第5章.ソフトウェア
人気のある計量経済学関連のソフトウェア
研究者一本で生きる人なら、SPSSとかSASの勉強に投資するという選択もありえるかもしれない。しかし、これらのソフトウェアは個人向けに販売していないため、より将来性を広く保ちつつ投資するなら、個人へ販売しているソフトウェアにまず投資した方が無難である。大学生でも容易に購入できるのは、TSPである。数学ソフトのアカデミック版という事では、やや高価だけど頑張れば買えなくもないのは、Mathematicaになる。Mathematicaの方は計量経済分析には不向きなので、このソフトの熟達に投資するのは躊躇われるが、ミクロの理論経済学系の勉強には役立つ。ミクロ経済の数学的な基礎に興味のある人は、LaTeXで論文を書くことになるかもしれないし、その際に数式入力がらみで、Mathematicaの基礎的な知識と同等の内容を必要とするから知っておいて損はないだろう。
比較的水準の高い大学では、理系のパソコン講座を文系にも開放しており、早稲田大学では、Mathematicaの講習など夏季休暇期間などに行っていた。東京大学では、SASを使った計量経済学の講義を縄田和弘(敬称略)が行っていた時期がある。縄田は2008年にEViewsの本を書いているが、現時点で、講義をどうしているのかは知らない(後述の解説書の「はじめに」には講義をまとめたものと記されているので、EViewsを使った実習講義を行っていた模様である)。
昔からあり、比較的低価格でユーザーが多いため、英語さえできれば多くの人の支援が受けられるのがTSPである。初心者には敷居がやや高いが、バッチ・プログラムを組める人には、なんせ処理が軽くて早いのが重宝した。OSがDOSの頃には、FDというファイル管理ソフト上からRed、MifesやVZ Editorといったエディターを用いて、TSPのバッチ・プログラムを書き、FD上からTSPを実行して、その結果をまたVZ Editorなどで読むと、複数の回帰分析を非常に効率的に処理できた。またTSPのバージョン3.3あたりからだったと思うが、表計算ソフトのLotus 1-2-3で作成したデータ・ファイルを直接バッチ・プログラムから呼び出せるようになったのも人気が落ちなかった理由と思われる。日本語の解説書も、和合・伴(1995)、蓑谷千凰彦[ほか著](1997)、繩田和満(1997)と充実している。どれも読んだことがあるが、きちんと書かれている。この中では和合が定番で、一番よく使わせてもらった。
DOSのようなシングルタスクのOSでは、TSPもしくは、マッキントッシュ用に改良されたMicroTSPが最強のソフトウェアのひとつであったが、その他にも、Rats、Shazamといったソフトを愛用する研究者もいた。特にShazamは、これらの中では、Panel分析を早い段階で積極的に取り入れた印象が残っている。特殊用途向けでは、時系列分析専用ではPcgive、乱数発生にGaussを使う人もいた。しかし、これらのソフトが現在でも使えるかというと疑問で、大学生がTSPを使うくらいかなぁという気がする。
現在では、OSがマルチタスクだし、GUIであるから、それに完全に対応したソフトウェアが望ましい。人気があるのはMicroTSPから発展したEViewsである。松浦克己ら(2001)「EViewによる計量経済分析」ができてから、日本経済研究センターなどのシンクタンクや教授陣に急速に広まり、現在では、縄田和弘(2009)、滝川好夫ら(2004)、北岡孝義ら(2008)の解説書がある。バージョン3の頃よく使っていたが、この頃から分かりやすさが、ずば抜けていた。2008年以降の解説書はバージョン6に関する解説書であるが、2004年の滝川の解説書はバージョン4に関するものだ。後者はざっと見た限りでよくないので、避けた方がよい。最初の方に初心者に何の断りもなく、回帰分析で因果関係が分析できるように書くのはとても不親切だし、不適切だ。滝川の解説書は2人で執筆担当しているが、両者とも金融専門の割に、計量経済学に精通しているように思えない。計量経済学の専門家である縄田が書いた解説書はとても真面目に書かれており、読んでいて好感が持てる。よりテーマ別に具体例が記されている点では北岡孝義ら(2008)の解説書も面白かったが、基礎編でも、実証分析未経験者には敷居が高く、読んでついていくのは大変そうである。もう少し、実証した統計量の解説に重きを置くのか、理論的なことを中心にするのか、メリハリが欲しいし、古典的回帰分析のうまくいかない時系列データを最初に説明するのも疑問である。
EViewsはバージョン3の頃からグラフ作成能力が秀でていたが、バージョン6の解説書を読むと、グラフに関する設定がかなり拡充しているのが分かる。また、EViewsは、ほとんどの作業をマウスで行えるが、あまり長い時間マウスを使用すると腱鞘炎になるため、縄田(2009)では、コマンドウィンドウからコマンド処理をする際の注意点などに触れられているのもよい。
EViews以外では、やや高度な分析にも耐えうるという意味で、Stataもよいソフトウェアである。研究者向けで、たぶん一番早い段階でこのソフトウェアを日本で使っていたのは、河井啓希かもしれない。ソフトウェアの日本語の解説書は、筒井淳也ら(2007)「Stataで計量経済学入門」ミネルヴァ書房、松浦寿幸(2010)「Stataによるデータ分析入門」東京図書があるから、以前よりは初心者にも使いやすくなっている。前者はver9(Mac)、後者はver11(Windows)の解説にあたる。
個人的にお勧めできるソフトウェアは、この中では、TSP、Shazam、EViews、Stataである。分野によっては、Mathematicaも重宝する。教科書に付属のソフトウェア(GreeneのEconometric Analysisのものとか、BLUE)やインターネットで無料公開されていたFairプログラムなどいろいろ試したことはあるが、商用のものに比べると、使い勝手はよくなかったから、TSPなどにお金を費やすのも必要な投資である。SPSSやSASも少しなら使ったことがあるが、経済学の分野だと使わなければならない機会がほとんどないと思う。SASなどでないと処理できないほどの大量のデータを解析する機会は限られているという事で、日本は個票の扱いもあまり行われていないので猶更であるし、パソコンの処理能力の向上が著しいため、わざわざホストコンピュータとやり取りする手間を考えても、今後は医療などの分野でもない限り、必要性は低いだろう。