第4章.費用便益分析
市場原理主義的な発想から、最近、費用便益分析を非常に強力で有用な分析道具として喧伝されることが増えた。「ランチタイムの経済学」を書いた無名のSteven E. Landsburgあたりが書いているうちは気にしていなかったが、最近は、Bernankeが共著で書いている教科書にもそのように書かれはじめて、大いに問題だと感ずるようになった。
特に日本の場合、コストを把握する手段が貧弱なので、公共財の費用便益分析はほぼ無用の長物となっている。開発的な視点に立てば、費用便益分析は、無駄の源泉と言っても過言ではない。公共事業を行いたい場合は、コストが過少に、便益が過大に推計されている。日本の過去の費用便益分析と実際を比較すれば明瞭だ。道路や橋などの公共事業の推計に多い。民営化されれば余計にお手盛りの推計になり、かえって悪化している事すら懸念される。問題はこうした点を研究者が指摘しても、マスメディアが経団連や特定事業主の利益を守る目的で取り上げない点である。環境対策の場合は、コストが過大に評価されて、便益が過少に評価されて、何もしない方向に傾きがちだ。これも調べれば明らかなのである。
米国では少なくとも、環境対策に対して、企業がこれだけ費用がかかると大騒ぎした際に、社会実験を行い、実際の費用を推計しようとしたことがある。具体的には、特定地域に法的に排出規制をかける前に、排出権の競争入札を行った。当初、企業側の主張する対策費用を値段にした排出権を競争入札したが、入札者がいなかった。何度か値を下げて排出権の競争入札を行い、実際の対策費用を割り出したということである。記憶が定かでないが、企業側が主張した費用の3割程度だったと思う。日本では談合でうまくいかないのか知らないが、アメリカのこうした良い政策を真似ることは、ここ30年余り、聞いたことがない。