医療関係の記事について
2012.1.30東京新聞、「アレルギーとがん抑制と「もろ刃の剣」細胞発見」
アレルギーが異常という感覚の持ち主は精神病なのではなかろうか。そもそも、アレルギー反応は、特定物質の過剰摂取がもとで起こることが多い。そうした系列の花粉症やアトピーなどと先天性のものなどを混ぜて、同じ病気の範疇に入れるから、おかしなことになっている。例えば、四日市ぜんそくは、アレルギーではあるが、公害病である。もし四日市コンビナートから汚染物質がまったくでなければ、そもそもぜんそくになどならなかったのであるから、この病気に対する対策は、第一に汚染物質やアレルゲンの規制が最も有効な医療対策となる。もし、公害病発症後、適切な環境に居住してもなお症状が出る場合は、なんらかの治療が必要になってくるが、二次的な対応に過ぎない。このように、大抵はまともな免疫機能がアレルギー反応ということになるわけで、そもそも、がん抑制と同じ免疫メカニズムに位置するのだから、「もろ刃の剣」と評すること自体が、間違った分類に基づく間違った判断となるだろう。だから、この研究自体、アレルギー対策としては方向性が間違っている。
花粉症もそうだが、通常のアレルギー対策に対する最大の良策は、アレルゲンをなくすことである。だから、国策として杉を大量植林した結果、花粉症の多発を生んだのだから、その責任は国が負うのが本質的だ。国は患者数が増大するまで、スギ花粉症に対する治療を国民健康保険の適用にすることすら渋ったが、あまりに無責任な対応だった。もちろん植林事業が黒字なら、その黒字から健康被害の補償がなされるべきだったことは言うまでもない。最近は花粉を飛ばさない杉などでごまかそうとしているが、本質的なのは、公害病なのだから、花粉症の治療費は全額、国が負うべき性質ものである。今後も、アレルギーに対しては同様の公害に基づくものがたくさん出るだろう。化学物質過敏症にしても、材木不足からむやみやたらに屑板を接着剤で成形した木材や、気密性の高いマンション建築に対するホルムアルデヒドなどの接着剤の使用基準の規制がゆるかったことに起因している。だから、化学物質過敏症にしても、国ならびに規制に違反した企業の責任が問われることになる。
アレルギーに関しては、現在の医学の質の低さをよく表している。大気を含め、アレルゲンを大量に含むほど汚染されて当たり前の世界に住むことが正しいという、おかしな世界観がない限り、肯定できないはずの「アレルギー反応=病気」という世界観を当然視しているからである。これも、医学はもっと謙虚になるべきだという事例のひとつだ。これからは「アレルギー=正常な免疫活動」という至極まっとうな考えのもとに、人間の生活しやすい環境を構築していくために、医療も貢献しなければならない。東大をはじめとする医学教授や化学などを専門にする教授が、いかに公害病を否定する側に回ってきたかという歴史からも、国民はきちんと知識を持たねばならない。日本の医学界は、病人の側でなく、企業の側についてきたことを猛省すべきだが、まともな反省の弁はいまだに聞こえてこない。
2012.1.24東京新聞、「ES細胞で視力改善」
これは臓器売買などに歯止めをかける新技術なので、実現してほしい医療技術のひとつである。現在のアメリカなどでは、貧困層の重症者を脳死でなくても脳死判定するような事が頻々と起きている疑いがあり、その影響は日本にもさまざまな法制化を通じて伝播しつつある。国民健康保険証の裏には無理やり臓器ドナーとなるよう脅迫するような記載を強要するように変化したことは、気持ち悪い限りである。最近のアメリカのシカゴ学派の経済学者は倫理観がまるでないため、脳死状態なら即、本人の意思に関わらず、臓器を取り出せるようにするべきだと主張し始めている。だから、本人の細胞の一部を保存して、そのES細胞から治療用の細胞を得られるようになれば、人体間の臓器移植のような悪しき医療はなくなるだろう。早急に進んでほしい医療技術である。
私は他人の臓器を移植しないと助からないなら、死を選ぶ。だから人体間の臓器移植自体、私には必要のない医療行為だ。他人の臓器を移植してまで生きる価値のある人間などいるはずがないという信念を持っている。これは敬愛してやまないスポーツ選手に対してであろうが、変わらない。しかし、一部の人のために、そういう制度が厳格な規制の中で実施されること自体は否定しない。問題は尊厳死と同じく、原則は違法措置にしておいて、特定の条件下で免除されるくらいの厳しい規制にしておかないと犯罪が増えると考えている点が、多数派の見解と異なる。このように考える理由は、所得の大小は人間の生きる価値に比例しないという信念を同時に持っているからである。多くの国の憲法は基本的人権として同様の思想を持っている。
実際に、厳格な制度設計をしておかないと、所得の低い者が割を食う制度になりがちだ。例えば、臓器移植手術のために、低所得者や身元不明人が脳死判定を受けやすくなることの方が問題だと思う。医療の現場で、そもそもなぜ脳死が受け入れ可能かも分からない。
臓器移植ドナーになるか以前に、脳死判定を受け入れるかを聞くべきだと思う。現在の医療が脳死からの回復医療を放棄する正当性とは何だろうか。医療費?なら低価格な人工心肺装置を開発しなよ、低価格なブドウ糖など開発しろよ。それが医の本道のはずではないか。
<2012.2.20>