時事批評

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経済学者の失言リスト

 何だかよく見かけるようになったテキトーな嘘をついている経済学者の発言を指摘していこうかと思います。書評(Wildtam Easterly、若田部昌澄、福岡正夫、Kornai Janos、Steven E. Landsburg、Robert B.Reich、中島隆信)やミクロ経済学(伊藤元重)などで指摘済みの方は重複しないようにしたいと思います。私が経済学者と見なしていない人(野口悠紀雄、竹中平蔵)や思想的な偏向が激しい学者(中谷巌)は、たぶんここでは指摘しません。

 2010.8.19毎日新聞 経済観測 伊藤隆敏

 英語が堪能でアジア諸国で金融顧問などをしていたことのある伊藤隆敏であるが、何だかNHKはニュース番組以外いらないみたいな事を言うようになってから、なぜか専門外の公共政策の分野で再就職していたのですね。

 この記事の発言内容の出鱈目さにうんざりします。昔は調査もせずに特定団体や補助金の弁護をするような人ではなかったのですが、どうも最近の年寄りはずうずうしさだけ強くなって良くない。アメリカで就職でもしたいのだろうか?

 昭和62年度から開始されたJETプログラムに対する政策評価を行うには、JETプログラム体験者にアンケート調査を行った報告書の類があるので、それに眼を通した上で発言すべきです。報告書にリンクしようと思い、ざっくりweb検索にかけたが見つからない。外務省の知人から見せてもらった報告書かもしれないが、もう手元に資料がないから記憶をたよりに書きます。JETプログラムを体験した外国人講師の多くは、日本が嫌いになって帰っていきました。その調査報告書が出た当時(たぶん15年以上前)から廃止論議があります。給与水準が日本人教師に比して格段に高いにも関わらず、嫌いになる比率が高すぎるんだな。つまり経済的にはかなり非効率な補助金プログラムでした。よく政策の歴史を調べれば明らかなことですが、日本の対米貿易黒字多かりし頃、JETプログラムはアメリカの雇用促進のために行われた背景もあります。外務省、文部科学省、総務省が地方自治体と協力して行われているプログラムであり、教師の雇用面談のほとんどは在外日本大使館が行っています。記事には(総務省の外郭団体である)自治体国際化協会の単独運営かのように書かれており不正確です。採用時点で問題が多い講師を採用しすぎているとも言われています。この点は複数の報告書で改善されていないこと確認できました。現在は非英語圏の人も雇用していますが、制度の趣旨からいって何の意味があるんでしょうね。

 伊藤隆敏は、意図的に過去のアンケート調査の報告書を見ないで、「何人ものJET経験者に会ったが、みな素晴らしい経験だったと語っている」と書いてます。自分が数人に会った程度の経験で持って、全体に拡張しても大丈夫と考えるのは馬鹿だからなのでしょう。そもそも日本人より高い給与を日本の税金で負担しているのだから、ほぼ全員が日本を好きになってくれなくては困るプログラムです。母国語を話すだけで海外渡航まで出来て、数割の外人が日本嫌いになって帰るのなら、日本人の雇用対策に資金手当てすべきでしょう。昔は授業が少なくて負担が少ないのに月額30万円くらい出ていました。今は以前よりは多めに働いてもらうようですが、嫌いになる比率は減っているのでしょうか?調査無しに書いていい事柄ではありません。少なくとも過去の調査からはJETプログラムは廃止が適当なプログラムです。

 短い記事ながら三省合同のプロジェクトを一団体のように言うのも変だし、毎日新聞の編集者がよく調べて、こうした劣悪な記事に対しては、「こんな低質な原稿には原稿料を支払えない」と毅然たる態度を取って、没にしてくれないと困ります。ジャーナリズムが情報の質を保つ防波堤にならないなら新聞の価値なぞないでしょう。

<2010.9.19記, 9.21追記>

 2011.3.19毎日新聞 東日本大震災 浜矩子

 何で金融経済学が専門なのに、こんな記事書いてんだろうね。断りなさいな。本当に年寄りは度胸だけ肥大していって見苦しい。

 浜矩子によれば、震災対策につながる恐怖の克服への近道が徹底理解なんですと。恐怖の克服の早道は信頼です。金融経済や市場を勉強していて、何で信用が一番大事だと気付かないのかな。経済学の基本でしょ。価格にすべての情報が集約されていると考える背景にも、法を守るなどの信用がないと、市場は効率性を発揮できません。だから、震災だろうが、疫病だろうが、この困難に立ち向かうリーダーに、集団が全幅の信頼を置けるならば、そもそも恐怖など起こりえません。

 何で畑違いのキューリー夫人の言葉から、出鱈目な論理展開ができるかねぇ。しかも経済学の基本的な考えを捨ててまで。

 それに人間の恐怖の源泉は、知らないということだけではない。知らないことが恐怖の源泉になることがあっても、必要十分条件でもないんだから、もっと深く思考してくれよと言いたくなる。それに知らないことが、恐怖につながらないことは山ほどある。空気の組成を厳密に正確に徹底理解してなくても、恐怖は生じない。携帯電話の仕組みを厳密に正確に徹底理解してなくても、恐怖は生じない。少し考えれば分かることだ。

 キューリー夫人の言葉に頼って極端な論理展開するから、襤褸が生じた一文の価値もない原稿です。この記事の下の王将戦(将棋)の記事を切り抜く間の斜め読みで、あまりのひどさに開いた口が塞がらなくなったので、記録しときます。

<2011.4.7記>

Kazari