時事批評

時事批評選択に戻る

クラスター幻想2

 葬儀の集団感染

 クラスターを潰せば集団感染は防げるというのは、おとぎ話というのがまた確定的になる事例が出てきた。日本政府は、これまで執拗に国民のPCR検査を拒み、あわよくば病院に行かせずに、肺炎を死因とすることもよしとせず、老衰に追いやれば火葬して証拠隠滅できると考えていたのだろう。しかし、老衰で処理すると近親者が感染した状態で葬儀を開くことになる。そのため、親族が日本全国に感染を広げることになることがはっきりしてしまった。
 今回は、別県の感染者が、愛媛県の葬儀に参列して、集団感染に至ったとされているが、これでクラスターを見てればいいという幻想は打ち砕かれるに違いない。

 そもそも、クラスター潰しで集団感染を防げるのも意味が分からないが、集団免疫の考えも、論理的にもあり得ない種類のものであることは論証してきた。

 しかし、耳鼻科の医師どもは、今回の感染症例に無臭症があることが判明した後でも、医師会が声明を出し、インフルエンザや風邪でもおこることだからPCR検査を拒むと発表した。医療崩壊を恐れるあまり、政府と一体となって、医師会も国民や患者を救う気を放棄するのはどうしたことか、疑念しか起こらない。なぜ諸外国と異なる対応に終始し、日本だけ安倍政府の初期対応の誤りを正すことができずに、専門家が迎合するのだろうか。

 現在の医師会の反応を見ると、戦時中に兵士が国民から食料を強奪した際の情景が思い起こされる。本土から来た兵士たちは、沖縄で「俺たち(兵士)が死んだら、お前たち(沖縄の農民)はどのみち死ぬんだ。食料をよこせ」と言って強奪していったという。福島県の原子力発電所事故の際に、消防士が消防にあたる中、自衛隊の幹部が「自衛隊員を被ばくさせるのは忍びない」と政府の要請を断ろうとするのを見た時も同じ思いになった。日本はリスクに際して、国民の人命を軽視する立場の専門家がなぜこんなにも多いのだろう。  こういったことが(政治家を含む)専門家に対する不信感を増長しているとなぜ気付けないのか? 各国首相クラスの指揮官が感染する中、なぜ日本の国会議員は一人も感染しないのか? まじめに対策してないからじゃないのかとの疑念しか起きない。

 志村けんの場合

 17日に倦怠感を覚え、20日に往診に来てもらい、入院を指示され、都内の赤羽橋にある済生会に入院、23日PCR検査陽性が判明し、新宿の国立国際医療センターに転院した。経過が誠に残念である。最初から17日に国立国際医療センターに入っていれば、あるいはという感じがする。

 済生会は、数年前知り合いがトリアージを理由に緊急外来から追い返されそうになった病院で、産婦人科以外はあまりよい評判を聞かない。知人は幸いにも痛みを訴え、「帰宅するべきだ」と喚き散らした看護婦長の暴言に耐えて、入院できたから助かった。もし追い返されていたらどうなっていたか分からない。結局、内臓が捻転していて、緊急に内視鏡手術をする運びとなり、事なきを得たが、この看護婦長にはかなり悪質な印象しかない。20年前の広島県のトリアージよりひどい対応をしていたのを思い出す。

 喫煙は肺にダメージを与える行為なのだから、呼吸器系の死因を上昇させる。今回の新型コロナに限らず、ウィルス性の呼吸器関連の疾病に対して、喫煙はリスク上昇要因であるのは、はじめから分かっていたことだ。志村けんは、タバコ会社の広告塔の役割を長らく担ってきた。受動喫煙症に苦しむ人からすれば天敵である。
 しかし、だからと言って故人を冒涜してよい訳ではない。私は身近に受動喫煙症に苦しむ人たちがいることもあり、志村けんのお笑い芸人としての評価も高くないので、礼賛する気はまったく起きないが、故人になった途端に、マスメディアがバッシングするのも筋違いな気がする。
 訃報の後の恵俊彰らによる、喫煙歴叩き、暴飲暴食たたきを通じて、自己責任かのように言うのは、ほぼ志村けんに対する侮辱にしかなっていない。

 個人的な恨みがあるのか知らんが、見ていて反吐が出る思いしか起きない。
さて、私はこのような人物であっても救えるものなら、救えた方がよかったのにという思いしかない。なぜ、17日時点で国立国際医療センターに入れなかったのだろう。もし空きがなかったのなら、それは、クルーズ船の対応を誤った結果でもあり、政府に殺されたようなものじゃないか。
 だとしたら、お笑い芸人の志村けんの矜持として、自分の運命をどのようにとらえ、政府を風刺するだろうか?そんなことを思う。

 お笑い芸人としての評価が低いのは、渡辺直美もそうだが、下ネタが多い事である。話芸として特に優れていたわけではない。コントの多くもドリフターズ自体が下ネタが多く、ゴールデンにふさわしい放送をしていたように思わない。生きて禁煙運動に携わって欲しかった。

 死亡率が低くても集団免疫がダメな理由3

 今回の新型コロナ感染症の致死率(=死亡者数/感染者数)は2%程度、言われている。中国での感染からあまり変わっていない。しかしながら、これは国内感染を50-60%と仮定しても、蔓延政策を取れば、日本でも1億2000万人x0.5x0.02で、120万人死ぬことになる。これが妥当というのなら、集団免疫を支持すればいいが、正気の沙汰ではないということが分かるだろう。ちなみに日本の肺炎での年間死亡者数は9万6841人(2017年)にすぎない。2017年(平成29年)の統計で、がん、心疾患、脳血管疾患、老衰についで第5位となっている。
 日本人全員が感染すれば、最低でも240万人、医療崩壊するから、さらに多くの死者を出すことになる。いかに無謀で、キチガイじみた情報操作をしていたのか、マスメディアは猛省してほしい。
 トランプの何もしなければ、米国民が200-220万人死ぬというTwitter投稿も、ほぼ同様の推計方法に拠っている。日本のマスメディアが報道すると、日本に例えることが決して行われないという不思議な情報操作が徹底して行われ、ニューヨークの医療崩壊とセットで報道され、トランプ投稿の意味する核心部分がスルーされる。

<2020.3.31>

Kazari