はじめに
マクロ経済学は、経済学のひとつの分野です。マクロ経済学では、主に国家をひとつの単位として分析を行います。一方、ミクロ経済学はミクロ(=微視的)なので、企業や家計などをひとつの単位として分析を行います。
マクロ経済学の誕生は、いくつか説があると思いますが、現在のマクロ経済学の基礎的な分析のための概念や道具を揃えたのはケインズなので、ケインズ経済学派の貢献が光っています。そして、ケインズ経済学の周辺で多くのノーベル賞など生まれました。例えば、HicksのIS-LM分析などが有名です。
マクロ経済学の目的は、主として政策立案にあります。ミクロ経済学では現象理解に留まっても問題のない場合もありますが、マクロ経済学では政策の含意が分からないと理論モデルとしても有用になりません。例えば、不況がどんどんと進んでいっているときに、進行のメカニズムが解明できても意義がなく、不況の進行から脱出できる何らかの政策が分からなければ意味がありません。
マクロ経済の現象を考えるに当たって、大きく2つの見方があります。一つは、ミクロの集積がマクロであるという立場で、ミクロ経済学の一般均衡分析などが該当します。もう一方は、マクロ経済にはマクロの行動原理があるという立場で、マクロ経済学の消費関数などはそうした立場から考えられたものです。マクロ経済学は、後者の立場から書かれています。
ケインズはもちろん後者の立場で、有名な「合成の誤謬」なども、こうした考えを反映しています。古典派と呼ばれる人々は前者の立場で市場の均衡回復能力を過度に信じていました。そのため、不況時にケインズと古典派の経済学者は政策論争をしています。古典派の人びとは不況下での失業者をすべて「自発的に」失業している人と捉え、救済する必要はないと考えました。一方、ケインズは「有効需要」が不足しているために、就業したくてもできないのだから、公共事業を増やして、景気を回復すべきだと主張しました。結果を先取りすれば、ケインズが正しかったのですが、この論争に関しては一章設けて詳細に書くことにします。
専門家を目指す方へ、現代マクロ経済学の歴史的な経緯の概略に触れておきます。
1980年代頃になって、厳密な数学モデルを重視する立場から、マクロ経済学のミクロ経済学的基礎付けが流行りましたが、厳密な数学モデルで解ける範囲は狭いので過度の厳密性追求は廃れたように思います。また、90年代にReal Business Cycleモデルが流行しましたが、これも「理論無き実証」に近く、あくまで実証分析を生業とする経済学者の学績作りの道具として価値が残存するのみだろうと予想します。だいたい何年かの周期で流行の分析が誕生します。学者が独自に分析する気骨やアイデアがないために起こる現象でもあります。
こうした比較的実証結果が良好になりやすい分析道具は複数あります。学者の遊興道具とでもいいましょうか。なので、そうした道具が使われた分析は、あまり真面目に信じてはいけません。VARモデルなどは「理論無き実証」の典型です。まだ分析対象に対する「理論」がないからといって利用されることがありますが、このモデルを通じて因果関係など分かるはずもありません。「はじめに」であまり専門的な話をしてもしょうがないので、こうした学者の遊興モデルについても後に一章設けたいと思います。
ミクロ経済学の理論、数学に長けた人は、マクロ経済学は曖昧でよく分からないと言います。誰かが冗談で「マクロは真っ黒で(闇に包まれていて)よく分からない」といってました。ミクロであれマクロであれ、生産関数の中身は、英語でBlack boxとされています。こうした絡みもあっての冗談です。
こういう冗談を書くと、昔、代ゼミの大西という化学の講師が(自身が有機化学専攻ということもあってか)、「有機化学は勇気をもって学べば理解できるが、無機化学はムキになってもわからない」と言っていたのを思い出します。