2006.8.14日経エレクトロニクスの「フラッシュ・メモリ発明対価訴訟は何を残したか」の記事で、特許がらみの記事の不自然さを考える。
こうした特許対価関連の記事は、裁判所が特許対価の算定根拠を示さないことを怠慢だと謗る傾向がある。しかし、現在の最先端の経営学、経済学を駆使して、誰もが納得するであろう「一つの特許に対する対価の算定方法」など提示できるだろうか。何か妙案があるなら、記者は取材して、考えられる算定法を提示すれば良いと思う。ないならば裁判所の責任ではなく、専門分野の学問の責任というべきであろう。企業の特許使用料に関する現行の非課税扱いは、税理論でも周知一致の見解ではない。
研究者の地位向上を主張する舛岡氏はインタビューで「研究者は(企業を騙して)企業から与えらた研究は80%の力でこなし、残りの20%は自分のやりたい研究をすべきだ」という趣旨の事を述べておられるのは大変奇妙な事である。こうした行動が研究者の地位向上につながるとは到底思えない。もし仮にある研究者がそのように行動して、特に発明が得られず退職した場合、企業はその研究者が意図的に会社に損失をもたらしたと訴えて、研究所の不正使用料ならびに職務怠慢としてそれまでの給与の20%の返還を求めることができるだろう。
企業にとって、研究者に研究環境を提供すること自体、一定のリスクを含む決断であるため、経営者がそのリスクを負っていると考えるなら、成功報酬すべてを研究者が求めるのはおかしい。それから、大手銀行など不当に高い賃金を受け取っている業種と比較する事もあまり説得力があるとは思われない。現行法の下で、即効的に効果があるとすれば、よりよい研究雇用契約を結ぶことではないだろうか。例えば、20%を自分の好きな研究に当てるというリスクを企業に負わせる代わりに、発明した際の利益の一部(折半と考えるなら50%)を放棄する事を明記した研究雇用契約などが考えられる。これなら研究者個人はリスクを全面的に負わずに成功の一部を手にできる。しかし、それでも、この場合の特許による利益とは何かという問題は解決できない。
大手企業が特許に関して報酬を得やすいのは、豊富な情報量、違反企業を訴える財力や人材を保有しているためである。これは当該企業に就職した研究者がもつ無形報酬と言ってよい。これを研究者全員にただ乗りされたら、企業は倒産するだろう。
もし、特許報酬を得る際にかかる一定の費用は、個別特許単位に割り振るとすれば、利益の大半は消えてしまうかもしれない。こうした特許関連の記事には、経営者がリスクを取った対価や訴訟に関する直接・間接の費用などを一切無視する傾向があるが、これを無視して研究者の地位向上を訴えても非現実的としか思えない。中村氏の主張する「特許報酬のすべては研究者のもの」という極端な考えは、「競争力のない製品を営業が売れば、利益はすべて営業員のもの」というくらい奇妙奇天烈な愚論である。
こうした記事を読むと、大田区の中小企業のある社長が書いた次のような趣旨の内容を思い起こす。「特許はすべて大手企業と折半にしているのは、特許を破った企業を個人訴訟で対価を得ることが事実上、無理だからです。」この発言の背景には、「訴訟する時間があれば新製品開発をしたい」というエンジニアの誇りと中小企業社長という経営感覚から来ており、まともな見識とはこういうものであるといたく感心するのである。
<2006.8.10記>