時事批評

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本質的な議論がまったく行われないエコやエネルギー政策

あまりに枝葉末節な議論しか取り上げないマスコミ

 前記事の後半に書いたが、1979年のオイルショック後の数年は、電力需要の伸び無しに実質GDP成長率が3-4%になったことがあるという事を、最近のマスコミは忘れているのではなかろうか。だから、電力需要がひたすら伸び続けることを前提にした安易で、ある意味将来世代のエネルギーをできる限り早いうちに食いつぶす現在のエネルギー政策を堅持しようとする偏向を見抜けないのだと思う。

 それからテレビ、新聞、週刊誌ともに、エネルギー政策というと、発電ありきの議論に偏っている。なぜかというと本質的にエコな開発がなされると、電気っていらない局面が増えるからだろう。そうなれば電力会社の利益に背反してしまう。この問題を真面目に考えて報道した事例は、いまのところ見当たらない。私の調査不足であることを祈る。

本質的なエコ・エネルギー政策とは?(報道済みの件とその拡張)

 まず、唯一メディアで取り上げられた事例から見てみよう。デンマークの駐日大使は被災地に最も早く援助に乗り出した外国人の一人である。その大使が今度は節電の対象になっていない大使館に週一日、私服日を導入したことをNHKが報じた。その日に関して言えば、皆、Tシャツ、半ズボンと徹底していたのが印象的で、まず日本の企業だと、しり込みして行わない水準のものだった。

 日本の気候風土に合わない背広を、ビジネス慣行から完全にはずすことは難しいかもしれない。しかし、もし制服(夏冬別)もしくは私服にするのが可能なら、クールビズの方法自体がかなり変わる。通勤と企業内に関しては、全面的にまるまる移行しても問題はさしてないのに詰まらない理由(自分たちもそうしてきたなど)で実施できないのである。外部の人と会うときだけ背広に着替えればいいはずだが、企業トップの心意気ひとつで行えることが、現在の日本の企業上層部が団塊世代のためか、できないのである。

本質的なエコ・エネルギー政策とは?(議論されている様子のないもの)

 日本ではこれだけの温泉地をもちながら、地熱発電に関しては後進国で、ついこの間エネルギー関連の業務提携をしたとか報道された程度である。しかし、ここで言いたいのは地熱発電ではない。温泉を掘り当てるだけで、エコになると言いたいのだ。例えば温泉村や町のようにして、各戸に温泉がめぐれば、いろいろな使い道がある。まず、風呂を沸かす必要性はなくなるから、風呂に使用していたガス・電気・水が不要になる。配管掃除の問題が残るが、床暖房にも使える。源泉が熱ければ、温泉タマゴなど地場の名物品ができる。場合によっては廃熱発電もできるし、地域によっては路面の凍結防止などにも使えるだろう。各戸にいかなくても、共有の村営、町営温泉を積極的に活用すれば、その分節約ができる。病院でも温泉を利用したリハビリが行える。地域によっては、家族風呂のような設備を備えた温泉地(たしか静岡県河津市)もある。こうした行政単位で、(発電に限らない)自然エネルギーの利用効率を高めるという議論はまったく行われていないように思う。

 自然な湧水も同じで、飲料に絶え得るレベルでなくても、農業用水にできるなら、村に用水路をめぐらすだけで、農作物を作れたり、用水路からの散水設備で、冷房代わりになったりする。

 こうした議論が行われないのは、電力会社の利害に反することもさることながら、国の官僚が日本全国を幅広く俯瞰したり、柔軟な発想を行う能力を失い、自分の所属する都市住民の事や、天下り先のことばかりを念頭に考えているからでじゃなかろうか。

 私は批判する時は辛辣に行う傾向にある。大手メディアによるしっかりとした批判がないためでもある。しかし、少し官僚に酷な要求になっている部分もあることは自覚している。官僚の自由な発想を奪っている要因として、縦割り行政がある。しかし、専門家が自分の分野だけに閉じこもり、マスコミもこの偏向を見抜けなくなる中、どこでより包括的な政策を思考し実施するのか、縦割り行政の弊害の歯止めをかけるべき責任主体はどこに求めるべきかについて、システムとして考えなければならない段階になっている。

<2011.7.16記>

 その後、NHKがアイスランドの地熱発電、源泉の首都での利用について特集を組んだ。さすが、この辺は広告主がいない分、フットワークが軽い。欲を言えば源泉が首都に配送される以前と以後で具体的にどのような電力需要の変化などが起きたのか、きちんと整理して報道してほしかった。

 TBSは、忌野清志郎の追悼コンサートをCSで流した。一応、スカパラの無料デーにやっていたので、見た人もいるかもしれない。普段は有料とはいえ、東芝EMIが原子力推進派(東芝本社)の圧力を受けて発売中止にした清志郎のアルバムからの曲を、3.11以後はじめてテレビで聞いた気がする。Love me tender 、Summer Time Bluesという反原子力発電所の歌を泉谷しげるが歌っていた。ちなみにテレビ・新聞のニュース報道は自主規制が激しいため、全く報道されていないが、Youtubeなどによって、5月ごろ反原発デモにおいて、この歌が歌われたことを確認できる。この辺、中国の列車事故を批判する前に、日本が中国と同じレベルなのをマスゴミは恥じるべきだろう。

 夜間の電力を一割蓄電できるなら、現在の日本でも、節電要請しなくても、原子力発電所すべて要らないのではないか。この辺の技術(キャパシタ)などは急速に進歩しているから、大電力消費産業に蓄電義務付けだけで原子力発電を放棄できそうである。まぁこういう本質的な点を議論しないから、減原発などが出てくるのだろう。ちなみに、お盆の熱帯夜でも夜間の電力は5-6割しか使ってない。夜間シフトした割には7割超えたの見たことないなぁ。

<2011.8.18追記>

Kazari