Wikipediaによれば、ゆとり教育の失敗は統計で確認できないそうである。本当だろうか。解説には一番話題になったOECDの学力の国際比較調査に言及がないのは奇妙である。図録学力の国際比較(OECDのPISA調査)の結果によれば、日本は順位を下げているのだが。
1999年(平成11年)に学習指導要領の全部改正がなされ、1.学習内容、授業時数の削減、2.完全学校週5日制の実施、3.「総合的な学習の時間」の新設が2002年度(平成14年度)から実施された。法律制定時の文部大臣は中曽根弘文である。ゆとり教育の言い出しっぺは有馬参議院議員であるが、これらの政治家の政治責任はどうなるのだろうか。有馬参議院議員の理念として、1.親が学校にしつけを含め、教育の責任を押し付けすぎている。2.基礎を徹底して教える必要があるという。私はその意見に同意する。しかし、それが何故、ほとんど日教組という労働組合への実質賃上という褒美にしかならない「1.学習内容、授業時数の削減」になるのかが分からない。有馬参議院議員の論理でいうならば、学習内容の軽減、授業時数の増加が正しい選択ではないのか。もし親がしつけを含め、子供への教育をしないというのなら、その原因を調査すべきである。親の学力低下が原因なら、1951年から授業時間を段段と減少させた事は失敗の本質だろう。
実際には複合的要因だろう。思いつくだけでもたくさんある。1.資本主義の進展にともない個人主義が間違った方向に蔓延したこと、2.共働き世帯の増加、3.親がしつけを教える教養を失ったこと、4.共同体による子供のしつけの喪失、5.教員の質の悪化、6.PTAによる自らの子息に対する教員のエコ贔屓を強要する風潮、7.教員の授業以外の仕事の増加などである。
どの要因についても、ひとつひとつ丹念に対応していけば改善する事柄であるが、簡単ではない項目もある。1.については抽象的な方策しかないが、二分法的論理ではなく、親が社会の一員であることを再確認できるよう、マスメディアをはじめ真剣に考えるべきである。即効性のある方策としては、教師が学校の方針を親を集めて明確に伝える事である。例えば、親が子供の前で教師の悪口を言うなど論外である。特に小学生ぐらいだと親に対しても平然と嘘をつくし、信頼関係のない所で、小学校生徒が教師から学問を受容しようなどとするはずがない。「いじめを受けるくらいなら、いじめる側に回りなさい」などと親が言うようでは世も末である。親が努力して、子供の世界くらいは正義の通用する社会にしなければならない。
私の小学校時代を省みても、たいへん未熟であり、八つ当たりなども意味もなく行ったこともあった。低学年時にいじめを受けた事もあったが、後でいじめた人々の当時の家庭事情を聞くと、親が無教養で特に貧しいわけでもないのに家族経営の店の仕事を手伝わせていたり、浮気をしていたりとなかなか悲惨である。中学になると悲惨な境遇ながら、不良振るくらいで堪えている知人も見られるが、小学生当時そんなできた奴は見た事がない。
2.に対する対策も一筋縄ではいかない。例えば、共働き世帯の母親の多くには専業主婦に対する偏見がある。「どうせ暇なんだから」とか無意識に言ったりする知人がいる。言語道断の差別であるが、当人それほどひどい事を言っているという自覚すらない。専業主婦には、所得を低くしても愛情を注ぐことをよしとする家庭もあるだろうし、介護の必要性からそうなっている人もたくさん知っている。そういう傲慢な共働きの母親は、専業主婦の人から「子供の教育より金儲けが大事なんでしょ」と罵られても気にしないのだろうか。相手の立場を想像する能力の欠如から生まれる偏見とはいえ、これを除くには親の教育しかない。
3に対する対策も相互に関連するだろう。娯楽が増えた結果、教養に対する評価は下がる一方である。特に近年の勝ち馬にのればいいみたいな風潮は末世にこそ相応しいものではないかと思う。大学などで行う社会人教育というよりかは、学校が親を巻き込んで行う総合教育という手法を積極的に行うべきである。
4に対する直接的な対策は立て難い。しかし、マスメディアの偏向報道を止めさせることは重要である。共同体による子供のしつけの喪失のひとつには、若者に説教すると恐ろしいという陰険な煽り報道をマスメディアが行ってきた事に問題がある。
