新型コロナにまつわる謬説
日本はうまくコントロールしているというデマ
新型コロナに対して、日米英は初期対応として蔓延政策を取ってきた。その背景には2つの重大な誤りがある。もともとのウィルスの死亡率が低ければ、蔓延させた方が集団免疫状態となるという仮説である。
今後、謬説であることが新型コロナによって証明されていくことだろう。その背景にウィルスの生存戦略として宿主を殺す生存戦略は最適ではないという謬説もある。
現在、日本政府により、まき散らされているウィルス学の仮説には、これまでの知見から否定できる仮説が多い。それを繰り返すのは、基本的に政治的な力、感染症対策に金をかけたくないという意思が働いているのは明白と思われる。
日本は情報開示していないが、初期に流行したウィルス型がS型亜種と国民には秘密にしたうえで蔓延政策をとったのかもしれないが、それにしても、無責任極まりないことをこれから示していこう。
ウィルス性感染症に対して、集団免疫の考えが通用しない理由
もしそれが事実なら、常にウィルス性の風邪を蔓延させれば、集団免疫状態になり、ウィルス性の風邪にかかる人はいなくなるはずである。
しかしながら、人類史において、そのような期間は存在してはいない。なぜかは簡単である。人間に抗体ができたとして、それが一生、保持されるわけではない。仮に流行中の期間内に抗体を維持できたと仮定しても、ウィルスの方が変異して抗体を無効化する可能性が高い。この可能性が高いから、製薬メーカーはこれまで、ウィルス性の風邪の直接的な対抗薬を作らずに、症状別の薬の開発に専念してきたのである。
インフルエンザにしても抗体を予防接種で打っても、十分な効力を発揮できる抗体数を保持できるのは、3か月程度と言われている。十分な効力というのは、かからないという意味ですらなく、仮に感染しても重症化しない程度の意味である。
したがって、ウィルス性の風邪薬には、ウィルス対抗する抗体薬が作られたことはなく、症状別に薬が用意され、それを複数組み合わせた総合感冒薬としてしか作られてこなかった。万が一、運よくウィルス性の新型コロナに対して、今回、薬が作れたとしてもできたころには、ウィルスの型が変異していて、効かない公算が高いのである。なので、体内にすらできた抗体を一生保持するような無駄な戦略を人間自身が取らない。
したがってウィルス感染症に罹患することは無駄であり、無駄な体力を消耗し、不毛に不快な期間を増やすだけであることは確実と言ってもいいだろう。
安倍政権になって以降、やたらと国民にマスメディアを通じてデマの類を飛ばして、本質的な議論から遠ざけようという風潮が蔓延している。今回に限らず、新型の感染症対策は必要で、グローバル経済によって、人と物の流通が増えるほど、そのリスクが高まるのは明瞭である。期間も短縮してこうした危機がおきることになるし、そのため、グローバル経済によって主たる利益を得ている先進国が、主な責任を負って感染症対策の予算を出して、対策すべき問題なのである。この本質を忘れてはならない。蔓延政策は近隣窮乏化政策であり、途上国をいじめているようなものである。
ウィルスの生存戦略として、宿主を殺すということは間違っているという謬説
こうした仮説を唱えた人は、エボラ出血熱が起きた当初も、すぐに収束する、死亡率も下がり、インフルエンザ程度になると意見をしていたものだが、その後も専門家が言うほど死亡率は下がらないし、エボラ出血熱が人間界から消えたわけでもないことは歴史事実である。
ウィルス専門家の多くがこの謬説にしがみつき、マスメディアと一体になって、繰り返し嘘をつく理由がよく分からない。この説を唱える背景には、以下のような論理的に致命的な欠陥があるのだろうと推論できる。
まず、生存戦略うんぬんを議論する際に、ウィルスの視点から事象を考察していない。人間という宿主は特別であり、その宿主を殺すのはけしからんと暗黙に考えている。気持ち悪い。「キリスト教徒か、お前は」と言いたくなる。キリスト教的思考は、きわめて人間本位である。旧約聖書に、神は人のために動物を作ったことから、人間を特別視しすぎて、傲慢な思考に陥りやすい。
ここで思考実験してみよう。ウィルスの立場になって戦略を考える。
どのような致死率の高いウィルスであっても、ウィルスには、もともと共存可能な宿主がいる。オオコウモリが多いみたいだが、そこでウィルスは、普通に共存共栄していた。起点はあくまで共存共栄、それが不本意ながら人間にうつったとしよう。そして脆弱な人間は抗体を持たず、共存共栄できない。
ここで、ウィルスは新たな宿主の下でも致死率をさげて共存共栄を図るべきだと、人間(というか頭のおかしい専門家)は考える。しかし、ウィルスがそのように考える必要性はない。オオコウモリなどの共存共栄で満足していれば、事故で移った宿主のために、自分を変異させて、新たな宿主を優遇する理由がまるでないからである。絶滅させるまで人間を殺しても、本来の宿主たるオオコウモリが減少しなければ、生存戦略として間違っていると言うことはできない。
さらに言うなら、自然界をひたすら壊す人間を殺した方が、オオコウモリの個体数は増え、最適な生存戦略となっている可能性すら否定できない。ウィルス視点で考えると、人間がもろすぎるのが悪いのであり、人間が自然界を壊しすぎるのが悪いと言えなくもない。ウィルスが思考しているとは思わないが、生存戦略として致死率を下げるというのは人間から見た場合の話で、人間を共存共栄の相手とみなすべき理由がそもそもないのだから、そのような仮説が成り立つ道理もない。
この仮説にはもうひとつ前提があるように見える。ウィルスが人間に感染することは必然だと暗黙に考えている。偶然なら、最適戦略を取る道理がないからだろう。人間視点から考えるから、このような気持ちの悪い論理構成に陥る。
要するに、このような謬説を信じたい専門家は、人間の行う自然破壊に対して免罪符を欲しいと無意識に強欲に求めているのではないかと思う。こういう科学的思考のできない科学者は気持ち悪い。私には錬金術師としか思えない。
今回、嘘つきなウィルス専門家の多さに辟易する
以下、いくつか列挙しておこう。しかし、TVの流すデマ情報は執拗で、気持ち悪いものがある。それにしても今回のクラスター対策の責任者がいい放った「今回のウィルスには未知の部分が多く、国民の英知を集めて云々」は気持ち悪かった。失敗の責任転嫁を国民に鼻から求めるなら、職を辞退しろよ。無責任な国家になったものだ。
インフルエンザ予防接種の有効期間は1年という嘘
予防接種したことないのかねと言いたくなる。3か月程度です。しかも予防接種後、1か月後が抗体数のピークで、3か月後くらいにはほぼ効力を失うくらい、抗体数が減少します。すでに科学論文で報告されているのに、専門家が相変わらず嘘をつくことに対して違和感しかないよ。予防接種受けたことのある人は同様の説明を受けてますよ。今更、なんで嘘つく必要があるのかね。
<2020.3.24>