元旦放送の西部邁ゼミナールの批評
西部邁は相変わらず老獪だな。いろんな人に合わせて、はったりを噛ますのがうまい。黒鉄ヒロシあたりが出ているときは、あまりに低質で聞くに堪えない議論が多いが、若手論客を集めても、うまく議論を支配するやり方は巧妙である。しかし若手の論客として期待している中野剛志(京都大学大学院准教授)が、奸計にはまって愚民思想を開陳してはいかんがな。
特に「議会制民主主義の否定につながる大問題」という意味の言葉を「議会制の否定」という意味で使うのは、日本語としても稚拙である。直接民主主義である国民投票によることは、議会制民主主義の否定でもなんでもない。議会制の否定と捉えるのも間違っている。民主主義を実現するために、議会制であれ、直接投票であれ、その時々や場合によって柔軟に対応する方がまともな政治だからでもある。
また、貴族エリート主義のオルテガの発言を真に受けて、愚民化思想を述べていた場面があるが、マスメディアや官僚による情報統制の結果、国民の判断が揺らいでいるような事例について、「大衆の反逆」などの言辞を弄するのは、愚昧ですらある。
最近は新聞記事や報道番組で、憲法の誤読して報道することが増えた。確かに、日本国憲法制定時には、技術上の困難や、戦後間もないこともあって国民の教育水準が十分ではないなどを背景に、具体的な直接民主主義としての国民投票制度は2つしか、明文化されなかった。憲法改正と最高裁判所裁判官国民審査である。最近になって、日本国憲法は「国民投票をこの2つしかしてはならない」と明文化していると嘘を主張する阿呆が出始めた。本当は、日本国憲法は、国民投票について、「この2つに関しては絶対に行わなければならない」と明文化しているだけで、他の事項に関する国民投票については何も明文化していないだけである。したがって、現行の日本国憲法において、議会において決めるになじまない事項は、国民投票としたところで、日本国憲法に抵触することなどあり得ない。
こうした報道や番組を見るにつけ、財務省を筆頭とした愚民化思想が、マスメディアにまで蔓延しているのを見ると、唾棄すべきことと思える。私は、大阪や名古屋や東京の知事の選挙結果にしても、マスメディアが正確な情報を流し、まともに議論する風潮があれば、現職の知事を選ばなかったと確信している。愚民化や世論は、官僚やマスメディアの情報操作の結果に過ぎない。
<2012.3.6>