特に凶悪犯罪の扱いには問題がある。減少傾向にあっても、ひとつの事件を執拗に報道する。昔は村壊滅の殺人事件などでも新聞の片隅にしか載らないこともあったが、馬鹿げたテレビ文化(安易なテレビ制作)が生んでいる現象である。テレビ製作者やマスメディアは「視聴者はセンセーショナルな内容を欲している」と勝手に視聴者を妄想して主張し、と同時に無節操かつ傲慢に「我々は良質なジャーナリズムを提供している」などという。
良質なジャーナリズムなどテレビにも、新聞や週刊誌にもほとんど存在していない。そうした事は、国民の多くの実生活に大きな影響を与える政策などについて、きちんと報道しない、時間をかけないなどに典型的に現れている。国民健康保険の改悪に関する報道の少なさなど最たるものである。より少ない集団にしか影響しない障害者自立支援法の報道が長いのに対して対照的である。もちろん、後者を報道するなと言っているのではない。もし障害者自立支援法を問題にするなら、戦傷病者戦没者遺族等援護法も問題にすべきだろう。より明確に援助が必要な人の支援を減らし、必要かどうか分からない戦傷病者戦没者遺族の孫の世代にまで、いまになって一時金を給付する意味など思いつかない。在郷軍人会や日本遺族会などの右翼団体から票を得たい自民党の補助金ばら撒きであろう。こんな事すらマスメディアは指摘できないのである。
利害対立の少ない極小の事件を追う事はマスメディアにとって(訴えられるとしても個人からなので)リスクが小さい。極小でも右翼を批判するとさまざまな水準のテロ行為にあう事を恐れて、マスメディアは報道しない。マスメディアを教育し直すことが急務である。そのためには、マスメディアの異常さを監視する教育メディアが必要だろう。社会全体が良い意味でリスクを取る事を厭わない社会にならないと、民主主義も形骸化してしまう。すでにその兆候が至る所に現れているだけに事態は深刻である。
5が一番、簡単である。教員試験の廃止、応能報酬(例えば、受けもち生徒の学力絶対水準や上昇率(相対変化)を報酬にリンクさせる)、平均賃金の上昇、職務規定の厳格化、解雇可能な公務員とすることなど、取れる対策はいくらでもある。
6も簡単である。PTAの廃止。もし地方で役立つというのなら、教員や生徒代表を含めた教育の質向上を全体で考える団体を作ればいいと思う。実質的に一部の親で構成され、親の利害を教育の場に持ち込むなど無意味で、私の人生経験上は必要ない利益団体である。私の地区では、PTA役員の子息を優遇するエコ贔屓な問題教師をPTA役員が不問に帰し、いじめの温床になっていた。その問題教師は、その後ヤクザの子息に休み時間にウルトラマンを見させるなど異常行動を取り、不正の指摘にも「見なかったあなたたちが悪いのよ」と答える始末で、最終的には自己都合退職となったが、どうしようもない教師は解雇するしかないし、公正な教育の妨害をするPTAなど存在意義がない。
7も簡単である。授業以外の雑務、種類作成は別の専門官が行えばよい。もちろん、教育とは金のかかるものである。義務教育を無料で提供するのは民主主義国家の義務である。
小学校は親の問題が非常に重要で、親がまともでないと教育が難しいと経験上強く感じる。それに比べ中学になると、より教師に厳しい制度が望ましいだろう。竹刀をかざし、ポケットに手を入れて、昼間からサングラスで廊下を練り歩き、職員室では机に足をのせるような中学教員は解雇に値する。
ゆとり教育政策の転換の拙速さから見ても、政策導入当初は自民党は日教組の票を期待し、地方のPTAなどの猛反発にたじろいで、変えたのではないかと見る人もいるくらいである。そもそも詰め込みが何故批判になったのかも、よく分からない。基礎知識のないところに、いくらゆとりを与えたところで何にもならない。英語で例えれば、基礎単語数10に落とせば覚えられても役に立たないし意味がない。結局、私立校や私塾に通わせる事のできる富裕層にだけ教育格差の利益をもたらす事を狙った悪質な低所得層無能化計画だったのではないか。
<2006.8.14記>