加藤紘一議員の自宅が放火された。悪質な言論弾圧行為であり、犯人の厳格な処罰を求めたい。このような嫌がらせを再発防止するためにも、神道はこうした犯罪を批判する声明を出すべきだろう。靖国が宗教団体であると主張するならば声明を出せるはずであるが、出さないとなると靖国の宗教団体の性質は妖しい事が明確になるだろう。
wikipediaによれば、「2005年(平成17)6月14日:靖国神社に合祀されている台湾人の遺族ら約50人が、魂を取り戻すための伝統儀式を行うため訪問。神社側は拒否しなかったものの、これに反対する関係者らが集まったため、警察の要請を受け中止した。」そうである。なぜ靖国は反対勢力を叱責したり、他宗教の信教の自由の観点から解散をもとめなかったのであろう。
諸外国の靖国参拝批判は、国内の靖国公式参拝反対派・(靖国神社とは異なる)無宗教の戦没者慰霊碑の建設肯定派にとって、いい迷惑なので止めていただきたい。諸外国の批判によって、国内の憲法問題であるのに外交問題であるという論点のすりかえが容易になる。自民党は神道を信奉する右派の政党であるし、右派や"愛国主義者"や"国家主義者"を称する連中が、論点のすりかえを積極的に行う。最近のマスメディアは勉強不足であるし、翼賛的なため議論が空転してしまう。私は靖国で兵士の戦死者を参拝することに反対という見解を持つ。こうした見解を保持する者にとって、他国の日本批判は日本の右翼勢力の増大になるだけで、外圧は逆効果で迷惑している。諸外国は「日本は先進国であり、憲法の下で信教の自由が保障されているのに、それが実質的にないなんて、なんて悲惨な国なのだ」といった類の声明を発表し、日本国民を可愛そうな人と評すればいいではないか。その程度の方が、国内の似非"国家主義者"の妄言に反対し易いのである。
日本国憲法 第20条は、日本国憲法第3章にあり、信教の自由と政教分離について規定している。(参照:wikipedia)条文は3項ある。靖国の憲法違反は多々ある。
- 1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
小泉氏の靖国参拝を「国⇒宗教団体」として問題を問えないという人もいるが、公式参拝であれば憲法に抵触する。参拝に際し公金を支出した場合は、最高裁の違憲判決もある(愛媛玉串料訴訟:松山地方裁判所1989年3月17日判決,高松高等裁判所1992年5月12日判決,最高裁判所1997年4月2日大法廷判決)。公式か否かを曖昧にして参拝を強行をすることが心に疾しい所がある証拠である。1985年(昭和60年)に中曽根康弘が首相としてはじめて公式参拝を表明してから外交問題に発展した。こうした史実も、右派の手にかかると「85年以前から首相は参拝してきた」と曖昧表現を用いた論理のすり替えにあうが、A級戦犯合祀後の首相参拝は私的参拝か公式と表明しない参拝である。公式参拝になし崩しにしていこうとする靖国の政治介入は、基本的人権である信教の自由を脅かすものであり、断固として阻止しなければならない。自由民主党は、靖国神社の国営化を目指す「靖国神社法案」を69年から4年連続、国会に提出している。すべて審議未了で廃案(74年)になった。「これを機に靖国勢力は方向を転換し、「首相・閣僚らの公式参拝」による同神社の公的復権を当面の目標に変えました」という見方がある。
「宗教団体⇒国」としては、78年のA級戦犯合祀をはじめ、多くの合祀行為が違憲であるし、厳密に言えば「国会議員懇談会」も違憲行為といえる。それから国政に対して自らの見解を示し(ここまで思想の自由にあたる)が、その見解を国会議員に働きかけるのは明白な違憲行為である。
キリスト教徒や台湾先住民で日本軍として闘った人も靖国に祀られることを望んでいないが、これは「宗教団体⇒個人の信教の自由」の侵犯行為であることは前にも書いた通りである。宗教法人のひとつにすぎない靖国が、こうした他宗教の人々を祀る権限を持つ事自体、異常である。宗教団体の宗教行為の自由より個人の信仰の自由の方を尊重するというのがまっとうな憲法解釈であろうが、自衛官合祀事件の最高判決が災いとなっている。この点については以前書いたので、ここでは繰り返さない。
三土修平によれば、「第二次世界大戦後、GHQは靖国に対して、宗教団体か無宗教の追悼施設かの選択を迫った。単純に言えば憲法20条の遵守を求めた。その時、靖国は宗教団体を選んだ」。しかし、現在では唯一の追悼施設を主張しつつ、政治介入を試み続けているのである。こうした戦争肯定、翼賛団体が再び政治介入することは日本国の「信仰の自由」、平和、安全保障にとって好ましくない。本当の愛国者や国家主義者なら、こんな右翼団体は必要ないのである。
これとは別の追悼施設として、身元の確認が取れなかった方々(2006年現在35万1,324人)が眠る千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。1960年(昭和35年)6月に忠霊塔建設予定地だったところに建立された。老朽化後大改修され、1988年(昭和63年)3月に完成し現在の姿となった。毎年5月に厚生労働省主催の拝礼式が行われている。靖国に眠る戦没者に比べれば少ない。しかし、靖国と合わせてもこれで十分なのか疑問である。沖縄戦や空襲、原爆などで死んだ民間人は靖国には祀られていないからである。
つまり本当に平和を求め、戦没者に追悼するという目的ならば、毎年終戦記念日に武道館で執り行われ、天皇が出席する戦没者追悼式だけで十分なのである。それなのに、小泉が靖国へ向かうのは別の理由しか考えられない。第一は、宗教法人として課税される事なく集められた賽銭などが、支出もとやかくいわない宗教法人の資格を利用して、政治献金化し、自民党がこれを受けていることである。第二に、靖国を支える在郷軍人会、日本遺族会、神道連盟などの右派団体の集票を期待してのことであろう。
<2006.8.16記>