第6章.MBAとの重要な違い
最近の経営学系の本を読むと、信じられないことが書かれるようになった。例えば、IBMのAT互換機のアーキテクチャの公開は、経営戦略の失敗例として取り上げられるようになった。恐ろしいことだ。AT互換機のアーキテクチャの公開当時は、あらゆる経営系の雑誌が大絶賛していたからでもある。Harvard Business Review, プレジデントをはじめ、国際競争時代にふさわしい戦略として他社も真似すべきだといった論調がほとんどだった。パソコンの市場を急速に拡大することで、OSやソフトウェア産業を育てる基盤となる環境を提供したとも言われている。それは同時にIBMのPC-DOSの売上にも貢献していた。実際にIBMの業績も数年は上向いたと記憶している。私は今でもIBMのこの経営戦略に感謝するとともに、パソコン市場を育てた企業として、IBMという会社を尊敬する一因となっている。IBMには、その他にも消費者に対して、すばらしいサービスを提供していた。IBMが(PC-DOSやOS/2などの)OSを作成していた頃は、無償で障碍者向けのソフトウェアを提供していたりして、その伝統は守銭奴としか思えないマイクロソフトですら、一部引き継いでいる。一部だけだけど、・・・。
しかし、今日では、IBMのAT互換機のアーティテクチャ公開は、ビジネス戦略の失敗例として教科書に載るようになった。互換機メーカーに市場シェアを奪われたからだという。確かに、そのような側面もあるかもしれないが、当時は独占禁止法に手足を縛られていたIBMにとって、それより勝る経営戦略があったのかと言えば、私にはなかったとしか思えない。そして、これ以後もIBM以外の会社にも独占禁止法が明確に作用していれば、消費者利益はますます増大し、市場が急速に伸びたことも疑いの余地がない。歴史的に見れば、後のコンパックの市場シェアの急伸にも、マイクロソフトのOSシェアにも独占禁止法を適用せず、IBMにだけ独占禁止法が適用される恐れがあったから、IBMは敗れたとしか言いようがない。それは、IBMだけ不利な条件で市場競争していたというだけの話で、一企業の戦略でどうにかなるものではない。
更にいえば、このIBMのAT互換機のアーティテクチャ公開という、プラットフォームの提供が、後に、規格技術を業界で統一化する流れにつながっている。それを最近の経営学は、歪めて伝えようと躍起になっているようだ。
現在の経営学は、市場シェアの縮小や撤退の実例から、企業が独占的地位を築けなかったあらゆる要因を経営戦略の失敗として再構築することで、既得権益をもつ大企業に有利な説を打ち立てようとしている。MBAは最早ゴミのような学問に成り下がり始めたと言えるだろう。
IBMのATアーキテクチャの公開は、マクロ経済学の視点では今でもすばらしい出来事であることに変わりない。この評価は覆しようがない。このようなMBAによる評価の変化にも、今後アメリカ経済が20年は立ち行かなくなる要因が表れている。