橋下の化けの皮がはがれる
小泉路線を継承すると宣言
講談社の週刊現代は、橋下のキャンペーンをやっているから、国民生活がボロボロになっても関西本社の大企業広告が取れればいいらしい。週刊現代の名を捨てて、週刊関西経団連に変えたらいいだろう。
もともと、橋下は、電力会社にも、「節電要請はおかしい」と反発していた。反原子力ではない。それが途中から脱原子力を言及したが、すぐに企業の要請で撤回してしまった。民衆の立場も軽視する。自分が反原子力だから、直接民主主義はいらないというのは詭弁にすぎない。自分と違う意見の大衆は無視したいから、たまたま一時期、意見の一致があると嘘をついて、制度の必要性を否定するのは姑息ですらある。そもそも、世論と首長の見解が一致していることと、制度として、直接民主主義が必要ということは別次元の事柄であるが、それを同一視できると考える橋下の頭脳は腐っているとしか言いようがない。馬鹿の言い分である。
それから、橋下は自分が憲法に抵触する行為に及んでも、憲法が間違っていると主張する弁護士である。私はこれだけで、彼の弁護士バッチは返上させるのが適当と考える。維新八策には、そもそも(議会制)民主主義の否定が多く含まれる。首相公選制、議員定数の半減、憲法改正の発議要件の緩和など、どれも独裁(ファシズム)に陥りやすくなる提案ばかりである。
橋下首相が実現するとおこると予想される事態
小泉政権がもたらした負の部分をみていこう。デフレの継続、労働者いじめの継続、失業率の固定化、自殺者数の増加などである。それに加え、増税、国民の過半数以上の貧困化、さらなる経営者優遇、大企業優遇(減税)、人頭税の増加、財政危機→低所得者層へ偏った増税の繰り返しが予想される。経団連の無能力経営者よりも、いま求められているのは、上杉鷹山のような人物だが、こういう高潔の士は、現代の日本には見当たらない。
橋下は、政治家の緊縮と、公務員の緊縮だけが具体的な政策である。倹約すべきは倹約しなければ日本の将来はもたないが、将来の成長率を伸ばす分野には投資が必要であることには変わりない。例えば、教育費は日本はOECD諸国でも最低レベルであるから、これらを削って将来が楽観できるわけがない。しかし、大阪府知事の時に、橋下はこの文教費も削減しているのである。将来に対する責任あるビジョンなど、まるでない。
維新八策には念仏のように競争力強化を唱えているが、具体的内容は書いていない。書くと当選できないからである。(経団連の主張する)競争力強化(のための規制緩和)は、主に製造業への派遣労働を含め、ほとんどが労働者の権利はく奪を目指すものである。安定的正規雇用者の一部を守るとかいう建前でもって、多くの不安定職を拡大し、正規雇用者の一部を非正規雇用にし、非正規雇用者の犠牲や労賃の浮いたお金で、経営者の報酬を増やせば、社会はおかしくなってしまう。歴史的にこのようなやり方で成功した事例はない。特に、幕末期の藩の財政を立て直した名君の施策などを検討すれば、明らかである。現在のように、労働者の権利はく奪を小泉改革のように積極的に実施して、一時的に経営者のみの所得が上昇しても、中産階級をつぶした社会ではミニバブルすら起こせない。現在の自民党主体の経済政策などは、百年立ち上がれなくなるような経済政策といっても言い過ぎではない。
競争力強化は一日にして成果を見るようなものではない。上杉鷹山を参考にするなら、まず、官民の腐敗を正すことからはじめて、教育を再生させ、必要な事業を起こすように促さねばならない。上杉鷹山の米沢藩のような財政ひっ迫状態になれば、国民に貧困化を強いなければならないが、はっきり言って現状の日本の財政はそこまで悪くない。そこまで悪くなれば、大企業や銀行には公的分野への負担を求めることもしなければならないだろうし、国債の利払いの緩和なども国民に求めなければならなくなるだろう。その前に官民癒着を解消し、福祉を安定させ、国民のやる気に火をともさねばならない。web上の詐欺まがいのゲームのような虚業は必要ない。
橋下は大阪府知事の際に、公務員の政治活動の禁止を宣言し、思想調査をし、激烈な処罰化を行おうとしたが、ほとんど法に触れることばかりである。議会の反発とかではない。不法行為である。橋下は、刑務所に行くのが適当な人物だ。ところが、維新の会には公務員が参加し、維新の会の政治活動を行っていると報じられている。呆れる他ない。上杉鷹山のように、身の高潔を示して改革にあたる気など微塵もないのである。後から企業連合からもらえる天下り先のために、一部の利権者のために日本の国力を削いでも邁進するような輩を当選させると碌なことにはならない。
小泉も、橋下も、(松下政経塾などを通じて企業とつながる)野田首相にしても、こういう輩を国会議員にすると碌なことにはならない典型である。
<2012.9.17>