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食品表示法の改正について

トレーザビリティが宣伝された割に法案にならない

 現在、食品に関する表示義務に関連する法律はいろいろあるが、基本となるのは、食品衛生法(厚生労働省)と日本農林規格(JAS)法(農林水産省)だろう。最近の変更では、外圧によって「移行期間を経て、製造年月日から消費期限に切り替わった」ことが記憶に新しい。これも国民目線で言うなら両方併記すればいい問題である。輸入品が難しいとか、非関税障壁になるとかは、国内品と違う取り扱いをする場合だから、このような措置は該当しない。消費者団体も両方の併記を望んだが、どうもこの辺の法律でも、法の趣旨に反して、国民よりも業者優遇に傾きがちな実態が嘆かわしい。

 今回の原子力事故を受けて、製造年、消費期限の併記に加えて、県産地表記と放射性物質の残存量も明記を義務付けすべきである。ブランドになる場合だけ勝手にどうぞという現行の取り組みは、国民の公衆衛生の向上に役立てるという、食品衛生法の精神にも反したものだ。表示義務化に伴い他の県産地放射性物質ゼロの商品より価格低下したなら、東電が補償すればいい。

 JASの法の精神は、規格の規定と品質の向上である。もし、この表示義務付けから、原子力事故元年には、高かった放射性物質の残存量が一年後低下すれば、それはその農産品生産者の品質向上努力の賜物ではないのか。また市場原理主義的に考えて、この品質改善競争があれば、ない場合より、その品質改善のスピードは早くなることが期待されるのではないのか。それは生産者のためにも国民の健康にもプラスになると考えるべきではないのか。

 こうした議論を封殺する「風評被害」という誤った語句の使い方や、マスメディアの情報操作は国益を損なうものである。東電や政府の責任を不明にして、その責任を拭うための財源はすべて国民に投げて、更に国民の健康も「現行の科学では因果関係は証明できない」と言って切り捨ててしまうのは問題が多い。今後の改善に結びつく要素がひとかけらもない。日本では教科書に載っている四大公害病の裁判では、東大教授を中心に「汚染物質を出した企業の責任はない」「政府の責任もない」と争ってきたため、最高裁が救いの判決を出すまで、被害に苦しむ者たちに追い打ちをかけてきた歴史がある。いい加減にこの辺で終止符を打つためにも、再発防止が可能な法的枠組みを構築する必要性に迫られている。

※他にも、不当表示防止法(公正取引委員会)や健康増進法(厚生労働省)などありますが割愛。法律の大枠は、吉田勉 編(1999)「新食品加工学」医歯薬出版などで知ることができます。

※今回の事故で放出された放射性物質は人体に有用な物質ではありません。ヨウ素131にしても、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90にしても、いずれも1ベクレルであっても食品に含まれない方がよい放射性物質です。食品の保存をよくするわけでもないので、添加物のように扱うわけにはいきません。したがって、単にゼロの方が望ましい物質が含まれている農作物や水産品を、健康被害が現在の科学で分からないから無害とするのは、将来世代につけを回す事と変わりません。だから放射性物質がゼロでない限り、まず風評ではありません。科学的事実です。そして、科学的事実に基づく被害を、論理をすり替えて風評被害と名付ける事は、止めなければいけません。

<2011.9.18>

Kazari