誠(2010)「競争の作法」ちくま新書
いやはや統計の使い方が極端に悪い本である。金融系のマクロ経済学者はこれだから、・・・。今回の不況の真の姿を真面目に追及する気がないのは、統計の選び方を見ればよく分かる。例えば失業率だけ見ても今回のような不況にはあまり意味がない。雇用されていても生活保護水準と変わらない生活を強いられていれば、将来展望はないに等しいからでもある。それを昔のそうした低賃金雇用の分厚い層がない時代と比べても意義に乏しい。
というよりか、マクロの数字を比較していいのは、経済や所得階層の構造がほぼ同じときでないと意義に乏しいという根本的な理解が著者に欠けているのが大きな問題である。これは、学者としての能力が低いと自己宣伝しているようなものである。
例えば、斉藤誠のような低質な学者気取りが、悪質だなと思うのは、統計を真面目に見ていないとマスメディアなどを非難する時に典型的に表れる。真面目に見ている側の議論は無視して、見てない方を批判対象とするのは姑息な手段に過ぎない。こういう輩は、たいていデフレという時、マクロの物価水準しか議論しない。細かい物価統計を見れば分かるだろうが、デフレの度合いが大きいものが、高額所得者層にしか恩恵のない製品なら、軋轢はすべて低所得者層に向かう。あまり関係のない部分を細かい統計で取り上げても同じことである。斉藤誠は所得分配の問題を真面目に統計で見ない。
こういうやり口には無能を通り越して、悪意しか感じない。斉藤誠は本当に統計を真面目に見ない人で愕然とする。
物価と同じ手口は、賞与の際にも使っている。これも、高額所得層にすべての賞与が分配されていれば、一般労働者の賃金の下方圧力はマクロの統計よりはるかに大きくなる。そこも意図的に統計上は無視して、文章で可能性だけ示唆するような腑抜けたやり方をしている。学者なら統計がなくても推計しろよ。阿保じゃないんだから。終始この調子で辟易する新書である。こんな本が出版基準を満たすとは呆れて物も言えない。ちくま書房も能力が落ちたなぁ。
リーマンショック以前は、本書のように「戦後最長の景気回復」だったかもしれないが、内容は「雇用なき成長」であり、この間も、高額所得層以外は豊かさを享受できていない。統計上も現れており、その事は本書も一部認めているが、だから、リーマンショックで、その景気回復分の8割が飛んでも、豊かさの減少を意味しないかのような屁理屈には、はらわたが煮えくり返る。森を見て林を見ない議論である。
本書は企業経営の失敗が経営者の責任になっていないことを指摘するものの、そこで思考停止しているようだ。統計を見れば、その8割の責任をどこが取ったのか見れば明らかだからでもある。
本書は景気回復期に、消費統計で見て、労働者階級では恩恵がなく、その後リーマンショックの影響を経営者が取ることなく、労働者階級でその責任が取らされたことを指摘しておきながら、その景気の問題点をマスメディアは過大評価し、経済評論家はさしたる根拠もなく、今回のショックを過大評価しているというのである。呆れた。
現実はだいたい逆で、私が知る多くの評論家は、景気拡大が一般労働層に恩恵がない割に、景気後退期に一方的に労働者階級にあることを問題視して、リーマンショックを論じていた印象しかない。斉藤誠は具体的に誰を批判しているのだ。斉藤誠の頭の中のまさにバーチャルな評論家ではないのか?
