東京新聞は「こちら特報部」の記事だけ、少しましになった
「こちら特報部」の記事が2011年11月ごろから反原発に衣替え?
記者養成に3.11から、8か月を要してようやくなのか、予算を通したから、原子力ムラに1年間余裕をあげたからなのか、愛知を本拠にトヨタ新聞と揶揄されるようにTPP絡みで自動車業界利益代弁の一環としてか、いずれにしても遅きに失した脱原発キャンペーンである。
しかし、相変わらず、新聞一面には質の低い、提灯記事が後を絶たない。それでも、毎日などの大手よりはだいぶましな気もする。全般的に新聞各社の日本語を書く技術が落ちすぎているので、地盤沈下は否めない。それでは、internetなどが代替メディアになるかというと、その可能性も低い。速報性以外の点で、新聞より勝っている点が見当たらないためである。特に、大手検索サイトのニュースを見ていると、本当に日本語が高校生の作文かと思うくらい、稚拙な類が多い。
ましな記事の具体例
2012.1.28東京新聞、「議事録未作成は10会議」の場合
ICボイスレコーダーで128時間くらい連続録音できるご時世に、後からでも議事録が作れないとはさすが、政治家と官僚の無責任体質をよく表している。それを報じた内容だ。しかし、後の記事で、この体制が阪神淡路の時から続いていたことが報じられている。本来なら、この記事の時点で、政治家と官僚の無責任体制がいつからはじまり、というのがある方がより良い。阪神淡路の時からなら、自民党はなぜこのときの反省を法案にしていないのか、責任が問われる。
2012.1.29東京新聞、「配管3か所から汚染水漏れ確認」の場合
短い記事ながら、凍結による配管破裂に関する記事である。テレビなどで報道しなかった「保温材をまく作業が遅れたため」という理由を正確に報じている。昨年末から作業にあたったというがまず開始時期が遅い、汚染水が漏れれば作業員の生命に関わるので優先順位が高い作業にもかかわらず、相変わらず東電ならびに国の原子力作業員の命の軽視が続いている。
<2012.2.11>
1.31の1面記事では、作業員によって夏に指摘されていたのに、東電が無視した人災であったことを報じた。こういうのでかかる費用は現経営陣の減俸で対応すべきですなぁ。しかし、2面は役人批判。経産省の保安院が指摘すべきだって。そうかも知れないが、作業員の安全確保のために、企業が自らの努力で、官僚に指摘されずとも行うべき範囲の安全対策のはずだ。2面で提灯記事化しているので、1面もましな記事として扱わず、見出しを掲載しないことにした。そして、31日報じれる内容も含めて、29日報道するべきだと思う。
<2012.2.17>
2011.11.3東京新聞、1面「キセノン 8月にも検出」
2011.12.14東京新聞、こちら特報部「大手銀行守りたい 財務省」
2011.12.16東京新聞、こちら特報部「内部被ばく軽視 源は放射能影響研究所」
全部、丁寧にコメントするの面倒なので、ましな記事の見出しと一言コメントを列挙しておく。11.3の一面は政府の情報隠ぺいを批判した記事。2面には核分裂時にできる生成放射性物質が図示されているが生成比率などの基本情報がないのでこちらはダメな記事。12.14特報部、今更ながらないよりはまし。12.16特報部は、矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授による放影研の歴史記事で良質。
2011.12.16東京新聞、「海への汚染水ゼロ扱い」
2011.12.17東京新聞、こちら特報部「予見できたなら過失」
12.16はもっと大々的に報道すべき記事。訴訟対策としか思えないこうした官僚の行政裁量権の行使は、断罪に値する。こうした行政権の行使には司法からこの措置に関与した政治家ならびに官僚に対する厳罰が求められる。12.17特報部は、福島原発で昨年、全電源喪失と放射能漏れを想定した避難訓練を実施していたことを暴露した記事。
2011.12.18東京新聞、「遠浅で増幅 旭の大津波」
海岸地形により津波被害が甚大になることへの警鐘記事。遠浅で津波被害が出やすい地域として、千葉県旭市、北海道奥尻島青苗、静岡県下田市、静岡県御前崎市(浜岡原発)、和歌山県御坊市があげられている。
2011.12.23東京新聞、こちら特報部「処理先送り 倫理の問題」
2011.12.25東京新聞、こちら特報部「健康影響 広く把握を」
2012.1.8東京新聞、こちら特報部「”コスト安”は数字操作」
2012.1.11東京新聞、こちら特報部「「ムラ」温存のまま」
2012.1.12東京新聞、こちら特報部「原発業界から2委員に寄付」
