はじめに
開発経済学は、経済学のひとつの応用分野です。開発経済学では、主に発展途上国を対象に分析を行います。マルクス経済学の系統では、従属理論などがあります。国際協力銀行の昔の「国際協力便覧」に便利な開発経済学の流れがフローチャートになっていましたが、現在は掲載されなくなりました。代用としては、次章に書いた絵所秀紀(1997)の2頁などを参照してください。1940年代後半から60年代前半の構造主義から、1960年代後半に第一のパラダイムが生じて、新古典派アプローチ、改良主義(BHN)、従属論が生まれ、その後、1980年代後半に第二のパラダイムが生じて、新しい開発の政治経済学、新制度派アプローチ、新しい成長の諸モデル、潜在能力アプローチが生じたと説明されています。
開発経済学は、植民地経営から始まった経緯があるため、乗り越えなければいけない課題もたくさんあります。古くは植民地支配の経営学であったため、非人道的内容がかなり含まれました。
第二次大戦後は、主として、平和構築のために南北格差の縮小が大きく問題になりました。民族自決権の確定などに伴って、多くの国が独立したことも手伝って、それらの新興の独立国が経済的に発展する事が重要となりました。しかし、発展途上国における比較優位の輸出品は食料などであり、生産性が上昇すると価格が暴落するような一次産品が多かったため、当初、輸出志向の経済発展は難しいと考えられていました。農業や一次産品主導の経済発展は、カナダの木材以外は全面的に失敗しており、可能性の乏しい政策であることが経験上知られています。
NIEs諸国が高度成長を実現するに及んで、国内の工業を一定期間、保護した後で、競争原理を徐々に強める輸出指向型の工業化が有効であることが分かりました。また、高度成長を実現できている社会でも、実質10%を超える水準のGDP成長を数年連続させることは社会に様々な軋轢を生む事が、日本やNIEs諸国の経験から明らかになりました。そのため、現在の中国では、最長の高度成長期を経験していますが、実質GDP成長率の政策目標を9%などと1桁にすることが多くなっています。
最近の研究では、ノーベル賞を受賞したAmatya Senの影響が甚大でした。イランの経済学者Mahbub ul Haq(マブーブル・ハク)が、Senのアイデアを簡単な指数にして、人間開発報告書という年報で発表しました。人間開発報告書(Human Development Report: HDR)を発行している国連組織は、国連開発計画(UNDP)です。この報告書を出す以前は、世銀や国連貿易開発会議(UNCTAD)と比較して、はるかに小さい組織でしたが、この報告書によって予算が大幅に増加したようです。現在では、この報告書の指数に影響する経済指標は、途上国が競って政策目標に取り込んでいます。一定の良い効果が見られる反面、取り上げられていないが重要な政策目標にすべき項目が疎かにされるという批判もあります。
A.Senがアメリカの民族間の平均余命の差を明らかにした事などは、動機を不問にすれば立派な事です。また、ノーベル賞の受賞理由となった飢饉の研究も優れていますが、援助に関しては悪い影響も出ています。援助に関するA.Senの基本メッセージは、援助の質を高めることが重要ということです。先進国の政治家は、質を高めるためには大規模なプロジェクトはできないとか、予算を消化しきれないとか理由をつけて、この議論を援助総量を減らす言い訳に利用しています。
A.Senがこうした事に強力に反論をしていればまだ良いのですが、何もしていないようです。これが援助の現場を厳しいものにしています。また、どこまで調査し、きめの細かい援助にすればいいのかという現場の声も聞こえてきます。ここには、学者が調査ばかりしていて、援助に当てられる予算が減ったという非難も含まれています。