馬鹿馬鹿しい議論が多いが、特に高額商品であるブランド会社の銀座進出あたりは分析がなっていない。もともと、バブル以前から、ブランド会社は日本進出を考えていたが、不動産価格が高すぎて手が出なかった。これはいくつかの経営分析などに表れている。進出しない理由にはこうした項目が上がっていたからである。バブルがはじけた後、不動産価格が下がり、進出の条件が満たされれば、進出してくるのは当然である。また、富裕層は一般に景気の影響を受けにくいから、購買層の減少をブランド会社が気にする余地はあまりない。これは普通の経営学の初歩的考察に入る事柄である。
それを本末転倒して、日本が買いたたかれて、それが景気浮揚の要因だったかのように言われてもなぁ。確かに為替レートや不動産価格によって、日本への外資進出の度合いは異なるかもしれないが、外資企業が増えたから労働者階級に恩恵がなかったといったら、そりゃ差別にしかならないし、数%の外資がマクロの統計を凌駕するほどの影響を与えていたなら大社会問題であるけれども、それこそ現実とは異なる姿である。
PERについても、この人の議論はおかしい。自分は冷静に統計を見ていたけれども、市場関係者は統計を見ていなかったから、リーマンショックでパニックになったかのように言っている。事実誤認もいいところだ。日本の市場関係者の99%は、日本の株式のPERが通常よりも高値であることを知っていたが、それでも市場はそんなことお構いなしに株価を上下させていると現実的な認識をしていた。その時に、ファンダメンタルがPERにより近い値であるべきだと言っても、それは机上の空論に過ぎない。短期利益を稼がなければならない機関投資家にしても、長期的に正しいことと短期的に儲けることにはかい離がある。それが現実だ。もし著者がそれは問題であるというなら、長期水準と短期的傾向がかい離するあらゆる金融指標がそうならないように制度設計する必要があるし、そのための具体案を提示すべきだろう。
実質実効為替レートなぞで長期分析するのは愚かである。統計の性質を知らない素人のやることだ。この統計を後にずっと「目に見えない円安」の根拠に使っている。
著者のファンタジーな空想には辟易する類のものが多い。他の人をパニックとして描けば、自分の能力を誇大表示できると勘違いでもしたのかしらん。
斉藤誠はいろいろと不誠実な書き方をしておるのだが、「不況=デフレ説=日銀責任論」を経済評論やマスコミが吹聴しているように言っている。これも現実は財務省が犯人なんだから、はっきりそう言って批判すればいいだけの事柄だ。財務省と明言すると金融経済学者は仕事が半減するのか知らんが、中途半端な言辞を弄すのは感心しない。私からすれば、斉藤誠が彼の批判する評論家風情と同じ穴の貉というだけのことである。もっと骨のあることを言いなさい。
第三章は所得分配の問題を取り上げているが、これまたおかしな主張をしている。全体の労働費用を見ても意味がない。低所得層に賃金の大幅な低下を試みる一方で、経営層に手厚い報酬を与えている現状があるから、それらを合計して、たいして減っていないなどと言っても意味がないのである。
また、平均給与額で見たジニ係数は社会の一側面をとらえた指標に過ぎない。これから直ちに「貧困化は確実に、しかし、非常に限られた範囲で進行していた」とは言えない。特に後半が成立しない。ジニ係数では、貧困層の数や絶対数を議論できない指標だからでもある。だから「限られた範囲」などという事は分かるはずもないのである。金額面から「限られた範囲」であっても、貧困層の給与水準が生活困難な水準で、数百万の人口が貧困層なら、大きな社会問題になる。現実に生活保護受給世帯数の増加などを見れば、統計上も明らかである。こういう統計遊びで、事態を真面目に見ようとしない態度はまさに唾棄すべきものだ。
生活保護受給世帯数の増加は、政策の変更によって、大幅に伸びた側面がある。この事は、貧困が統計にあらわれていないことを逆に名実ともに明らかにした社会現象だ。いろんな意味で斉藤誠は馬鹿である。
斉藤誠は教授会で、高齢者教授の優遇政策が決定されたことに頭に来て、抗議の看板で自分の欲求不満を晴らしたそうだ。正義感の空回りもいいところである。なぜ、早期退職制度など教授会で提案しなかったのかね。他にも若手研究者にできることは山ほどある。例えば、無償の講義、仕事の斡旋業務などなど、昔のヨーロッパの大学で普通に行われていたものだ。給与で目に見えぬ形で、若者世代の報酬をむさぼっている自覚があるなら、そういう活動もできるだろうに。抗議の看板を掲げたことなどを本書に書くということは、「所詮馬鹿には、まともな改革はできないし、実践する意思もない」ということを如実に物語っている。無償の講義なら、他の教授を巻き込んでできるはずだよね。
<2012.12.4>