2012.1.18東京新聞、こちら特報部「「結論」ありき批判も」
2012.1.18東京新聞、こちら特報部「筋肉にセシウム 血液中の30倍」
12.23特報部はデンマーク出身の監督による「10万年後の安全」という高レベル放射性廃棄物を扱った映画の紹介。12.25特報部は、がんのみに責任範囲を特定する危険を示唆した記事。1.8特報部はないよりはましの類。同日の「脱原発のこころ」には、新規原発関連施設建設の場合、土地共同購入で阻止できた事例が紹介。1.11特報部、天下りを独自調査で補充した内容なのが良、1.12特報部は、ストレステストを審査する委員が原発業界から金もらってて審査する資格があるのかという記事。1.18特報部、審査基準なしの妥当認定の記事と牛の解剖調査結果の記事。
2012.1.19東京新聞、こちら特報部「SPEEDIに頼らず避難」
今回の東北大震災でSPEEDIを活用して政府の避難が行われなかったことによる事故賠償を回避するために、官僚が考えたSPEEDIを参考するだけで今後も避難に不活用とする案を防災指針としてまとめたというお寒い記事。
2012.1.21東京新聞、こちら特報部「「見切り発車」の災害がれき処理」
1.21特報部は、環境省が実証データがないのに2011.6.19に非公開の有識者会議(密室)で方針を決めたことを批判した記事。隣接する「フィルター本当に安全」では、放射性セシウムがダイオキシン対策で除去できるか不明なまま、放出された値は投入された量が分からないのに、0.01%程度と算出して測定結果を公表したことを批判している。
2012.1.29東京新聞、こちら特報部「脱原発のこころ」
1.29特報部は、小出助教の記事。
<2012.2.17>
中途半端な記事の具体例
2012.1.29東京新聞、「福島原発の電源鉄塔倒壊」の場合
このサイトで、求めていた記事でもあるが、内容は研究者一人の推測の紹介に過ぎない。まったく報じないよりまし程度のものだ。「盛り土の液状化」が原因だったとして、安全対策やストレステストに反映されていないことや、今回の地震規模で崩れることが、これまでの原子力の安全対策基準に抵触していないのかを分析して書けよといいたい。
<2012.2.11>
2011.12.4東京新聞、「「先人の知恵」に回帰」
2011.12.4東京新聞、「防潮堤防災 なぜ過信」
こういう記事は細心の注意を持って書かねばならない。事実でも、官僚が低い防潮堤予算すら認めない理由に使う可能性があるためである。そういう配慮がない記事は事実でも意味がない。それに防潮堤を過信して被害が甚大になった地域もあるが、防潮堤によって被害がなかった地域もある。そのバランスをきちんと考慮していない点もいただけない。
特に「先人の知恵」の方では愚民思想があって、不快だ。そもそもこうした構造物を立てれば安全ですと宣伝して建築した側の責任は、まるでなかったかのように書いてあるが歴史事実ではあるまい。研究者の知っている告知と住民が知らされた内容に差があるとしか思えなかった。その辺は調べて書けよと言いたい。
2011.12.5東京新聞、「汚染水 45トン漏れる」
根拠や数値を明示せず、垂れ流し記事。東電側の「たとえ海に到達しても少量で、ほとんど影響ないレベルだ」という言葉を検証なく報道している態度がおかしい。基準の100万倍のストロンチウムでねという感じ。
<2012.2.17>
下手な記事の具体例
2012.1.13東京新聞、2面「放射能 本当のことを知りたい」の場合
まず読み手の需要で言えば、知りたいのは、内部被ばくについてである。この記事は、どこにも「内部」、「外部」の文字がないが、「マウスに浴びせた」と言っているので外部被ばくについて書かれている。この書き方がまず不親切。見出し文字で「20ミリシーベルト 発がんの差なし」となっているが、外部被ばくの文字は見出し文字に入れられなくても、本文の最初の方にいれるべきだ。
それから、マウスによる実験は、既往症などの要因による差を除去できない。国民全員を集めて、全員20ミリシーベルト外部被ばくさせても、他のがん発生要因を除去していないので明確な差がでないのが、20ミリシーベルト/年という水準という意味に過ぎない。冷静に考えれば、他のがん発生要因をすべて駆逐するほど、支配的ながんの発生要因が20ミリシーベルト/年という水準ということになる。それで帰宅水準ねぇ。それに内部被ばくは一切考慮されていないことに言及がないのも片手落ちである。
