時事批評

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琉球新報の「公益性」と新聞協会「オフレコに道義的責任も」以前に

今回の発言について

 防衛省の人は「犯す前に犯しますよと言うか」と暴言を吐いたとされるが、皆勝手に、言葉として「女性を」を補って考えています。しかし、これだけが唯一考えられる言葉として適格でしょうか。「法律を」でも「罪を」でも成り立つんですが、・・・。別にこの官僚がどういう人であろうと、嫌いだから悪意に解釈は報道陣として許される行為とは思えない。

 エログロ一直線な俗人が発したなら、例えば、AV男優なら「法律を」が入る見込みはないと記者が断定できる確信があったと言えば、そうかも知れないという気持ちも起きる。しかし、今回の発言は微妙すぎて、そこまで断定できる要素は何も伝わってきていない。ただ勝手に皆の「女性を」を補った妄想とともに言葉は独り歩きしている。

 まずこの点について、他のマスメディアから何の反省もないのが不思議である。最近の政治家も言葉を大事に扱っていないことがよくあるが、マスメディアが言葉に鈍感であっては迷惑だ。こんな下らない発言を下に、大臣の任命責任をぐだぐだ言って、審議拒否する自民党の政治家も阿保かと思う。最近のマスコミは、自民党時代には、よほどの発言でないと取り上げなかったが、民主党の時に、どうとでも解釈可能なものまで言葉狩りをするのは、すでに常軌を逸する水準になっている。

NHKニュース深読みでの浜矩子の目に余る出鱈目発言

 この人、金融経済学者というよりは金融市場万歳な宗教家としか思えない。今回の欧州金融危機には、イタリアも投機にあって、国家元首である政治家が退陣の憂き目にあっているが、イタリアの経済指標(財政水準)が変化(悪化)したわけではない。もちろん、財政の行方が不透明という将来不安から、国債金利の上昇が起きたと言われている。しかし、浜矩子は、原発事故の際に、原発汚染された産品を買わない人については、市場原理に基づいて正しい行為だとは一度も言ったことがないし、金融不況の時、取り付け騒動になれば、それも市場が正しいとは決して言わない人なのだ。にもかかわらず、投機だけは正しいという。「他の人もそうすれば良かったのに」と言えるからだそうだ。えぇっと取り付け騒動も、原子力汚染品お断りも、経済的動機、科学的根拠を基に「他の人もそうすればよかったのに」と言えるのですがね。こんなでたらめな二重基準を使う人は、ニュース報道に出さない方がいい。もし出したいなら、Post Keysianな経済学者を入れて論争させるべきだ。

 世界大恐慌の時、古典派は、「失業者が死んでも構わない。財政均衡主義を守るべきだ」と主張した。しかし、ケインズ政策によって多くの命が保たれた歴史事実がある。ケインズの穴掘りについても、ケインズ自身は、より資本主義が進化したなら、穴掘りよりも社会的に有意義な仕事を手当てできるはずだという趣旨の事を述べているが、新古典派の手にかかると、その部分は今でも意図的に伏せられる。そして、もともとケインズが言っていたのを、自分たちがより使い道を正しい方向に持っていったと宣伝することすら最近は良く見かける。ケインズ派が、古典派との論争の過程で、古典派・新古典派の「財政出動には全く景気浮揚効果がない」という主張に対して、極論のような状況でも「穴掘り」でも、景気浮揚効果があると主張しなければならなかったという事があるからである。

 そもそも財政均衡主義を絶対視すらなら、民間の企業も財政均衡主義に基づくべきだろう。多くの企業は借金しているから存続できないはずだ。

<2011.12.2>

Kazari