言語について




第四章.不規則変化

 不規則変化については、日本語が論理的という所で触れましたが、日本語が特に多いとは言えないと思います。印象論であってはいけないので、いくつか例証を挙げておきましょう。例証は以下の文献によっています。分かりやすいように英語について見る事にします。

Benjamin Lee Whorf[著]池上嘉彦[訳](1993)「言語・思考・現実」講談社学術文庫 1073

 この本は、アメリカ・インディアンのひとつホーピ族のホーピ語を研究した著者ウォーフが書いたもので、最新の言語の捉え方のひとつを示しています。文化人類学的なアプローチも入っているので、純粋に言語学的ではないですが、言語の捉え方の歴史などにも触れられており興味深い内容になっています。訳者である池上嘉彦の書いた本も良書が多いため、一読お勧めします。

 一つの言語についての文法を考える際に、これまでの古い解釈の問題点を数多く指摘しているのも参考になります。言語を考える際に、これまでの伝統的な文法解釈は顕在化したものしか見てこなかったことから、それを明示的な部類、目に見えない不文律のようなものを暗示的(covert)な部類として考察しています(上記文献pp34-6)。

 ここで、<完全に、最後まで>を意味する英語の不変化詞upを挙げて、暗示的の説明を行っています。原則は、一音節ないし二音節の動詞で語頭に強勢のあるものなら何でも付け加えることができるというもので、例外は4つの特別な潜在型(cryptotype)だけとしています。1.境界線のない形での散布という意味での潜在型、2.震動を意味する潜在型で部分の動きを伴わない場合、3.非継続的な衝撃で心理的な反応を含む場合、4.目標に向けられた運動。この4つの潜在型では、<完全に、最後まで>を意味する英語の不変化詞upを使う事ができません。最後の潜在型では、<上へ向かって>という方向の意味か、それからの転用の意味になると説明されています。

以下、<完全に、最後まで>の意味で使用できない例を35-6頁から拾っておくと、

1.spread it up, waste it up, spend it up, scatter it up, drain it up
2.rock up the cradle, wave up the flag
3.whack it up, tap it up, stab it up, slam it up, wrestle it up
4.move, lift, pull, push, put

となります。

 英語の指示詞の不規則性については、71-3頁にかけて書かれています。生物学的な部類(animal, bird, fishなど)は it、小さい動物は it が多いが、大きい動物は he が多い。犬や鷲や七面鳥は he 、猫やみそさざいは she。身体の部分とか植物界のものはすべて it、国や州は人に例えられているなら sheだが、町や会や法人は人に例えられていても it。人体、幽霊は it、自然は she。帆や動力で動く船舶や名前を持つ小さな船の類は she、名前のないオールつきのボートやカヌーは it。

江川泰一郎(1991)「英文法解説 改訂三版」金子書房

 試みにこの事例を上記の英語文法書で見てみます。11頁:名詞の性・数・格などに書かれていますが、動物の説明は、「普通はitで受けるが、(特に飼主などは) he または she を使う」とあり、注にも「動物の場合は、人間が動物に対して持つ愛情、動物そのものの男性的/女性的要素、動物の有用性などがからみあって、中性に扱われたり、he または she で受けたりする」とあり、まるで無原則と言っているようです。例示も如何様にも解釈でき、ウォーフのような暗示的な型の説明もありませんでした。

 指示詞のような事例で、日本語と英語を比較すると、日本語の方が原則が単純明快だと思います。しかし、ここで言いたいのは日本語の方が論理的と言うことではありません。むしろ、文法規則などが単純明快と言う事が、その言語の論理性を意味しないことを示すためにも、これらの事例を考察することに意義があると感じたためです。

 例えば、論理的な文章というのは、誰が読んでも(母国語読者であるならば)一意に解釈できるような文章ということです。それに、ある言語が有用であるためには、その言語で多くの事が語れなければあまり意味がありません。一意に解釈可能な文章を書くために、文法の単純明快性は必要十分ではありません。10語で完璧な文法の言語を考えても、役に立たないので、この事は明らかだと思います。10語を1000語くらいに増やしても同じでしょう。どのくらいに語彙を増やしていけば、この有用性と論理性あるいは表現力がよい均衡状態になるのかは興味深く、言語学者に是非とも解明していただきたいと思っています。

Kazari