低線量被ばくで問題になるのは、内部被ばくの方なので、外部被ばくの低線量被ばくについて、年間100ミリシーベルトより低い水準の安全基準を出しても、良心的と解釈する理由もない。何度も書いているが、一般に計量分析する際には、統計分析を使うが、多変量解析にせよ、操作変数による多重回帰分析にせよ、事前に病気のメカニズムが既知で、その要因となる変数はすべて制御したうえで実験しないと、正確なところは分からない。だから、マウス実験程度では、年間20ミリシーベルト以下の低線量の外部被ばくについては何も分からないというのが真実である。もう少し医療の科学者たちは、自らの使用している(分析)技術について謙虚さが求められる。それがないなら、この記事に応えた研究者も、安全対策を怠った今回の原子力関係者と「差はない」ことになる。
<2012.2.11>
2011.12.3東京新聞、「電源喪失 操作できない」
いくつかの原子炉の緊急電源は電燈倒壊により、地震により失われているが、津波がすべての原因と誤読される記事に。悪質。冷却装置作動誤認などの情報もこの時点で開示していないのも低質(2011.12.6に報道)
2011.12.11東京新聞、「復興増税の流用防止」
12.11の2面、復興増税流用防止のために特別会計作りましたと言う提灯記事。そもそも復興庁を作らずに、県下に復興行政を入れ、その資金は会計検査院にでも精査させればより復興に使える実費を捻出できたのに、中央官僚の主張を垂れ流しただけの記事である。それにしても、今の政府は阿保すぎる。そして、そうした事を指摘できないマスメディアも同じ穴のむじなである。
2012.1.21東京新聞、「芥川賞「ばかみたい」」の場合
老害委員の石原慎太郎が辞めたことは称賛すべきことだ。「半径5mの身辺しか描いていない」作品が具体的に何か、まるで伝わらない記事だが、石原氏自身が通俗小説と言われながらの芥川賞受賞だった点に触れている箇所だけはまともである。私は芥川賞受賞作はつまらないから、ほとんど読まない。しかし、読んだことのある芥川賞受賞作である石原慎太郎の「太陽の季節」も村上龍の「限りなく透明に近いブルー」も愚書だと思う。しかし、仮に今時の私小説が「半径5mの身辺しか」描いていないとしても、それが今の若者のリアリズムに訴えかけるのなら、単に老人が若者の世界観を理解していないと言うだけの話になる。そもそも石原に他人の評価ができると思えなかったので、辞任してくれてよかった。石原が辞めた後の芥川賞は読んでみることにしよう。記事としては底が浅い。定年がないことに対する批判も特にない。半径5mの世界がなぜダメなのかも検討していない。石原発言だけに頼った愚昧な記事だ。
純文学自体はたくさん読んでいるが、芥川賞受賞作には辟易しかしていない。芥川自身の作品が良すぎるから、見劣りするのもあるが、受賞者の中で、私がまともな純文学を書ける作家と思えるのは、石川達三、石川淳、井上靖、堀田善衛、遠藤周作、開高健、北杜夫、宮本輝くらいだ(ここにあげた作家の作品は多数読んでいるが、受賞者全員の作品を読んでいるわけではない)。作品初期だけ良かったのは、大江健三郎、小川洋子、辺見庸あたりもいるが、1980年以降はまともな感じがしない。玄侑宗久も取っているのは知らなかった。坊さんとしては良い仏教関連の書物を書いている印象がある。昔は「該当なし」も多かったのに、最近は二人受賞していたりして乱発するから、価値が下がるのですな。メモ代わりに上記以外に作品を読んだ記憶がある作家は以下の通り(火野葦平、安部公房、松本清張、安岡章太郎、吉行淳之介、石原慎太郎、宇能鴻一郎、田辺聖子、丸山健二、丸谷才一、中上健次、村上龍、池田満寿夫、池澤夏樹、辻原登、荻野アンナ、辻仁成)。
2012.1.27東京新聞、「首都圏M7 4年以内に70%の衝撃」の場合
学者の売名行為を垂れ流すのはいかがなものかと思うという典型事例。例えば、2000年までに相模トラフでM7規模の地震が起きるのは90%くらいという感じの報道を1999年ごろ、新聞各社は報じていたが、その後どうなったのでしょうか。2012年になっても、相模トラフによる大地震は起きていません。過去の経験をもとに天変地異を予測できているのは、せいぜい月食、日食、彗星の到来時期だけで、他の自然現象は悉く当たっていないのに、こんな詰まらない記事を報道する新聞の科学認識の甘さは、東電の安全確認の不備と同水準で、呆れる他ない。ましな特報部の欄にこういう記事が載るとげんなりする。きちんと歴史と向き合って記事を書け。
それから、記事とは直接関係がないが、首都圏で直下型M7クラスの地震が来たら、帰宅難民対策より、消防、救急人員の不足などの対策を真面目に考えるべきなのに、帰宅を優先する発想で対策を考えるのは、今のビジネスマン並びにお役所は、震災対策として、二次被害を最小限に抑える発想自体がないのではないかと疑われる。国はきちんと指針を出して、各行政地区で、子供>女性>老人を優先的に保護し、その上で、首都の消防、救命人員を予備役のように緊急収集できる体制を整えた方が、二次災害を防ぐ意味でも、震災後の復興を容易くする意味でも良いはずだ。帰宅難民対策はあくまで首都圏外の大震災で、首都機能が麻痺したときの対策にしかならない。そもそも大災害の時の私益を優先すること自体にあまり意味がない。
