国会議員の馬鹿らしい日本語の語録
谷垣禎一(自民党)の場合
党首になった際に、「建設的な野党を目指す」と言いましたが、嘘だったようです。協力すれば、6月に成立したであろう復興支援関連法案(赤字国債法案など含む)は、大島国会対策委員が与党に協力的だったのに党首が反対したため、8月にまでずれ込みました。この間、すでに通った法案の内容を与党が覆さない限り、復興支援関連法案を通さないという民主主義的な手続きにすら反する態度を党利党略のために取りました。もともと「地下式原子力発電所政策推進議員連盟(顧問)」だから、東電の責任は一切ない、政府の責任を明記すべきだという主張につながっているようです。「新憲法制定議員同盟(顧問)」でありながら、憲法上問題があるとして、外国人の地方自治参加は認めないという二重基準の持ち主でもあります。政治家を辞めてもらった方がいい議員の一人です。
石原伸晃(自民党)の場合
菅直人の「一定の目処(めど)がたったら」発言を受けて、国会にて「目途(もくと)」と言い換えていたが、これがナンセンスの極みです。政治というのはある意味、言質を取る場なのだから、別の人の発言を意味内容やニュアンスの異なる言葉で変えて自分の知識をひけらかそうとするのは実にみっともない行為です。親譲りのバカ発言なのだけれど、もう少し考えた方がいい。
目処(めど)は、「見通し」の意味にしか使えません。菅直人は「目処がたったら」=「見通しがたったら」としか言ってません。一方、目途(もくと)も「目標」の意味にしか使いません。「見通しがたったら」という言葉を「目途が達成できたら」と言い直す意味は全くありません。なぜ、石原は言い換えたんだろうね。目処(めど)の方が一般にはわかりやすい言葉と思われるだけに、こういう馬鹿げた表現に接すると不快になります。国会の場では、相手の言葉を正確に使って攻撃した方が効果が高いのだが、それよりも自己顕示欲の塊なところなぞ、親同様の馬鹿ぶりで、こういうインテリぶる馬鹿な政治家は日本からいなくなってほしいものです。
石原慎太郎(自民党)の場合
たくさんありすぎて書く気も失せるほどですが、毎日新聞2011.6.18に「朝から傘さしてパチンコ屋の開店を待っているような国は世界中にないよ。娯楽なんだから夜中にすればいい。」と嘯いているが、アメリカのラスベガスのカジノは夜中だけ営業しているわけではありません。午前中からスロットマシンに座る老人はたくさんいるよ。行ったことあるくせに何を言ってんだろうね。所詮、カジノは良いけど、パチンコは駄目という人であるから、みえみえの嘘をつくのだろうけど、新聞記者なら、嫌われてもつっこみなさいな。
松本龍(民主党)の場合
まず、辞任に至った「上から目線」報道以前に、度し難い発言があるので、それに書いておきます。防災相の就任挨拶かなんかで、彼は「私は民主党も自民党も公明党も嫌いです」と発言しました。私なら、この発言の責任を取らせて辞任させます。
マスメディアもそう感じたから報道したんでしょう。たぶん普通の人は次のように感じます。嫌ならば、防災相を引き受けなければいいじゃん。自らの感情として周りに負の感情を抱いていたとしても、政治家であるならばそれを表に出すのはバカのやることです。今求められている防災相の役割を鑑みて、次のように発言すべきだったのです。「私は民主党も自民党も公明党も大好きです。震災に際して、これからは皆同じ方向を向いて汗してくれることを固く信じています。マスメディアの皆さんもどうぞ力を貸して下さい。」と。日本語が荒いとか以前の問題で、人として生きる姿勢の問題です。彼には「誰よりも被災者に寄り添っているつもり」とか放言する資格があるとは思えない。
震災などの危急時に必要なのは、豊臣秀吉や坂本龍馬のような「人たらし」です。そういう基本的な歴史観や、大局観もない政治家って、今の危急時には役立たないから要らないと思う。この国難時に、辞任に際してマイホームパパ宣言するくらいなのだから、せっかくなので是非、政治家をお辞めになってください。
菅直人(民主党)と伸子夫人の場合
2011.6.9の毎日新聞によれば、菅家の座右の銘が「なりゆきを決然と生きる」なんだそうだ。僧侶である玄侑宗久の言葉だそうである。また塩野七生のファンとかで、塩野七生が小泉元首相宛に書いた「満身創痍になるまで責務を果たせ」というのをなぜか今の自分に対して実行中らしい。ここまで良妻賢母の対極にある超愚妻となると、夫も馬鹿になるもんなんだと改めて呆れる。座右の銘に関しては意味を取り違えています。やりたいことなどないくせに。とっとと政界から去れ。
菅直人は馬鹿だから、この言葉の意味を書いておかないと政治家が使ってはいけない考えだと気付かないだろうから解説しておこう。仏法に照らして言えば、「なりゆきを決然と生きる」は自殺者などを出さないために、今回の被災民に向けていうような言葉である。すでに起こってしまった大地震(原子力発電所の事故除く)という自然災害(なりゆき)は致し方ないが、そうしたものも受け止めて、もしくは受け流して生きていくより仕方のないといった決意みたいなものになるが、そもそも仏教は、喜捨の精神が大事なのであるから、権力も喜捨、財産も喜捨、すべて投げて遍路に出る時、この言葉を信条とするならともかく、被災地の将来を変え得る時の総理が、権力にしがみつくために使うのは言語道断なのである。伸子夫人のように誤読に基づいて引用されれば、さぞかし、玄侑宗久も迷惑なことであろう。
仏教を侮辱する伸子夫人の考えは非常に傲慢不遜そのものであり、夫人自体が遍路に出た方がよいようだ。なおこの新聞記事で、菅直人夫人は夫をゲリラのように言っているが、総理はゲリラ的な人物が行ってよい職種ではない。勘違いしてんじゃねーよ。
<2011.7.12記>
松本龍の発言に関しては、TV報道で「・・・嫌いです」と言っていたと思うが、毎日新聞の記事では「・・・嫌いだ」と語尾も荒くされて、子どもっぽいとか評されていた。記事内容は「上から目線」を糾弾する内容であったが、私は「上から目線」云々のほとんどは、知事に対しての言葉だから、知事が人徳高く、言葉を知らない人の言と受け流せる人であればあまり問題はないと思う。たぶん記者に対して高圧的なのを制裁する目的で、殊更、「上から目線」以降はマスコミが騒いで報道したのだろうが、就任挨拶と辞任会見は政治家失格である。
<2011.7.15記>
報道などを通じて、玄侑宗久がこの震災の被災者であることを知る。そうであるならなおさら、菅直人の勘違いは無念であろう。心中察するに余りある。
<2011.8.18追記「谷垣禎一(自民党)の場合」>