語学出版社アルクの馬鹿げた敬語解説にあきれる。どうして専門の出版社がこんな幼稚な間違いを犯すのだろう。なまじ他言語ができると、母国語に無知な人が多いが、そのためだろうか。
「(後ほどこちらから)お電話差し上ます」と「お電話させていただきます」はどちらが正しい?
の解説が馬鹿げている。そもそもこの二つとも間違いである。動詞「電話する」という自分の行為に「お」をつける事が間違っている。説明も完全な誤謬である。自分が話者として自分の行為を謙譲表現する場合、現在では丁重語という定義を使う方が分かりやすい。しかし、謙譲語に丁重語を含むと仮定しても、この解説は間違っている。なぜ、こんな基本的なミスを犯すのだろう。
よっぽど阿保な専門家を雇っているか。たいした知識もないのに、素人が過信から返答を書いてしまったものと思われる。参考までに、Wikipediaによる謙譲語の定義を見てみよう。謙譲語の説明には『話題中の動作の受け手(間接的である場合もある)が話題中の動作の主体よりも上位である場合に使われる。そのため謙譲語は話題中に2人以上の人物が登場しなければならない。』とある。当たり前である。古典を読んだ人なら誰しも明らかだろうが、「献上する」は、自分以外のA(誰か)が、そのA(誰か)より目上のB(誰か)に物をあげる行為を謙譲表現する際に用いる。自分が話し手で自分の行為の受け手に対して普通、謙譲語は使えない。そのような場合は相手の主体を尊敬語で敬語表現する。上記例では、Bが私の献上品をお受け取りになったなどと表現すればいい。もしくは丁重語を使う。
敬語の分類は、尊敬語、謙譲語、丁寧語の3分類が主流であるが、尊敬語、謙譲語は、それぞれ動作の主体と受け手を尊敬する言葉で、丁寧語だけ軸が異なる。このため、丁重語を加えて、4分類とすると論理的に分かりやすくなる。丁重語と丁寧語を、話者を軸に、話し手自身がへりくだる敬語表現と話の受け手を丁寧な言葉遣いで敬うと考えるのである。丁重語の例として、「参る、存ずる」などがある。
少し真面目に検討すれば、すぐに分かる事を何故しないのだろうか。まずは、何を丁寧に表現したかったのか考えてみればよい。もし万が一、「電話」という名詞に「お」がついて、お菓子などと同様の慣用表現になったと考えるなら、この「お」は美化語といえる。美化語は丁寧語に含める場合もあり、単独で扱えば5分類になる。しかし「お電話をかける」がまともな日本語かを検討すればいい。こんな間抜けな言い方する人は聞いたことがないとすぐに合点がいくであろう。
「電話させていただきます」は「電話する」を使役の助動詞をいれて「電話させてもらう」のより丁寧な表現で「いただく」の謙譲語がついたと捉えるべきだろう。私はこの「させていただく」は話者がへりくだって使う敬語で、丁重語であると思う。つまり上記例に一番近い表現で正しいのは「こちらから電話させていただきます」である。これが慇懃無礼だというなら、「こちらから電話いたします」がいいだろう。
そもそも「電話をする」の丁寧語表現なら、助詞「を」を省略するのは、甚だ不自然である。「電話する」という”動詞”の丁寧表現として適切な日本語表現を考えるのが自然だろう。こうした点からも、「する」の敬語として「差し上げる」を選ぶなどは有り得ないのである。アルクでは、なぜか電話に使う「差し上げる」を勝手に「〜して差し上げる」の短縮表現であると断定している。「電話して差し上げる」は慇懃無礼もいい所であろう。それに短縮した雑な表現が、相対的により適切な表現になるはずがない。「差し上げる」の方が強く発音されやすいことからも、慇懃無礼感は一番大きいといえる。
それから、「電話差し上げる」を短縮形でないと見れば、「与える」の謙譲語「差し上げる」の意は、「電話を与える」にしかならない。つまり、「電話差し上ます」と言われると、丁寧に「電話という機械をくれる」と言っているように聞こえるのである。
また、このような検討をすれば、丁重な表現はいくらでも作れる。
- 「私の方から電話をかけ直しますので、どうぞお気遣いなく。」
- 「私の方から電話をかけ直させていただきますので、どうぞお気遣いなく。」
- 「わたくしの方から電話いたしますので、どうぞお気遣いなく。」
私が好んで使うのは、上記のような表現である。語学専門の出版社が謬説をばら撒くのはやめて欲しいものだ。
<2006.7.15記9.30追記>