2012.1.31東京新聞、1面「電気料金の原価 過大計上歯止め」の場合
中身をよく検討しないで書いた馬鹿記事の典型である。この見直し案を精査すれば明らかだが、人件費の歯止めなど骨抜きにできる文言しか盛られていない。ただ、提灯記事として垂れ流しただけの劣悪な記事だ。新聞が情報を要約して伝えるだけでは新聞代金の値打ちなどあるはずもなく、もっとも分析して書けよと言いたい。1面のような速報性の高い紙面で分析ゼロな記事しか載せられないのなら、新聞は不要である。特報部だけ時間かけて記事書いたところだけ少しまともにしたところで、新聞の価値は十分でない。
政府発表資料を直接読む方が分析しながら読めるので、かえって手っ取りばやく、かつwebに公表されていれば、調査にかかる人的時間的なコスト以外は、実質的な負担がないので、そのうち新聞を見放す人が増えると思う。
<2012.2.17>
2011.11.17東京新聞、言いたい放談「「正規雇用化」が雇用を減らす」の場合
東京新聞の倫理規定の水準の低さを痛感する記事である。まず、この記事を書いた人物は、オフィスNというコンサルティング会社の西正である。派遣法ができた時に、派遣人材の活用、それが難しくなると、派遣社員の一方的に解雇してトラブルにならない方法や一方的業務委託契約への変更の方法で金もうけをしていたコンサルティング業界の利益を代弁する内容の記事が、東京新聞の記事の倫理規定に違反しないことが問題である。
もちろん、ここで挙げられている事例も不適切だ。まず、第一に、6千5百人の非正規雇用者を正規雇用にした結果、数千人の非正規雇用と1200人の新卒採用が減った郵政公社の事例を引き合いに出している。第二に、夏の海岸で出る海の家などを非正規雇用が必要な事例としてあげている。記事とは逆順に批判しておこう。
非正規雇用のうち、派遣社員や契約社員の規制が強化されても、アルバイト禁止になった訳ではない。第二の事例は論理の飛躍があるわけだ。海の家に関しては、普通にアルバイトでしのげるし、アルバイト禁止でも方法がある。アルバイト禁止になれば、海の家だけを営業したい人は簡単に参入できないだろうと言うだけのことだ。例えば次のような方法がある。普段は海岸沿いの店が、夏場は海の家として複数店舗が共同営業すればいい。これならすべて常勤で賄えるはずだ。本来なら、こうした自営業連合などで、どうにでもなる場合が多い。農業でも農協が、農産物加工工場を含めて運営する能力があれば、兼業農家も十分に農協に雇用される形で、農産物と工場作業員を季節ごとに分けて勤務することで成り立つ可能性も十分にある。逆に言うと、雇用を守る制度がないと、企業体の進化自体が停止して、安易な解雇や労働者をモノと扱う慣行が跋扈してしまう。(正常な)雇用を生むことが企業の最大の社会貢献なのに、リストラで社員を首にした経営者が、株主の短期利益のための貢献したと、大金を受け取る現在の企業慣行の方が気が触れているのである。
第一の事例はなぜ減った非正規雇用の数が数千人と非常に曖昧なのかがよく分からない。正確に書けないなら取りあげるべき事例と言えない。そして、6500人が家族を持てないような低所得不安定職だったのに、これで家計を組める環境になったというなら、正規雇用1200人+非正規雇用6500+数千人より悪いと一概に言えない。
ややオーバーに考えてみよう。債務奴隷6500人が自由民として職を得た結果、債務奴隷数千人がホームレスになり、新人の自由民の職がなくなったとしよう。社会的に古代ギリシアでどちらがましか、この雇用数の数字だけから判断することはできないと思う人は正常である。雇用形態がいかなるものであれ、雇用数が多いことが善であるというのは、判断基準として正しくないわけだ。
例えば、上記のように1200人が将来家族を持てる体制から6500人が将来家族を持てる体制になったと考えれば、私はプラス6500人が家族を持てる状態の企業の方が健全だと思う。将来人口も増える望みがあるため、社会保障などの点から見ても健全だ。将来の税収も増える。企業や経営者には家族を持てる雇用を作り、増大する義務がある。この逆を行う企業や経営者の取り分は少なくて良いのが道理というのが正常な社会の姿なのだが、日本ではいつになったらそのような日が訪れるのだろうか。
<2012.2.19>