靖国問題の論点のすり替えを嘆く。何故右翼や神道の出鱈目の議論に引きずられた報道が多いのか。そもそも靖国神社は様々な異常さをもつ国内の問題である。まず、神道以外の宗教徒を、靖国が無理矢理まつる事自体、憲法で保障する「信教の自由」を妨害する悪質な行為である。神道を信奉する裁判官だったのか、自衛官合祀事件の最高裁判決が悪影響している。この判決では、法人たる神社の「信教の自由」に対し、個人(キリスト教徒の妻)の宗教上の信念の方に「寛容」であれとの司法判断を強要している。宗教音痴甚だしい見解と言わねばならない。イスラム教などでも最後に他宗教で死ぬと一族に不幸があると考える宗派も存在する。最近、勝手にアイヌ人を祭った東北の神社があるが、こうした行動は明白な宗教的侵略行為に他ならない。
日本人である私から見ても靖国神社は他宗教徒弾圧の社で、宗教法人の資格を剥奪すべき社である。他の神社に比べても段違いで劣悪である。宗教に関する統計は宗教統計調査(承認統計)が、昭和24年以降、文化庁によって実施されている。Web上では総務省の日本統計年鑑の第23章文化から「A 宗教団体数,教師数及び信者数 [20KB]」のExcelファイルを見れば確認できる。各宗教団体の水増し申告のため、人口を上回る信徒数(2003年で総数2億1383万人)が報告されているが、水増し率一定と仮定すると、神道の宗教的位置は1980年以降、2003年まで、たかだか5割程度に過ぎない(他に仏教系約5割、キリスト教約1%)。私の宗教感情は上座部仏教徒に一番近いが、日本国内でまともな上座部仏教といえる宗派はない。したがって、国内の寺院で唯一該当しそうなのが、日本とタイの友好の証として名古屋に建てられた日泰寺くらいであるが、これも国内の大乗仏教徒が管理しているため、死んだら散骨を望んでいる(ちなみにここの永代供養はかなり安い方だと思う)。
ご存知の方には言うまでもないが、上座部仏教の教えにしたがえば墓は作らない。タイに行ったことのある人なら、(中華系を除く)寺院に墓がない事に気付いただろう。日本の宗教別人口は当てにはならないが、靖国問題を放置したのは政治家の意図的怠慢である。自民党は憲法に反してでも神道を信奉する政党であり、神道政治連盟(憲法違反の団体)が、「国会議員懇談会」という、ほとんどの自民党代議士が加盟した議連がある。憲法の政教分離の原則に反する行為である。自民党や神道は日本国憲法をGHQに押し付けられたと主張し、こうした不法行為を正当化している。こういう事が可能ならば何でもありと同じで、法治国家とはいえない。憲法改正やその際の「政教分離の原則の撤廃」や「神道の国教化」を視座に入れた許しがたき団体である。
村山首相の際に、無宗教の国民慰霊碑を作るべきであったし、今からでも建立するべきである。その際にA級戦犯とは関係なく、当時の統治システム上、天皇の統帥権を侵犯したり、天皇の命令に逆らって行動し、日本を泥沼の戦争に導いた松岡洋右(国際連盟脱退)や関東軍の幹部、戦時中は選挙妨害を支持し、司法に圧力をかけ、馬鹿げた民間人総決起論などから終戦を遅らせ、たくせんの兵士や民間人を犬死に追いやった東条英機らは慰霊碑に加えるべきではない。天皇が戦争拡大に反対し外交による平和裏の解決を望んでいた時期に、それを事実上できなくした人たちのせいで、戦争で国のために死んでいった本当の忠君に対して失礼甚だしいためである。だいたい天皇を崇拝すべき神道の人間が、こうした人を祭ることから見ても、昔から天皇を傀儡として利用することしか考えていない不遜な連中である事が分かる。そもそも弱者救済もしない団体は宗教法人としての資格を剥奪するのが適当ではないか。
<2006.7.30記>