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 マイケル・ムーア(Michael Francis Moore)監督の映画「ボウリング・フォー・コロンバイン(Bowling for Columbine)」を見る。このドキュメンタリー映画(2002年)は、1999年4月20日に発生したコロンバイン高校銃乱射事件を題材に、銃社会アメリカを批判的に取り扱った事で有名になった。彼は米国で銃犯罪による死亡者が多い要因として、米国人の歴史的残虐性、銃の保持率の高さ、非道なゲームに接する機会の高さ、銃規制の緩さなどを取り上げ、そのどれもが当てはまらないカナダに辿り着く。カナダでは約1000万世帯(人口約3000万人)に約700万丁の銃があるにも関わらず、年間の銃による犯罪死亡者は100にも及ばない事が紹介される。米国対岸にあるカナダの都市では家の鍵をかけない風習があり、実際に夜中に強盗に入られた経験のある人でも鍵をかけていないという。

 この作品で特に評価できる点は、事件の被害者と共に銃弾を安易に販売している『Kマート』の本社へ行き、マスメディアの圧力も利用しつつ、『Kマート』全店舗での銃弾の販売停止に成功した事である。他の貢献として、全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストン(Charlton Heston, 1924年10月4日 - )の人種差別発言を突撃インタビューによって引き出し、全米ライフル協会が銃犯罪事件直後に事件当地で公演を行う事を描き、その異常さの一端を明らかにした事があげられる。

 残念な点はこの作品の彼の解説である。彼は母国アメリカのおかしい点を個人主義の行き過ぎ、Meイズムに求めている。彼が読書家で、つまらない書物の悪影響で分析が霞んだのではなく、映画では触れている本当の点(福祉政策の充実度、恐怖を煽るニュースの有無、人種差別の有無)に言及するのが根性無しのため、できなかったのだろう。

 一体、カナダとアメリカと何が違うのか。確実に違うのは安全保障に対する考え方である。現在の資本主義の下では、個人主義はどの国にも蔓延している。しかし、安全確保のために孤立主義が好ましく、(テロであれ犯罪であれ)少しでも安全を脅かされたと考える側が必要以上に武力行使できるほどより安全になるという安全保障の思想は、とても異常で特異な考え方である。こうした異常な考え方を平均的に持っている国は、アメリカと、その多大な援助から武力で植民地支配を続け、2006年7月現在レバノンを侵略している中東の異常な集団くらいである。

 日本でも最近はこうした考えに近い思想を表明している山崎拓などの変態な政治家が登場してきており、大変気持ちが悪い。こうした考えは「攻撃的孤立主義」「絶対の安全保障」などと言うべきもので、個人主義とはかけ離れたものだと思う。いくら個人主義といっても社会あっての個人主義であり、多民族の同等性を認める限り、その個人主義には、相手の個人主義との折り合いが合わない考えにはなりにくい性質を内包している。映画ではこうした性質(寛容さ)を取り除いてしまうものとして、KKKのような人種差別思想や、人々の不安心理を取り上げている。不安心理を煽り続ける軍需産業の利益を代弁するマスメディアの問題にも言及しており、この点はもっと評価されていいだろう。

Kazari