時事批評

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 最近、日本のマスメディアの議論の仕方は非常におかしくなっている。例えば、凶悪事件は減少傾向にあるのに、まるで逆のような報道をしたり、猟奇的事件は大多数の国民には関係ないのに、執拗に報道している。しかも、後でマスメディアは事件の行方が不明確な場合に、責任回避できるようにどのような結末でも対応できるような無責任な報道をする。例えば、綾香ちゃんの件では、当初、事故扱いに対する警察への恨みと複数殺人事件どちらにも対応可能なフラフラした報道を意図的にしていて、非常に不快であった。報道が一定のリスクも負いたくないなら、そもそも報道する資格などないと思う。不快な無責任報道は増大の一途である。それに綾香ちゃん事件より、はるかに国民生活に影響を与える政策は多々ある。しかも実施されて問題が多い介護保険制度の改悪も見直し議論は起きない。特に今回の改悪は馬鹿な財務省官僚が作成したものと見えて、姥捨て山促進制度とでもいうべき最低のものだ。以下でもマスメディアの異常報道を個別に検証してみよう。

 介護制度の改悪は世帯課税があれば定額部分と所得割で極端に介護保険料の負担を増やすというものである。今回はじめて税制に導入された異常な制度である。例えば、大資産家であるが所得はない世帯を別にできる介護保険受給者は、大富豪で高額所得者の息子がいても、最低料金で介護保険に加入でき、しかも介護保険の世話になれる。しかし、世帯を別にできるほど金持ちではなく、世帯でよく世話をしているため介護保険に世話になっていないが、年間で世帯の所得が520万以上ある受給者は最大の負担を強いられる。つまり、中間所得層に最も重い負担を強いる異常な保険制度になったのである。

 問題なのは、潜在的介護保険予備軍を防いでいる貢献者を痛めつける制度になっていることである。通常、高齢者と世帯をともにする事は介護保険を引き下げる効果が期待できる。特にその高齢者が介護保険利用者でない場合、介護保険料を引き下げに貢献している世帯である。その世帯に負担を重くしているのである。こうした制度は、積極的に高齢者世帯を別にする行為を正当化してしまう。高齢者単独世帯は、介護保険利用割合が高いはずで、本来ならこういう高齢者を引き受ける世帯になれば手厚く保護すべきであり、それが本来あるべき社会保障の姿であるはずだが、こうしたドキュメンタリーは一向に報道されない。

 また、国民健康保険もおかしな点はある。横浜市は優れているため、その欠陥を補う制度があるが、他の市町村には必ずしもない。例えば、民間企業に正規雇用で就職すると、厚生健康保険料は、勤務1ヶ月後から見込み収入を下に強制的に徴収される。しかし失業しても1年前の住民税をベースに徴収されては、最大11ヶ月自治体が不当な水準で、健康保険を徴収することになる。このため横浜市では失業の際に低減措置がある。利用しようとすれば窓口でちょっとした嫌がらせにはあうが、利用できる事には変わりない。生活保護となるとその応対のひどさは、マスメディアに報道されている通りであるが、ちょっとした工夫で直せる制度は直すべきなのだが、各自治体、当たり前のサービス向上にすら努力していないのである。就業努力にも関わらず、失業期間が長引く場合、失業1ヶ月以後の国民健康保険料は減免されてしかるべき性質のものである。これがないのは異常であるし、報道して是正を求めないのもおかしい。

 石原都知事といえば「今時、博覧会など必要ない」として、巨額の中止費用を払って博覧会を中止した都知事である。最近、臨海都市開発関連の東京都関係の諸財団などの組織の赤字に関しても十分な対策を取らなかった都知事の責任は重い。景気が悪いからで済ましてよい件ではない。そうした赤字の原因が博覧会停止かも知れないのに、そうした点を追求した報道もない。その石原都知事がオリンピック誘致するというのに、本末転倒ではないのかとの議論もないのは何故か。マスメディアの勉強不足か、経済団体の利益を考慮しての事か。

 タレント山本圭一による未成年女性への猥褻行為事件があった。その際、茨城ゴールデンゴールズの監督に対する萩本欽一へのマスメディアの報道姿勢は薄気味悪い事だらけであった。まず被害者に対する配慮を全く感じない。確かに事件を起こしたのは山本圭一というタレント一個人と報道されている。それに対して、萩本欽一監督は野球組織を解体すると宣言した。この対応は明らかにおかしい。そもそも事件に団体そのものが関与していたのではないから、監督個人が団体責任を無理矢理取らせるのは変である。今回問われるべきか争点になるのは、萩本欽一監督という個人に対する選手を監督する責任である。そのはずなのに、最初から義理人情で、監督責任を有耶無耶にしてしまったのは無責任としか思えない。

 監督としての責任の取り方はいくつか考えられる。萩本欽一監督が選手のそうした行動をきちんと監督できなかった責任を取るべきとすれば、まず監督として、選手の試合以外の行動に関して現状把握すべきで、これまでどのような行動をとっていたのか調査結果を発表し、今後、どのような方針で規律を保つのか明示すべきである。禁止事項を作っても守られなければ意味がないので、内規と罰則をどのように作るかが争点になろう。例えば、トラブルの程度に応じて選手登録抹消などの措置を明文化し公開しておけばよいのではないか。次に(山本圭一が認めて)事件が確定しているのなら、被害者に監督責任が及ばなかったことを謝罪する。好きな監督稼業かも知れないが、自ら一定期間、監督を謹慎するべきであったろう。最低でもこの3点は20歳以上の大人なら実行できて当たり前の事柄である。

 自分の長年経験してきたお笑い会の不祥事として、より重く受け止めるなら監督辞任も選択肢としてあっただろう。とにかく、今回のドタバタは萩本欽一の醜態を見せられただけで、だらしがないとしか言いようがない。

<2006.7.25記>

Kazari